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四季の主  作者: コトノハソラ
春の段『夏が来る』
4/8

その四

 子どもを見た冬椿の反応は、思ったよりも静かなものだった。

「秋葉なら助けるでしょうし、姫様ならそれを許すでしょう。いつか起こるやもと思っていたことです」

 早速人間の子供をつれてくるとは思わなかったが、と小さく付け足して、冬椿はすぐに温めた火鉢を用意してくれた。

 冬椿が聡い人であることは承知だが、ここまでとは。彼女が自分の女房であることをつくづく誇りに思う。

「体を温めましょう。桶を持って参ります」

「姫様は奥へ。久々の外出でお疲れでしょう、お召し替えをいたしましょう」

 おそらく、私をあまり長い時間子どもといさせまいとする配慮なのだろう。冬椿がそういって、私をいざなった。

 私が許可したとことはいえ、道に飛び出してきて地に伏した子どもは穢れだ。本来なら内親王に見せるべき存在ではない。そういう対応になるのも仕方がないだろう。

 私は子どもを看病する秋葉に後ろ髪引かれつつ、奥に入った。

 着物を脱ぎ、身軽になる。未知のことに、知らないうちに力が入っていたらしい。重たい着物を脱いで体を清められると、息がしやすくなった気がした。

 着替えに、特に気に入っているなめらかで装飾の少ないものを冬椿が選んでくれたおかげで、心地よく一息つくことができる。

 一息つくと、今まで考える余裕のなかったことが次々に脳裏を廻った。

「…冬椿」

「はい」

 何よりも先に考えたのは、あの子どもは今からどうなるのだろうかということだった。

 家に戻ることを望むなら引き留めはしない。でも、あの子の家があんなに痩せて凍えなければいけないような場所ならば、戻したくない。あの子供に、暖かで豊かな生活を送らせてやりたいと思った。

「あの子を、ここに住まわせることはできない?」

「…そう、仰るような気はしていました」

 冬椿は静かに言って、少しうつむく。

 聡い女房が可能性に気づいていながら、しかし何も進言しなかった。その理由はわかっている。

「難しい、と思います。ここは宮中。姫様は尊いお方です。そう易々と身元のわからぬ者をおそばに侍らせるわけには参りません」

「それでも、あんな寒い場所にあの子を返したくない」

「なれば、姫様のそばでなくても良いでしょう。私の実家に話すこともできます」

「……」

 確かに、そうだ。道で拾った子どもを住まわせるのに宮中はあまりに向かない。そんなことはわかっている。冬椿の家に行けば、凍えて路上で倒れるようなことにはならないだろう。

 冬椿いうことは至極全うで、この上なく正しかった。

 冬椿自身、自分の論の正しさは理解しているのだろう。その口調に迷いはない。ただ、その目がほんのり揺れているのに気づいていた。彼女も、できることならここにおいてやりたいと思っているのだ。主と友が助けた命を、このまま安全な場所にかくまいたいと思っているのだ。

 それが容易にできないと、私たちはよくわかっていた。

 わかっていても、素直にうなずけない自分がいた。

「…お嫌なのですね」

「私は…私は、私の目の届く場所であの子が幸せになるのを見たい…」

 冬椿が、まっすぐに私を見る。

 わがままかもしれない。それでも、今まで与えられるばかりだった私に、何か与えられるものがあるのなら。まだ幼い私の手でも、守れるものがあるのなら。

「あの子を、この手で助けたい」

 冬椿は静かにため息をついて、うなずいた。

「主上に文をお出しください。全てお話して、ご承知おきいただきましょう」

 それは、了承の言葉だった。たった今冬椿は、あの子供を公のものとしてこの房で守る準備をすると、そう言ったのだ。だからそれを前提として話したのだ。

 私一人の力では生活を成り立たせることなどできない。彼女が頷いてくれたことに、私は心から感謝した。

「ありがとう、冬椿」

「私はなにも致しません。お決めになったのは姫様で、救うのも姫様です」

 覚悟を、とその瞳が言う。この不安定な場所で、あの不安定な子供を守り育てる覚悟を、と。

 私は力強く頷いて、文箱を取るよう命じた。

 父の反応は想像よりは苛烈でなく、とはいえそれなりに厳しいものだった。

 私の立場がどういうものか、なぜその子どもを救い得るほどの富を与えられているのか、その子どもがどういう人間なのか、真に救えるのか、傲慢だと知っているか。

 そんな問いが手紙越しに帰ってきた。

 とっくに考えていたことだ。私のこの決定は、今の私が抱えるには重すぎるし弱点になりうる。それでも、あの子のことを何も知らなくても、ただ目の前に飛び出してきてその手をつかめた、というそれだけの理由で十分だった。

 手紙の末尾には、その子どもを伴って近く参上するように、と書きそえられている。

 その求めは予想通りのもので、私は冬椿とふたりで装束を選ぶことにした。季節に合う、とわかっていても、凍えて倒れた子供に冬を思わせる白い着物を着せる気にはなれない。せめて、と春の着物をいくつか見繕った。

 その間、秋葉に世話を任せていた子どもは三晩目を覚まさなかった。それだけ時間があると、父へ返信を出したり装束を決めたりといった様々なことがすっかり終わってしまって、気を紛らわせられなくなる。できることを失った結果、皆なんとなく子供を寝かせた几帳のそばに寄って過ごした。いつ起きるか、きちんと起きるか、と変に心配になって誰も寝られず明かりをともす。揺れる明かりを頼りに書物を手に取ってみたり、装束を整えてみたりと気もそぞろに過ごした。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 衣擦れの音が聞こえて、はっと目を覚ますと、丸い瞳と目が合った。

 冬椿の炭で書いたような細い目でも、秋葉の伏し目がちな目でもない。見知らぬ瞳に首をかしげて、それから一気に覚醒した。

 子どもが起きたのだ。

「秋葉、冬椿!」

 慌てて声をかけると、二人は勢いよく身を起こした。

 さすがの二人もちょっと取り乱し、数秒私と子供を見比べてからハッとして動き始める。

 秋葉が起きている子どもに素早く寄り、微笑みかけた。

「おはよう。驚いたでしょうけれど、説明をしてもいいかしら?」

「…はい」

 こくりと頷いた子どもの声は細くて、想像よりも高い。

「ここは、女一宮様の房。貴方は昨日、私たちが乗る牛車の前に飛び出して、そのまま倒れたの。介抱しようとつれてきて、ここにいるのよ」

「昨日…」

 子どもはぽそっとつぶやいて、思案するようにうつむいた。

「ねえ、貴方家の方は?一人でなぜあんなところにいたの?」

「…かあさんが、昨日の朝起きたらつめたくなってて…」

 言葉が切れて、すすり泣く声に変わる。

 市井の人々は、ろくに風もしのげない家で暮らすと聞く。その上にこの寒さ。あまり多くの者が苦しまないようにと詣でても、神仏に届く祈りには限りがある。

 秋葉が、私を見た。

 私は子どもに近づく。泣いているその背にゆっくりと触れた。

「…お前に、一つ提案がある」

 声が震えるのを押さえつける。

 一度言えば、一度その手をつかんでしまえば、もう後戻りはできなくなる。

 息を吸って、吐いてから切り出した。

「私の女房にならないか」

 その細い体が、驚きで揺れた。

 男とも女とも判別のつかなかった体は、清められて着物を着せられたことでその性別をあらわにしている。丸い目に痩せこけていてもなめらかな曲線を描く体つき。この子どもは、女の子だ。

 彼女が瞳から拭いきれなかった涙をこぼしながら私を見る。

「にょーぼーになる、ってなに…?」

「私のそばで仕事をすること。ここなら、暖かいし食事にも困らない」

「でも、わたしなにもできない…」

「いい。それでもいいから」

 細い肩が自信なさげに揺れる。

 冬椿が用意してくれた布で涙をぬぐってやり、微笑みかけた。

「頼む。ここには人手が足りないし、私はお前をここに置いておきたい。あんな寒い場所には、帰したくない」

「…わたしも、かえりたくない…」

 そっと、手を差し伸べる。

「ここに、私のそばにいてくれ」

 彼女は、私の手を取った。

 頷くその顔に、再度腹を決める。この子をこの場所で、必ず守ると。

「さて、そうと決まったら急がねば」

 女房達を振り返る。

 二人は心得たように頷き、立ち上がった。

「着物は見繕ってあるのよね」

「ああ。しかし、言葉遣いは…」

「よい。お父様もご承知だろう」

 子どもを立たせて、運んできた装束を合わせ始める。丈が、柄が、と話し合う二人を横目に、私はそばに置いていた菓子を引き寄せた。この分では、私の支度は後だ。

 ゆったりとした私とは対照的に、少女は女房達の変わり身に目を白黒させている。

「え…なに…?」

「ああ、お前は今から帝に会うのだ」

「え」

 相当衝撃が大きかったらしい。固まってしまった少女をおいて、秋葉は化粧道具を、冬椿は体を清める水をとりに行ってしまった。

「み、帝って…」

「すまん、そうなるよな」

 実の父親だし、見慣れた顔なせいで忘れていた。市井の者にとって父は、神に等しい存在なのだ。

 確かに宮中にもそういう風潮はあるし、父の権威は決して無視された者ではない。私もその事実はわかっているのだが、どうも日常的に言葉を交わすせいか実感は希薄だ。貴族たちも神とあがめる一方でどうにか取り入り、成り代わろうといろいろ画策しているのでそもそも宮中と言う場所が帝を崇めるのに向かないのだと思う。

「わたし言葉もへんだし…こんなところ、きたことないし…」

「気にしなくていい。お前のことは話してあるし、気軽に話せばいい。そのうち色々覚えてもらうことにはなるだろうが…取りあえず今日は、娘のことを心配した父親が新しい女房に会いたがっているだけだ」

 私の雑な物言いに、彼女は逆に安心したらしい。

 どうやら悪いようにはされないらしい、と分かって少し表情が緩んでいる。菓子を進めるとおずおず口に含んでうれしそうな顔をし、羽織らされている着物を指すとおっかなびっくり触って目を輝かせていた。

 かわいらしい反応に満足してから、ふと大事なことを忘れていたのに気づく。

「そういえば、一番に聞いておくべきだった。お前、名前は?」

「かあさんととうさんは、ユキって」

「ユキ…冬生まれか?」

「えっと、わかんない…生まれなんてきかない…」

「そうか」

 ユキ、雪。

 冬の名は冬椿にあげてしまっているし、この娘にそんな寒々しい名を与えておきたくない気持ちになった。

「…新しい名前を与えたいと言ったら、嫌か?」

「なまえ…?」

「そう。さっきいた二人、冬椿と秋葉の名前は、私がつけた」

「…ほしい」

 目がきらきらと輝いた。

 どうしようか、と考えて、着物が目に入る。

 使っていない春のものを引っ張り出してきた、淡い桃色。暖かな春を予感させるその色は、この少女に似合う気がした。

 春、と考えた途端、この少女が風に舞う桜の花びらの中で微笑むのを見た気がする。

「…春桜」

「はる、ざくら…」

 思わずつぶやいた名前は、優しく響いた。

「お前には暖かい名前を。春桜、と名乗りなさい」

「…っ!」

 こくり、と頷いて、少女は花が咲くように微笑んだ。


「それで、今の春桜になった」

 話を聞き終えた周防が、隣の春桜を凝視する。

 驚くのも無理はない。春桜がここへきて3年目。貴族の中でも高貴かつ彼女に好意的な秋葉と冬椿の尽力によってすっかり立ち居振る舞いが板についている。そうと知らぬ者が彼女を庶民だと思うことはもはやない。

 そのうえ、ここで仕えている女房だ。

「庶民が…内親王の女房に…?」

「能力が足りていれば、身分などどうでも構わない」

 春桜は少々特殊な例だが、そう考えているのは本心。この場所で真摯に働いてくれるのならば生まれはどうでもかまわない。

「私の初めての帝へのお目通りは、酷いものでした。それでも、ここまで育ててくださったのです」

 春桜は未だ驚いている周防に、笑って見せる。

 慣れない着物と丁寧とは言えない口調で、私と一緒に清涼殿に行ったあの日の春桜。彼女は、しかし真っすぐ前を見て座っていた。子供らしい柔軟性と好奇心、それから、彼女が本来持つ暖かさを持って、神に近しい存在に対峙した。

 父が少し驚いて、しかし優しい顔で菓子を勧めたのを、覚えている。

「周防、お前はここで私に仕えなさい。お前はここで働ける人間だと、思う」

 周防の顔が、驚きから涙目、そして笑みへ変わった。

 片手に収まる程度の女房しかおらず、貴族嫌いの貴族が二人に庶民生まれの少女が一人。そんな場所で働くには、向き不向きがある。そして周防は、向いている人間だ。

「お仕え、したく思います…」

「周防さん!」

 春桜が感極まって周防と距離を詰める。

 貴族らしく、人との触れあいになれていないらしい周防は戸惑いながらそれを受け入れ、笑い合っていた。

 周防は私の女房になったのだ。

「それで、姫様」

 ほほえましく見守っていたのを、横から冬椿に呼ばれる。

「なに?」

「周防殿に名をお与えになるので?」

「…強制はしたくない。周防が望むなら…」

「頂きとうございます!」

 ば、と声をあげた周防の目が、春桜に名前を与えたときの目と同じで思わず笑ってしまった。

 その頬が、思いがけず大きな声を上げてしまったことへの照れからか朱に染まっていてかわいらしい。輝くような表情は、まさに夏のようだった。

「ではお前に、夏橘の名を与える。励め」

「ありがたく存じます!」

 周防が嬉しそうに笑って礼をする。

 こうして、私の元には四季が集うことになったのだった。


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