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03 後編

これで完結です!

その頃、フォンティーヌ家は下降の一途を辿(たど)っていた。



領地の運営が滞っている上に、マリオンやメリッサとの縁を願って、取引を希望していたいた貴族が、いつの間にか離れていったからだった。その為、ゾエは御預けになっているサミュエルとの婚約を早く進め、さっさと婚姻を結び、入り婿のサミュエルに領地運営を任せて、なんとか侯爵家を保持しようとした。サミュエルは侯爵家の次男、どこかに婿に入らなければ爵位を継げるはずもなく、返事は()であると思い込んでいた。ところが、あっさりと拒否された。あまりの事で大声で何故と叫んでしまった。



「兄は研究莫迦でね、実験に没頭し、とことん突き詰めるのが最高の幸せだと、当主の座を放棄してしまったんだ。そこで仕方なくクレマン侯爵家を私が継ぐ事となったのさ。だから婿を取り、フォンティーヌ侯爵家を継がなくてはならない君とは結婚出来ない。だからこの関係も終わりだ。あぁ、兄が放棄したのは、つい最近でね、申し訳ないと思っているよ」



顔色一つ変えずに淡々と、そう言ったサミュエルを、絶望の表情でゾエが見つめた。サミュエルとゾエの関係は、貴族で知らない者はいない程有名になっており、別れてしまえば女であるゾエに婿に来てくれる者など見つからないのは明白。それに気づいたゾエは、サミュエルを問い詰めた。




「そんな、今までの…私達の日々は全部嘘だというの?…私は、こんなに愛しているというのに。酷いっ、酷いわ!そんな横暴が許されて良い訳ないわ。簡単に切り捨てるだなんて…。サミュエル様は人として心がないの…?」




その言葉を聞いた途端、今まで優しかったサミュエルが豹変した。あれだけ素敵だと思った深い青い瞳には、憤怒の色が灯り、輝く金髪を勢いよく掻き上げながら吐き捨てた。




「お前がメリッサにしてきた事は許されない」




思わず目を見開く。聞き間違えだろうか?何故今ここで、義妹の名前が出てきたのか。絶句していれば、サミュエルが続けた。




「お前と、お前の身内がメリッサにしてきた事、絶対に許す日は来ない。フォンティーヌ家のこの状況は、今までの行いに対する罰だ。真摯に受け止めればいい」




「え、一体何を…?メリッサの扱いに対しての罪と言いうのなら、あなたはどうなの?サミュエル様だって同じでしょ!」




キンキンと響くような叫び声で、ゾエが捲くし立てれば、それとは対照的な落ち着きのある声でサミュエルが答える。




「婚約者に対して、どう(しつけ)ようと私の自由だ。それに比べ、お前は義姉というだけで随分としてくれたものだな。覚えておこう」



背筋に悪寒を感じながら、ゾエは直感した。何を言っても伝わらない相手だという事を。だが、この状況をどうにかしなくてはならない。このままでは、フォンティーヌ侯爵家は終わり、念願かなって貴族になったというのに、また平民に逆戻りだ。そんなのは絶対に嫌、一度味わってしまった贅沢な暮らしを、手放したくなかった。


そこでゾエは、クレマン侯爵家に嫁げば問題ないと、フォンティーヌ侯爵家を捨て自分だけ残れる道を選んだ

。そうサミュエルに提案してみれば、思いの外ゾエを肯定してくれた。あまりの嬉しさに、先ほどサミュエルに投げ掛けられた酷い言葉もあっさりと忘れ去る。フォンティーヌ侯爵家へ戻ったその夜、ついその事を両親に得意げに話してしまった。




「サミュエル様と結婚して、クレマン侯爵家へ嫁ぐことになったわ」



それを聞いたエマが、黙っているはずもない。




「お前、それがどういう意味だか分かって言っているの?私達は、いえフォンティーヌ侯爵家が、どうなってもいいと?それが育てて貰った親に対してする事なのっ!」



これまでゾエは、母であるエマに逆らう事が許されなかった。逆らえば生活する事さえ難しく、生きていくには母に(すが)るしかなかった。だが、この状況はどうだ。ゾエの動き次第で、母の運命が左右されるではないか。思わずニヤリと(わら)う。



「ごめんなさい、お母様。私も頑張ったのだけど、サミュエル様がどうしてもって言うから。そうね、(たま)に会いに行くわ」



その言葉を切っ掛けに両親が激怒し、泥沼の家族内紛争が勃発した。フォンティーヌ侯爵夫妻とゾエは暴言を浴びせ合い、蹴落としあった。



「こんな娘は勘当だ、そうすれば貴族ですらないお前は結婚もできまい。我々を裏切って、恩を仇で返すような事をするからだ」




「もう婚姻を結んでしまったから、関係ないわ」




周りの人々を巻き込み、事態は大きくなっていった。その結果、醜聞は王家の耳に入る事となる。サミュエルはクレマン侯爵家としては、メリッサの死をもって関係は白紙に戻り、今は何もないと主張。自分は未だ傷心の身であり、巻き込まないで欲しいとまで言い、王家もそれを認めた。


騒動を起こしたフォンティーヌ侯爵家はお取り潰し、三人は揃って市井へと落とされた。(ろく)に働きもしない上に、いつまでも貴族の権力を振りかざし、威張り散らす三人に手を差し伸べる者は誰もいなかった。すぐに所持金はなくなり、生活は困窮した。そうなったルベンは迷うことなく、妻と娘を娼館へ売り飛ばした。その金を持って逃げたルベンも、すぐに底を付き、奴隷へと身を落とすはめとなった。彼は今、食料となる動物や魚を(さば)き、不要な部分を処理する、とても過酷な労働をさせられていた。




 

「家同士が決めた婚姻でしたが、メリッサも生まれ私はとても幸せ。愛しております、ルベン様。ただ、あなたは優しすぎて、断る事を知らないから…心配なのです。だから私が守って差し上げますわ。あなたに精霊の加護がありま…「やめてくれっ」



生まれたばかりの、メリッサを抱くマリオンが言った言葉が頭を(かす)めた。何をしても凡庸(ぼんよう)なルベンは、優秀なマリオンに憧れていた。自分が夫に選ばれた時は、嬉しさと同時に本当にいいのかと悩んだ事もある。孤高の存在と、自分が不釣り合いなのは百も承知だった。そんな彼女の手を、ルベンが取っていいものか…。



そう頭を悩ませていた時に、すっと横に来て優しく包んでくれたのがエマだった。好きという感情ではなかった、と今は分かる。ただ、ルベンが欲しい言葉を掛けてくれ、居心地のよいぬるま湯に浸かれただけだったと気付く。束の間の癒しを、求めただけだった。エマの言うように、爵位や金の為に婚姻を結び、子を生した。本当は、とても愛していたはずなのに、悪魔のような甘美な囁きに誘導され、いつしか(いと)うようになっていた。自分の弱さに蓋をして、嫌いだと思い込むほうが楽だったから。もう少し努力すれば、彼女と同等になれただろうか…なんて烏滸がましい…か。少しでも近づけるように、励めばよかったのだろう…、牛を捌いたあとの(なた)から血を(ぬぐ)い、汚れたその場を清めながら遅すぎる後悔をしていた。





場末の娼館に元貴族の女がいる、そんな噂に男が群がった。過去に貴族に虐げられた男達が、その鬱憤(うっぷん)を晴らすべく、エマとゾエの元へ通った。その頃にはもう、彼女たちはお互いを母娘などと思っていなかった。元々、自己顕示欲の塊のような二人は、いつしかどちらが店の一番なのかを争う競争相手となっていた。好敵手…などという美しいものではなく、足を引っ張り、蹴落とされる間柄になっていた。客を奪った、なんて当たり前。部屋に虫を放った、服を切り裂かれた、果ては下剤を食事に盛ったなど、内容が徐々に激化していった。



そしてついに、上客の一人にその被害が及び、命に別状は無かったが、男性としての機能が果たさない身体になってしまい、娼館始まって以来の大騒ぎになる。当然、首謀者である二人は、揃って責任を取らせられた。徐々に落ち目になっていた二人を体よく切り捨てられるし、客への慰謝料は二人の今までの稼ぎを全てつぎ込めば御釣りがくると、娼館側も内心喜んでいた。いきなり店から辞めてくれと言われれば、気性の激しい二人の事だ、何をされるか分からない。だが二人の落ち度であれば、仕返しをされる心配も少ないというものだ。


結局、行き場のない二人は揃って(すが)りついた。何でもいい、雇ってくれ…と。そうして何とか掃除婦として店に残る事が出来た。だが、もう誰からも目を掛けてもらう事はない。華やかに咲く夜の花々を横目に、汚れた寝具や部屋を片付ける。屈辱の時間が続いていくのだった。





◇◇◇





サミュエルは清々しい気分で、王都を歩いていた。(うるさ)いフォンティーヌ侯爵家から、(ようや)く解放されたからだった。足取り軽く、王立図書館へと向かった。そこで魔術について、中でも魔法都市ブランを徹底的に調べ上げた。この世界から魔法の痕跡が消え始めたのは、どうやらここ百年以内のようだ。だが、何時の間にか元から無かったもののように、語られるようになっていった。それより前、多くはないものの魔法使いや魔術師といわれる人物がジラール王国にもおり、今でも各地にその末裔がいるのを突き止めた。図書館から戻ると、侯爵家の力を使い、全ての子孫と会う約束を取り付けた。



13人の魔力を持つ者と会い、話を聞いたサミュエルは、ハァとため息を吐いた。さして目新しい情報は無く、大半が王立図書館で分かった内容ばかりだった。しかし、一つだけこれはと思う話があった。魔法具とも呼ばれる法具が存在し、僅かに魔力を保っているというのだ。滅多に見つからないし、魔力を持たぬ者が見てもただの物と変わらない、笑いながら魔術師が言っていたのを思い出す。その彼も過去に一度実際に見たが、魔力を放っているのは分かったものの、使い方までは…と自嘲していた。


最後に訪問した自称魔法使いもまた、特に気を引く話はしなかった。が、古ぼけた箱の中から、掌と同じ位の大きさをした薄く丸い物を一つ取り出した。青く半透明なそれは、どうやら魚の鱗だと分かる。本体は、どれほど大きい魚の鱗だというのか。



「魔力を帯びるこの鱗は、とある商人が持ち込んだ物。これだけ大きく魔力量も多い。あなたの助けになるかもしれない、金さえもらえればお譲りしますよ」



魔法使いの顔を見れば、欲深そうな表情以外は何も見られなかった。こいつはこれの本当の価値を分かっていない…サミュエルは内心ほくそ笑んだ。




「貴重な話、感謝する。それでは」



そう言うと、(きびす)を返し立ち去ろうとする。



「なっ…、こっこれは、不要だと?…ならば、これならどうだっ。頼む、引き取ってもらえないだろうか」



と慌てて、二束三文にもならない金額を提示してきた。




「私に時間を割いてくれたお礼として、その値段で頂くとしよう」



人の良さそうな笑顔でそう答えれば、安心したような間の抜けた声が返ってくる。



「おぉ、助かります。正直持て余していて…、では、確かに」




そういって金を受け取り、魔法使いはそそくさと立ち去った。一瞥もくれず、本当にどうでもいい物だと思わせておいて正解だった。




急いで侯爵家へ戻り、自室で鱗を取り出す。思わず顔を高揚させ、慎重に両手で掴んだ。




「…ふふふ。…やっと見つけた」





◇◇◇





ブランを外の世界から守る、結界を強化した事で、外を彷徨っていた精霊がブランへと戻って来た。メリッサは何時の間にか、多くの精霊と契約し、気づけば日に日に髪色が真珠のように虹色に輝くようになっていた。



(まるでジュールの髪のようね…)



鏡を見ながらそう思っているところへ、当のジュリアンがやって来た。そしてメリッサに微笑む。




「言い伝えの通りだった。メル、やっぱり君が私の運命の人なんだね」



困惑するメリッサに、こう続けた。




「【ジュール王子の花嫁】は巷で知られる様な御伽噺なんかではない、このブランに古くからある伝承でね。今でこそ王族制度は廃止されたけれど、元王族には代々受け継がれてきていた事実がある。話の中に出て来るように、同じ髪色の相手を皆探し求めるんだ。(もっと)も出会える事は、殆どないけどね」




メリッサの右手を両手で包む様に握り、唇を落とす。ドキリと心が跳ね、顔を赤くするメリッサを見て、ジュリアンは笑った。




「大丈夫、急ぐことはない。好きになってもらえるように努力するから、まずはメル自身が日々の生活を楽しんで欲しい」




メリッサを第一に思う優しさに、改めて心が温かくなった。既に返事は決まっていたが、ジュリアンの心遣いに応えようと思う。




「えぇ、わかったわ。ならば今までと同じように過ごすのは勿論なのだけど、他に私が出来る事はないかしら?良くして頂いているだけでは、落ち着かないのよ」




「ありがとう、そう言ってくれて助かる。実は先日の結界強化で、他国から思った以上に狙われているのが分かった。図書館で見つけた文献の残りを、また読み解いてくれるかい?」



「私にピッタリな仕事だわ。こちらこそ、ありがとう。ジュール」




それまでと同じように、図書館で司書の仕事をしながら、残された知嚢(ちのう)を読み漁った。最終的に行きつくのは【ジュール王子の花嫁】であり、改めて詳しく調べた。



マーシャを連れ出した家臣トリスタンと、彼を監視する者の末裔が、外の世界に居ると記されていた。ブランを襲う災難には、必ずトリスタンの末裔が関わっていると分かる。メリッサの母は、トリスタンを監視する者、中でもマーシャの血筋を引いていると発覚した。マーシャの家系の特徴は、珍しい蜂蜜色の瞳だという。しかし、長い年月を経て、本来の役割が引き継がれていないようで、そこからは何も掴めなかった。




メリッサがブランに来る切っ掛けとなった、あの木の葉だが、話の中で王子が撒いた魔法具の残滓(ざんし)だった。それが各地に残っている為、高い魔力を持つ願い人が触れるとブランに飛ばされてしまう。ただ、結界を強化したことにより、かなり高い魔力と、ブランを思う強い気持ちが無いと来れなくなった。それでも中には偶然ブランを訪れる、迷い人と呼ばれる者達が稀に現れ、ブランとそれに纏わる記憶を消し、安全に外の世界に丁寧に送り返す事が何度かあった。



結界を強化したジュリアンとメリッサだけが、それを超えて何者かが侵入したことを感知し、送り返すことが出来た。そんな事を繰り返すうちに、いつしか二人の仲は、より深まっていった。



「母はブランに戻る前に亡くなってしまったけれど、私を戻そうと思ってくれていたのよね」



真珠色の木の葉を目の前に掲げながら、ぽつりとメリッサが呟いた。



「そうだね、本当にマリオン様には感謝しないといけないな。ただ、お守りする事が出来なかったのが悔やまれるよ」



悲しそうに微笑む、ジュリアンの隣に腰を掛ける。



「私ね、母は全て分かっていたんだと思うわ。でも敢えてそれを受け入れたんだと思うの。母なりに愛していたんだわ、父を。私は父を、まだ許せないけど、母の想いは…否定したくないのよ」



ジュリアンが驚いたようにメリッサを見つめた。



「メルがそう思うのなら、きっと間違えないんだろう。…そうか、メルは強いんだな」



「ジュールが居てくれるからだわ」



そう蜂蜜色の瞳で笑いかける。



「お願い、いつまでも傍にいて…ね?」



ジュリアンの左手をギュっと握って、そう呟く。その様子に思わず目を見開き、次の瞬間メリッサを抱きしめていた。



「…あぁ、勿論だ。精霊に掛けて誓うよ。…ありがとう」



その日のブランは、何時になく空が青く澄み渡っていた。





◇◇◇





夕食の為に、食堂へと集まったメリッサとジュリアンは、同時に顔を見合わせ頷いた。



「メリッサは中枢の教会へ、我らは入国の門へ。迷い人だ、急げ!」



ジュリアンの指示通りに、人々が慌ただしく動き出した。





「ここは…何なんだ…?」



自室にいたはずだったサミュエルは、気づけば見知らぬ街の門が目の前にあった。遠くから何やら慌ただしい動きを感じて、静かに身を潜めた。闇夜に紛れ、検問の兵士に見つかる事無く、門の中へ入り込めた。



手にした鱗が、青白く淡い光を帯び始めた。そうして、ある方向へ光が伸びた。誘導されるように、光の指す方へと暗闇の中を歩いた。不思議と障害物に当たる事もなく、すんなりと進むことが出来た。暫くすると、石作りの小さな建物が見えてきた。住居にしてはやや小ぶりな大きさの建造物は、入口のある教会のようだった。



扉は既に開いており、鱗からの光は、この建物の中をさしているようだった。音を立てずに、慎重に中へと歩を進めた。奥の壁に小さな蝋燭が僅かに灯る暗い室内、そこに人影が一つ揺れていた。両膝を付き、手を天に向かい広げ祈りを捧げている様だった。サミュエルの衣擦れの音で、その人物が近づく彼に気付き振り返った。



「外からの迷い人を探しているところですので、どうか外でお待ちください」



それは懐かしい声だった。サミュエルが探し求めていた、一番会いたい人のものだと分かり、悦びに震えた。声の女性は聞こえなかったのかと、僅かに首を傾げもう一度話しかけてきた。



「外から迷い人が確認されました。送り返すように公爵家が動いております。それが確認されるまで安全な…「メリッサ、逃げるなんて悪い子だ。お仕置きが必要だな」


途端に硬直し、小刻みに震え出す。だが、意を決した様に返事をする。



「…クレマン様…、何故…ここに…?」



「クレマン…、前のようにサミュエルと呼んで欲しいな。そうだろう、メリッサ。私たちは婚約者なのだから。




何故ここにいるかって…?願えという文字が書かれたこの青い鱗を手にしながら、君の事だけを想ったんだ。気づけば、ここに辿り着いただけだよ。私に断りもなく居なくなったメリッサを、探す手助けをしてくれたんだろう…、さぁ帰ろう」



近づくサミュエルから、後退りで距離を取りながら、怯えながら呟く。



「クレマン様はゾエと相愛だったではないですか…」



サミュエルは思わず顔を(しか)めた。



「彼女の名前が出て来るんだい、関係がないだろう?」



「関係ないって…、あの時の茶会でお二人は…「ふぅん、やっぱりちゃんと見てて逃げたんだ。嫉妬してくれたの?なら、あの女も少しは役に立ったのかな」




すぐに壁に追い込まれたメリッサは逃げ場を失い、サミュエルの両手の中に閉じ込められる。どうにが逃れようとするメリッサを軽くあしらい、愉悦の表情で更に拘束を強める。




「っ離して下さい、私はもう婚約者ではないのですから」




「そんな事言うなんて、流石に許せないよ。ねぇ、もう愛してないの?その程度の想いだったの?」



そう問いかけても、目すら合わせないメリッサに、サミュエルは肩を震わせた。




「…どうしても、私を拒絶するというのなら…困った子だ…」




冷たい氷の様に、何の感情も映さない青い瞳をメリッサに向け、懐から取り出した物を口に含み、残りは脇に投げ捨てた。その際に鳴ったカシャンと鋭い音に驚き、メリッサは一瞬意識がそちらに逸れてしまう。その僅かな隙を付き、強い力でメリッサの顔を両手で押さえて、サミュエルは唇を重ねた。舌で無理やり口をこじ開けて、呼吸を忘れるほど、深く長い口づけを交わした。思わず目を瞠るメリッサは次の瞬間、口内に妙な甘さを感じた。それを見守りながら、サミュエルはとても満足した様子で唇を離した。




「メリッサ、愛している。誰にも渡さない…」




サミュエルとメリッサは、ごふりと口から血を流し、ほぼ同時に崩れるように床に倒れた。





駆けつけたジュリアンが、()えるように叫んだ声が室内に響き渡った。





◇◇◇





清潔に整えられた一室で、白い顔をした青年が目を覚ました。部屋に居た侍従が、それに気づき外の者へ知らせれば、屋敷内が(にわ)かに慌ただしくなった。



意識は戻ったものの、動くことすら儘ならない青年は、どうしてここに…と思い返してみるも、ぽっかりと忘れてしまっており何も思い出せなかった。



(ようや)く目覚めたのね、七日間も眠ったままだったのよ」



息子の目覚めに、母が駆け寄り、咽び泣いている。その後、年の近い弟や研究しか興味のない兄に加え、普段家に居ない父までもが静かに入って来た。そうして皆で喜び合う、侯爵家の人々。皆が部屋を後にし、一人残された彼は、寝台の上で横になり、窓の外をぼんやりと眺めた。ジャスミンの花が星空の様に咲き誇っているのが目に入る。その白い花を見ていると、ふわりと揺れる白く長い髪が記憶を(かす)めたが、頭に(もや)がかかったように、すぐに消え去った。




「…何か…忘れて…。そう、とても大事な…」




サミュエルの記憶から、幻の都市に足を踏み入れた事だけでなく、大切な女性の想い出が消えていた。ただ一つ覚えていたのは、自分の気持ちは心のままに伝えなければ…という思いだけだった。



関わる人を不幸にする…、陰でそんな噂が囁かれるクレマン侯爵家の次男に、嫁ぐ者は現れる事はなかった。





◇◇◇





駆けつけたジュリアンが、倒れている二人を発見した。転がっていた瓶から毒だと分かっり、瞬時に魔法で解毒薬を作り出し、すんでの所で解毒ができた。



その後、サミュエルを迷い人として、これまでと同じように外へ送り返した。外の世界との境界を強化した今、何故彼がここへこれたのか、また同じ事が起きるのを防ぐ為に調査が行われた。そうすると彼がトリスタンの末裔で、彼自身知らないうちに特殊な魔力を持っていたと報告がされた。さして魔力が高いわけでは無かったが、その稀なる魔力に、願わずとも魔道具である鱗が反応してしまったようだった。だが、きちんと記憶を消され、外に戻された彼は、恐らく二度とブランの地に立つことはないだろう。



その後もブランに迷い込む者は多くは無いものの、後を絶たなかったが、入り込んだ本人の意思を聞き、その後の身の振り方を決める事が主流となった。彼らは大きく二つの類いに分かれた。迷い人として返される者と、与り人としてブランに残る者である。後者は、自分が幻の都市に居るのを自覚すると、喜び感動して永住を希望する者ばかりであった。与り人となった者は、ブランの発展に尽力してくれ、敵対する輩への防御が更に上がっていき、それに比例して外の世界では、魔力や魔法は想像の産物だという認識が定着した。




ジュリアンはメリッサが回復するのを待ち、その後改めて求婚した。メリッサは迷うことなく、その手を取った。ジュール王子の花嫁と同じく、魔法都市ブランは栄え、二人は命が尽きるまで仲睦まじく過ごした。



この外の世界には、まだ人の目を避け、ひっそりと埋蔵されている魔法具があるという。これはと思う物を見つけた時には、是非試しに願ってみては如何だろうか。あなたに魔力があるのなら、真珠色に光る道へと辿り着けるかもしれないから。








おわり







ご覧いただきありがとうございます!


楽しんで頂けたら幸いです。


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