02 中編
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目障りだった義娘が居なくなった。
最高の境遇に、うっとりとしながらワインを飲んでいるのは、フォンティーヌ侯爵夫人のエマだった。そこへ、けたたましい足音をさせながらゾエがやってきた。
「あのイエローダイヤモンドの付いた野ばらの髪飾り、知らない?今日のお茶会で付けようと思ったのに、見つからないのっ」
丁寧に結い上げた髪が乱れるのも構わずに、頭を振り乱し問い詰める様子に目を顰めエマは口を開く。
「あの女狐の持ち物なんか見たくもないわ。お前がどうしてもと言うから、売らずに与えたというのに。大方、今の様に暴れた時にでも失くしてしまったのでしょう。自分の落ち度を、人の所為にしてはダメよ」
顔を真っ赤にして怒りを露にしながらも、母には逆らえず、その後もブツブツと呟いていた。
「確かに宝石箱に入れたのよ…お気に入りは大切にしていたもの…」
その事件を皮切りに、フォンティーヌ家からは、いつの間にか物が消えていく珍事件が多発するようになる。最初は無くなっても気づかない小さなペンや読まれなくなった本、そして徐々に大きくなり、誰もが分かる様な宝飾品や調度品になった頃には一度に幾つか物が跡形もなく消えていた。遂にはエマに辞めさせられることなく僅かに残っていた、無き前妻を慕う、一流の執事や侍女までもが姿を消したのだった。
前妻マリオン亡き後、古くから仕える執事ホマンが、侯爵家を切り盛りしていた。あくまでも急ごしらえの繋ぎだったのだが、ルベンは一向に領地経営を覚えようとはせず、なし崩し的にホマンが引き継いで現在に至る。元々平民であるエマも、そんな重要な事を執事がしていたとは思っておらず、逃げたのなら新しい者を雇えばいい、古臭いと思っていたから丁度良かったと喜んでいた。その後もエマとゾエの贅沢は止まらず、如実に傾き始めるフォンティーヌ侯爵家。いきなりルベンが仕事をこなせる訳もなく、書類の山がどんどん溜まっていったが、気に留める者はいなかった。
◇◇◇
馬車に乗り込むと、そのまま気を失うように眠ってしまったメリッサ。夢か現か分からない中、フワフワとした気分のまま窓から外を見れば、自身が乗った馬車が、真珠のように輝く道を走っているのに気が付く。両脇に並ぶ建造物も、壁や床が道と同じ真珠色に輝いていた。
暫くすると、美しい意匠の門が開き、一際大きな屋敷の敷地で馬車が止まった。様子を窺っていると、爽やかな声が聞こえてくる。
「ようこそ、フランソワ公爵家へ。疲れただろうから、部屋で休むといい。案内させよう」
そう言いながら、馬車の扉を開けてくれた人物に目を向ける。左脇で一つに結ばれた真珠色に輝く長髪は、サラサラと煌きながら零れ、まるで優しい春の雨のようだった。透明感のある白い肌はきめ細やかで、薄いブルーの瞳が一際引き立っていた。なんて美しい人なのだろう…と、思わず見とれていたが、何故か懐かしいと思う自分も混在していた。
「…その、ここは一体…、失礼だとは存じまずが、あなたは…?」
つい先ほどまで、自室で本を見ていたと思っていたが、本はおろかフォンティーヌ伯爵家すら消え去り、見知らぬ土地にいるのだから、混乱してしまうのも仕方のない事だった。
「あぁ、説明が先の方がいいかな。ようこそ、魔法都市ブランへ」
美しい顔に笑顔を浮かべて、メリッサの手を取り甲に唇を落とした。
「え…、ブラン…?物語の?…これは夢、それとも天国なのかしら…」
照れと焦りに加え、情報が過多になり、メリッサは思わず固まってしまい身動きが出来なくなる。
「ゆっくりと一息吐きながら、この状況を話した方が良さそうだね」
何時倒れるか分からない様子のメリッサを支えながら、独り言のように呟いた。依然硬直したままのメリッサを、ヒョイと横抱きにして屋敷の中へ入って行った。あまりの事に、メリッサはされるがまま身を委ねた。
ハッと意識が戻れば、目の前には香り立つ紅茶と美しい黄色のマカロンが置かれて、どうぞと勧められるままにコクリと紅茶を飲んだ。自分が思っているより喉が渇いていたようで、身体に染み渡っていった。マカロンを摘まんで一口齧れば、レモンの爽やかな酸味と程よい甘みが広がり、ホロホロと口の中で解けていった。食物を口にしたことで、これが現実であると認識できた。
「まずは、自己紹介から。フランソワ公爵家ジュリアンです。ジュールと呼んで欲しいな。ね、メル」
幼子の様に目を輝かせながら、ジュリアンがメリッサを呼ぶ。
「…なん…で…?」
困惑の表情をしたメリッサが、ジュリアンを見つめる。
「覚えてない…か。こっちは片時も忘れた事なかったんだけどなぁ、ちょっとだけ…いや大分悲しいな…」
右手を額に当てて俯くジュリアンは、本当に泣きそうな顔をしながら、無理やり笑顔を作っていた。それをみたメリッサは何故かキュッと胸が締め付けられて、自分も悲しい気持ちになり俯いてしまった。
「出会ったのは10年前、マリオン様の葬儀だった。あの後、メルは一人でフォンティーヌ侯爵家の庭の東屋にいたよね」
ハッとして顔を上げれば、ジュリアンと視線が絡む。確かにあの時、メリッサは一人きりになりくて庭に逃げ込んだ。誰も居ない東屋で、母を想い、死というものを未だ受け入れられていなかった。青い空、風に揺れる瑞々しい葉を見ても、感情が動く事はなかった。その時ガサリと庭木が音を立て、その間からヒョコリと少年が顔を出す。
「こんなところで何をしているの?」
自分と同じ白い髪をした少年が、メリッサに声をかける。よく見るとその子の髪は角度によって色々な光彩を放っており、まるでシャボン玉みたいに美しかった。
「…何もしていないわ。考えていただけよ。お母様は、もう戻ってこないんですって。そうみんな嘘をつくの」
表情をぴくりとも変えず、淡々と話すメリッサを見て、ジュリアンは隣に腰を掛ける。そうしてメリッサの頭を撫でた。
「泣きたいときは変に我慢しなくていいんだ、心のままに、ね」
その言葉を聞いた途端に、母との想い出が甦って来た。本の感想を言い合う時の母の口癖。
「変に上手く纏めようとするより、思った事を言ってごらんなさい。心のままに、ね」
ジュリアンと母の言葉が重なり、気づけばポロポロと涙が零れていた。そしてそれはどんどん大きくなり、声を上げて思い切り泣いた。その間、ジュリアンは傍を離れず、メリッサの右手を両手で包む様に握っていてくれた。漸く泣き止み、少し気まずそうにするメリッサを労わる様に声を掛ける。
「大丈夫、いつでも僕や精霊が見守っている。何かあれば迎えるからね」
「ありがとう。なら迎えてくれる時は特別な名前で呼んで欲しいの。私とお母様だけのメリッサの秘密の名前。メル、メルよ。忘れないでね?」
「あぁ、わかったよ、メル。ならば僕の事もジュールって呼んでくれないかな。ジュリアンの愛称なんだ」
それを聞いてメリッサも顔を綻ばせて頷いた。そのあまりの美しさに、ジュリアンは目を見開く。爽やかな風が二人を包み込んだ。
「…メル自身が忘れないでねって言ったのも覚えてないか…。そんなに目立たない子だったかな…」
遠い目をしながら肩を落とすジュリアンに、メリッサは何度も謝った。
「もう大丈夫、思い出してくれたようだし。漸くメルに再会出来たのだから。さ、改めて。ここは魔法都市ブラン、【ジュール王子の花嫁】に出て来る街でも知られている。外の世界から入れる者は、まず居ない安全な場所さ」
「お話の中の街だと思っていたわ」
ぽつりと呟くメリッサにジュリアンが続ける。
「外の世界は精霊が大分減ってしまったからね。魔法を使える者は殆どいないんじゃないかな。居たとしても、あまり褒められた輩ではないはずだよ。だって、文献に出て来る家臣トリスタンの末裔だろうからね。あとはそんな外の人々を監視する【守り人】がいるくらいだね。メルの母上マリオン様も守り人の一人だったんだよ」
あまりの事実に口を開けたまま固まってしまう。
「その手に握り締めている木の葉、それは魔道具の一種でマリオン様が用意したものだよ。マリオン様はブラン人の中でも魔力量が豊富な方でね。だけど、それが仇となってしまった。魔力を持たない君の父君からは、奇妙な術を使う悪魔だと疎まれていた。終いに愛人に唆された父君が、命まで奪うとは思っていなくて…すまない助けられなくて」
母が生きていた頃の優しい父は偽りで、三人で笑い合っていた日々は虚構だったというのか。メリッサは、頭を打ち付けられたような衝撃を感じた。
「すぐに、とは言えないけど、ゆっくり心と身体を癒して欲しい。心配はいらない、ここには君を害するものは何一つないのだから。…あぁ、君が奪われたものは、なるべく取り戻してあげるからね」
様々な感情が入り乱れていたメリッサは、ぼんやりと頷いた。
「じゃぁ、メルの部屋に案内しよう」
ジュリアンは手を差し出す。メリッサがそっと重ねれば、じんわりと掌から温もりが伝わってきた。込み上げるものがあったが、抑えようとは思わなかった。ほろりと涙を流せば、ほんの少しだけ前を向く勇気が湧いて来た。
◇◇◇
ジュリアンは探していた。伝承に記されていた、自分と同じ髪色を持つ少女を。幼い頃に親に連れられて行った、初めての外の世界。訳が分からぬままに喪服に着替えさせられ、葬儀に参加させられた。参列する人々の中で見つけた一人の少女。けれど、精霊が少ないと聞いている外での生活が長いからだろうか、精霊の加護が弱いようだ。虹色の光沢が失われ、髪が白に近い。二人きりになりたい、そう思って式が終わるのを待ち、彼女を探した。黒いワンピースを着て、庭の東屋で本を手に持ち、ただ空を眺める少女の傍に近づいた。
「こんなところで何をしているの?」
上にあった視線がこちらに向く。驚くほどきれいな黄金の瞳に思わず息を呑んだ。
「…何もしていないわ。考えていただけよ。お母様は、もう戻ってこないんですって。そうみんな嘘をつくの」
顔色一つ変えずに、そう話ながらも、どこか悲し気な女の子は、儚く消えてしまいそうだった。慌てて近づき、隣に腰を掛けた。触れていないと心配消えそうもない為、頭をゆっくりと撫でる。それからよく両親が言っている言葉を口にした。
「泣きたいときは変に我慢しなくていいんだ、心のままに、ね」
少女は、それを聞いて涙を零し、徐々に声を上げて泣いた。その間、ジュリアンは少女の右手を両手で包む様に握った。程なく泣き止んだ彼女に笑いかける。
「大丈夫、いつでも僕や精霊が見守っている。何かあれば迎えるからね」
大きな目を丸くして、ジュリアンをジッと見つめてくる。
「ありがとう。なら迎えに来てくれる時は特別な名前で呼んで欲しいの。私とお母様だけのメリッサの秘密の名前。メル、メルよ。忘れないでね?」
そういえば、自分から名前を聞くのを忘れていたし、名乗りもしなかった事に少し焦る。
「あぁ、わかったよ、メル。ならば僕の事もジュールって呼んでくれないかな。ジュリアンの愛称なんだ」
その途端、メリッサが浮かべた笑顔の清らかで美しい様に、ジュリアンは瞠目し心を奪われた。やや離れた大木の陰から、サミュエルが二人の様子を睨んでいたのに、気づかず後悔するとは思っていなかった。
サミュエルの初恋はメリッサだった。4~10歳までの貴族子息令嬢を対象にした王宮での茶会で会った。正妃主導の元、緊張した少年少女達が来たる社交の練習も兼ねて集まっていた。一口サイズのサンドイッチや色鮮やかなスイーツが並ぶ中、一際目立つ所に鎮座していたのは、当時人気だった菓子店の、貴族でも入手困難なケーキだった。サミュエルは興味はあったものの、他の子の勢いに負けて出遅れてしまい、お目当ての場所に辿り着いた時には、最後の一つが少女に手渡されている所だった。
「「あっ…」」
二人で同時に声が出ていた。こちらに皿を差し出す女の子を見て、サミュエルは右手で制し、慌てて口を開いた。
「それは君の物だ。後から奪うように見てしまって、ごめんね」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、そう言い、それじゃぁと立ち去ろうとした。
「…あの、よかったら半分こしませんか?」
半分こ?あまり耳にしない言葉に、思わず振り返る。
「そ、それに一人で、この大きさを食べてしまったらお腹一杯いになってしまうから。沢山種類があって色々食べてみたいな…って…」
少女もサミュエルと同じ位、顔を赤くしていた。あまりの可愛さに、思わず笑ってしまう。
「なら遠慮なくそうさせて貰おうかな。…そうだ、他のも半分こにすれば、二人でもっと色々楽しめるね」
俯きかけていた顔を上げて、彼女は満面の笑みを浮かべた。サミュエルは眩暈がしたように感じて、心が揺さぶられた。
「僕はサミュエル、君の名前を教えて?」
「メリッサです。サミュエル様、お会いできて嬉しいです」
後から耳にした話によると、あの菓子は態と人数分より少なく用意されており、それがどの様に子ども達に作用するか王妃が観察していたという。一人で複数抱え込む者、家格を振りかざし弱者から奪う者、誰にも取られまいとアッという間に平らげる者、手に入らないと泣き喚く者、我関せずとケーキから遠のく者…そうして資質を見極め、王家との今後の関りに役立てるようだ。
でもそんな事はどうでもいい。あの日の楽しい想い出さえ、あれば良かった。だがその数か月後に行われた彼女の母の葬儀で、再会したメリッサはサミュエルを目に留めることすらしなかった。それだけじゃない、見知らぬ少年と楽しそうに話しているのを見て、嫉妬した。嫉妬なんて…自分だけそんな思いをするのは不公平だと、歪んだ想いを募らせていった。
だからこそ自分からメリッサの婚約者になれるように陰で動き、見事その座を手に入れ、人知れず喜んだ。サミュエルは、今まで片時も忘れた事がない、長年膨らんでいた想いから、メリッサにも妬いて欲しかった。自分だけなんて許せない、そんな感情も半分こするべきだ。そんな理由から好きでもない、ゾエの誘いを受け入れたフリをして、都合よく使った。メリッサとの婚約破棄は受け入れがたい事実だが、まずは居場所を突き止めなければ。ゾエと新たな婚約を結ぶのを、上手く躱して調査を続けた。
◇◇◇
メリッサは、久しぶりに心穏やかな日々を過ごしていた。母の死の真相を知った衝撃は、まだそこまで癒えてはいなかったが、徐々に自分らしさを取り戻していける気がした。フランソワ公爵家にある蔵書や近所の図書館の本を読み、気が向けば刺繍をしたり手入れの行き届いた庭園を歩き、ジュリアンと話をしながら食事をとる。幼い日々の邂逅を思い出し、ジュリアンと馴染むのも、すぐであった。ジュリアンはメリッサの部屋に来るたびに色々な物を持ってきてくれた。
花弁部分がイエローダイヤモンドになっている野ばらの髪飾り、大粒のマベパールとサファイアを使ったパリュール、美しい意匠を施した金の手鏡…と、ゾエに奪われた母マリアンの形見の数々であった。また、慌ただしい旅立ちだったため、置いて来てしまった母自慢の蔵書も一冊も欠ける事無く、気づけば部屋の本棚に並んでいた。失くしたとばかり思っていた、使い心地のよいペンまでも持ってきてくれた。
そんな毎日がゆったりと過ぎていったが、ひと月もすれば手持ち無沙汰になってくる。
「ジュール、私に何かできる事はないかしら。ここでの生活は素敵だけど、なんていうか…そう、このままだと私、何もできない人になってしまうわ」
切迫した様子で話しかけてきたかと思えば、言ってる事は気が抜けてしまうような内容で、思わずジュリアンは吹き出した。くくくと肩を震わせて笑うジュリアンに、メリッサが言葉を続ける。
「笑いごとではないわ!私にとっては切実なのに…!」
頬を膨らませて、こちらを見ているメリッサに、ジュリアンが右手の人差し指を上に上げて提案する。
「ブランの国立図書館で司書を探しているんだけど、働いてみる?お昼付きだし、休憩時間は読書もし放題。何より、ここから近いのはメルも知っての通り」
ジュリアンの人差し指を、両手で包み込み、目を合わせて声を上げた。
「やらせてほしいわ!」
「…お嬢様、もう少し落ち着いて下さい。それでは淑女として、及第点とは言えません」
声がした方にメリッサが顔を向けると、そこにはもう会えないと思っていた、フォンティーヌ家の執事ホマンに侍女のジョセフィーヌが佇んでいた。
「…二人とも…なん、で…。これは現実なの…?」
二人に走り寄り、抱き着くメリッサを見ながら、ジュリアンは優しく微笑んでいた。
「こちらに呼べたのは、魔力がある二人だけ。マリオン様に仕えていた他の者は、先に辞めさせられた者も含めて別の条件のいい働き口を紹介しておいたよ」
「ありがとう…一番気に掛けていた事が、最高の形で解決したわ」
それからブラン中心部にある大きな図書館に、通うようになったメリッサ。幼い頃から様々な本を読み、本に詳しい彼女はまるで水を得た魚のように生き生きと働くようになっていった。休憩時間には、今までに見たことがない古文書を手にして、熱心に読み耽る。長く図書館に務めている先輩司書ですら、見た事のない古い文献だった。それを難なく、現代語に訳し読み解いてしまった。
「古の霊殿を七つの色で染めあげれば、更なる力で守られん…か。これも何か意味のあるのかしら。…あるわよね、御伽噺だと思っていた事が現実だったんだもの。もう少し調べてみてもいいんじゃないかしら」
妙に気になる、その文献から見つけた一説を、夕食の際にメリッサはジュリアンへ話して聞かせた。
「何か七つある神聖な建物、例えば神殿とか教会とかないのかしら?」
両腕を組み、首を傾げながらジュリアンが考え込む。
「ブランは魔法国家と言えども、一都市だからそこまで広くない。七つも同じような建物は無いんだよ。精霊が身近にいる分、神聖なものは割とあちこちにけどね。ほら、この屋敷と図書館の間に脇道に入った森に木が開けたところがあるだろう?あそこは確か風の精霊を祀っていたと思うけど。大分小さな祠だし、思っているような建物とは違うかもしれないな」
「…その祠に行ってみたいわ」
「明日、丁度休日だし、二人で行ってみようか」
黄金の瞳をキラキラと輝かせて、笑顔を向ける。
「嬉しい、明日が楽しみね」
次の日、手早く朝食を済ませた二人は、近くの森に来ていた。歩を進めると木が無くなり、開けた空間に出た。その中心に、団栗のように上が細くなった祠があった。大きさは大人が一人入れ位の小さなもので、煉瓦のような石材を重ねて作られており、ブランの道と同じく真っ白で真珠色をしていた。木々が立ち込めた薄暗い中にありながらも、淡い光を湛えていた。
メリッサは近づくと、くるりと反時計回りに一周し、祠を観察した。すると、脇道と丁度反対側に木製の小さな扉が付いていた。扉を開けようと手を出したものの、握りや手を掛ける窪みなどは見当たらず、僅かに躊躇した。
「そういえば、魔法で鍵が掛かっているはずだな」
後ろから近づいて来たジュリアンが、思い出したように口を開く。思わず、がっくりと肩を落とし明白に落ち込んだメリッサにジュリアンは駆け寄った。扉に差し出されて止まったままの、彼女の右手に自分の右手を重ねた。
「ごめん、もっと早くに思い出すべきだった。嬉しそうなメルが眩しくて…すっかり忘れてしまっていた」
「…いいえ、大丈夫よ。私の我儘に付き合ってくれて、ありがとう」
そう返事をしてジュリアンの手を握り返した、その時だった。
スゥと扉が半透明になって消え、ポッカリと口を開いた。手を握ったまま、二人は顔を見合わせ頷き、ゆっくりと一緒に足を踏み入れた。
中は外見とは異なり、見渡す限り白く真珠色の床と天井が続き、灯りや窓が無いにも関わらず太陽の下のように明るかった。俄かに四角柱型をした石碑の様なものが床から、せり出す。二人は手を放し、その柱を調べるかのように、同時に右手を付けた。すると柱は若草色に染まっていき、そこから部屋中が染め上がっていった。次の瞬間、二人は元の祠の前に立っていた。戸は閉ざされたままだったが、祠全体が若草色に強い光を放っていた。
「古の霊殿を七つの色で染めあげれば、更なる力で守られん…」
ジュリアンがそう呟くと、メリッサが続けた。
「白から若草色に染まった、そう思っていいのかしら?」
「間違いないだろう。柱に手を付けた時、魔力をごっそり持って行かれたからね、メルは気づかなかった?…そうそう、魔法の属性は火・土・雷・水・氷・風・森と七つあってね。火は赤、土は黄色、雷は紫、水は青、氷は水色、風は黄緑、森は緑、属性によって帯びる色がある。…どうして今までこれを忘れていたんだろう」
ジュリアンは自分を責めているようだったが、メリッサの一言で気を取り直した。
「ジュールが教えてくれた通り、これに似た祠があちこちにあるのでしょう?では残り六つの、場所を探しましょう。ジュールなら、見当がつくのではないかしら?頼りにしているわ」
それからのジュリアンは素早かった。残りの祠を見つけると、休日の度にそこへ向かった。同じように二人で手を握り、柱に手を当てると赤や黄色に色が灯った。皆で手分けをすれば早かろうと、一度メリッサ以外の人物っとジュリアンで同じように試してみたが、扉すら開かなかった。メリッサと他の者でも試みたが結果は変わらず、ジュリアンとメリッサの二人にしか祠は反応しなかった。
そして遂に最後の一つとなり、一緒に柱に手を当てれば、部屋に広がった色が無事に祠を紫に染めた。すると直後に空が明るくなり、キィンと微かな音がした後、真珠色の光に覆われた。
「結界が強化された…?すごいな…」
空を見上げながら呟くジュリアンに、寄り添いながらメリッサが答える。
「ブランの為になったのなら、良かったわ」
この日、ブランに忍び寄っていた影が払拭された。
他国の王族や帝、枢機卿など、外の世界で最高権力を持つ者たちには、ひっそりと伝えられている事実があった。どの国の伝承も、凡そ【真珠色の都市を探せ】や、これに近いものであった。群衆や他国の目を眩ませる為に、件の物語を使い、魔力や魔法は夢物語、そう世間一般に浸透させた。魔力を持つ者を数多く見つけ出し、使役出来れば他を出し抜ける。表立っては魔法など存在しないとしながら、実際は血眼になって魔法を統べる者、更には魔法使いか多く住むというブランを見つけ出そうと躍起になっていた。
ブランの存在を示す形跡を捉えた国もあったが、掴んだ情報が人々の記憶からも、物質的な証拠も全て消え去り、真っ新な状態に戻っていた。こうして文字通り、ブランは話に出て来るだけの街になった。
―――ただ一つの存在を除いて。
次で終わります!