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01 前編

ご覧いただきありがとうございます!

メリッサは幼くして、絶望というものを知った。



メリッサが5歳になった時、彼女には色々な出来事が重なった。春本番も過ぎた頃、メリッサは例年通り誕生日を迎えた。そのすぐ後に、最愛の母マリオンが他界した。ほんの数日前に、笑顔でおめでとうと頭を撫で、抱きしめてくれたというのに。毎日顔を合わせ、他愛のない話をして笑い合う。美味しいお茶と焼き菓子を食べたり、二人が大好きな本を一緒に読んだ。そんな普通の日常が一変した。どこへ行っても、あの優しい微笑みを浮かべた母は、もう居ない。



黒いワンピースを着せられ、領内の小高い丘へと連れて行かれた。同じように黒い服を着た人たちが沢山おり、神父様が何かを話し出した。皆それを聞きながら俯き、中には涙を流している人もいる。(しばら)くして一人また一人と、その場から立ち去って行き、ついにはメリッサだけとなった。目の前に(たたず)む石碑には母の名前が記されていた。それでもまだ、他人事のようで、ただぼんやりと眺めていた。



(ようや)く泣けたのは、メリッサが庭園の東屋で本を読んでいた時だった。一人きりでは、読んだ本の感想を言い合う事が出来ず、戸惑った。そうすると直視しないようにしていた現実が、ジワジワと入り込んできた。不意に誰かの言葉が耳に入り、ポロポロと涙が溢れた。氷かけていた心が、溶かされていくようで温かかった。


その日の夜、ふと目が覚めた。寝台の暗がりの中、すぐ横にあるテーブルの上が、僅かに光っているのに気づく。そこにあったのは、母が大事にしていた本。二人でよく読んだ、見知らぬ幻想的な国の御伽噺。光は本の間から漏れていた。静かに持ち上げ、その(ページ)を開いた。



「…きれい……」



そこには見合事もない、美しい木の葉が一枚入っていた。しなやかで薄い革のような質感をしており、真珠色に淡く光を放っていた。この本は母の形見である。今まで気付かなかったが、(しおり)にでもしていたのだろうか。そんな事を思いながら、不思議な色の葉をそっと二本の指で持ち上げ、じっくりと観察する。光っていたのでわかりにくかったが、よく見ると見慣れない地名が記されており、切符のように見える。くるりと返せば、裏面にこんな一文が入っていた。



―――願えよ、さすれば門は開かれん―――



何故だか、その言葉に既視感を覚えた。







「旦那様は本日も戻れない…と」



執事がそう伝えると、メリッサは窓の外の青々とした木々を見つめた。



「…そう、わかりましたわ」


変わり映えのしない、やり取りをすると、メリッサはフゥと息を吐いた。母への思いを、居なくなってしまった寂しさを、父と分かち労わりあいたいという気持ちを持て余していた。



母が亡くなってからというもの、父であるフォンティーヌ侯爵ルベンは、家にいる事が少なくなった。居たとしても、メリッサと極力会わないようにしているようで、視界にすら入らない。亡き母に良く似た白い銀髪に蜂蜜のような黄金の瞳、白皙の肌をしたメリッサを見るのが辛いのだろう、と周囲の大人達は口々に言った。だが、父は優秀な母に劣等感を抱き、別の女性に逃げていただけだと時を経て知る事となる。



メリッサは、膨らんで押しつぶされそうになる感情を、読書で紛らわせた。例の不思議な木の葉が、入っていた御伽噺だ。本を手に取る度に、母が近くにいるような気がする。【ジュール王子の花嫁】は魔法都市ブランを舞台にした、有名な物語である。主人公のジュール王子が、心から愛する人、マーシャと幸せな結婚をして国が栄えるというあらすじになっている。結末までに紆余曲折あり、ブラン王を逆恨みした家臣トリスタンが、王子の許嫁を攫い国外へ逃げてしまう。そこで王子は、魔法具を世界中に送り出す。すると魔法具にマーシャが気付き、呪文を唱え術が発動、遂に二人は再会を果たす。ジュールとマーシャは、仲良く幸せに暮らした。一方、家臣トリスタンは逃げ果せたかに見えたが、魔法具に捕まり他国で拘束され奴隷となり、その後を知る者はいない、という話。幸せになる主人公に想いを馳せれば、束の間辛い現実を忘れることが出来た。だから、繰り返し読み重ねた。





◇◇◇





母が儚くなって10年後に、後妻が迎えられた。メリッサより、一つ年上の義姉も一緒だった。父はメリッサが生まれるより前から、母を裏切っていた事になる。今になって彼女たちを迎えたのですら、すぐに結婚しては世間体が…と周りの目を気にしての事だったと耳にした。これでは母は浮かばれない、悲しみとも憤りとも、つかない感情がメリッサに渦巻いた。だが、その気持ちに浸る間もなく、メリッサを取り巻く環境が激変した。



新たな家族が増えてからは、侯爵家における全ての贅沢は後妻エマと、その娘である姉ゾエへと注がれた。父もフォンティーヌ家での滞在が多くなり、義母や義姉が望むままに色々与え続けた。沢山の(きら)びやかなドレスや宝飾品、絶品の料理や菓子に珍しい茶葉を使った香り高い紅茶、評判の良いと噂の化粧品。そんな品々に囲まれ、三人で華やかな生活に明け暮れていた。



母を慕い、昔から勤め上げてくれた従者や召使い達は、軒並み解雇され数人残すばかり。その他は、義母や義姉に忠誠を誓う輩に入れ替わってしまった。当然、メリッサは爪弾きにされ、侍女のような扱いをされるまでとなっていた。それだけでは飽き足らず、エマとゾエは目障りなメリッサを、フォンティーヌ侯爵家から追い出す為、勝手に婚約者を決めたようだ。だが憎いメリッサが、結婚して自分たちより身分が上になるのは癪なので、婚姻後に爵位が無くなる侯爵家の次男坊を見繕った。



(ようや)く、嫌な顔を見ないで済むようになるのね。あの子を見ると旦那様を奪った、女狐を思い出して気分が滅入るわ。…本当に長かった」



グラスを片手に持ち、ワインを呷りながらエマが呟いた。それに頷きながら、甘いチョコレートを口に放り込むゾエ。僅かな苦みと香りが鼻に抜け、トロリと舌の上で蕩けて消えていく。つい最近、初めて食べて感動したが、今では当たり前の物になっていた。次から次へと、チョコレートを摘まみながらゾエが口を開く。



「これで贅沢し放題なんだから、そんな事忘れてしまえばいいのよ」




もともと平民として、生活していたエマ。お忍びで市井に訪れたフォンティーヌ侯爵と出会い、その身なりや言動から貴族だと見抜き、丁寧に奉仕した。

それが功を奏し、頻繁に通ってくれた。遂には身籠り、屋敷まで与えられた。平民としては群を抜くものではあったが、上昇志向に火が付いた彼女は、それだけで満足出来なかった。ルベンは会う度に、妻であるマリオンの愚痴を言っていた。そんなに(いや)なら別れればいい、とエマは心底思っていたが、そうこうしているうちにマリオンも妊娠してしまう。裏切られたようで、正妻との別れを促しても、のらりくらりと躱すルベン。勘のいいエマは、気付いてしまった。口では否定しながら、その実ルベンはマリオン憧れて愛しているという事を。だから別れる気など最初からある訳がない。エマは都合のいい様に利用されただけだった。

ならば…とエマは熟考する。彼の横に並ぶには、邪魔なマリオンを排除する他なかった。マリオンに対する憧れに比例するように、反発しているルベンの仄暗い気持ちを利用する事にした。



「忌々しいマリオン様の力を抑える薬を手に入れましたのよ。ほんの少し飲ませるだけで、ルベン様を見下せないようになりますわ。さぁ、どうぞ」



そう言いながら、翡翠のような色の液体が入った、小さな瓶を彼に手渡す。震える手で受け取りながら、エマを見据える。



「危ないものではないのか…?」



優しく微笑み、ルベンの頭を撫でながら諭すように伝える。



「大丈夫ですよ、量さえ間違えなければ、ね。マリオン様もルベン様を敬うようになりますわ」



「…そうだな、そうならなければいけないね」



小瓶を懐に入れながら、ルベンが頷いた。






それから数日後、エマの元へマリオンの訃報が(もたら)された。その直後に、恐ろしい剣幕でルベンがやって来た。



「ど、どういう事だ!大丈夫だと言っていたではないか。そ、それなのに…あぁ、あぁぁぁ…。どうしてくれるんだっ」



傍で泣き出したゾエを抱き、あやしながら困ったように眉を下げて答える。



「ゾエが怯えておりますわ。…どうしてと仰いますけど、全て旦那様のせいですよ。私は、きちんと申し上げましたわ。量を間違うな…と。一体どれほど、お使いになったのかしら?」



「…2~3滴程度だ。1滴にしようとしたのだが、思ったより(こぼ)れてしまった。改めようとしたのだが、その前にマリオンが…あぁぁぁぁぁ」



両手と膝を付き、嗚咽(おえつ)に近い泣き声をあげた。



「…そう、でしたか。マリオン様は華奢でいらしたから…多かったのでしょうね。…残念ですわ」



ゾエを寝かせた後、いつまでも子どものように泣くルベンを、二人の寝台へと誘った。そしてルベンの弱った心を自分で上書きするように、何度も何度も彼を受け入れ、優しく包み込んだ。




「ほとぼりが冷めたら、私達を侯爵家へ迎え入れて欲しいの。ゾエは、あなたと私の子どもなのですから」



「…あぁ、分かっている。だが当分あそこに戻りたくないんだ」



「えぇ、気が済むまでここで静養しましょう、ね?」





目に涙を浮かべながら寝息を立てる夫を横目に、例の小瓶を取り出す。火のついていない暖炉に投げ入れれば、パリンと小さな音を立てて粉々になる。



(必ず数滴出るように出来ていただけなのに…ね)




悪意に歪んだ笑みを浮かべて、ルベンの頬に手を当てた。





◇◇◇





婚約者同士が初めて顔合わせをする、茶会がフォンティーヌ家で行われた。サミュエル・クレマン侯爵子息は、クレマン侯爵家に三人いる息子の次男に当たる。メリッサより2つ上の18歳で、光り輝く金髪に深い色味の碧眼、美しい白い肌をした美丈夫であった。客間に入って来た彼を見るなり、ゾエは頬を赤らめメリッサを押しのけ挨拶をした。



「ゾエ・フォンティーヌです、会えてうれしいわ!」



そう言って手を差し伸べれば、少し驚いたように目を見開いた後、笑顔で手を握り返してきた。



「はじめまして、フォンティーヌ嬢。クレマン侯爵家サミュエル・クレマンです。お見知りおきを」



サミュエルの左手に絡みつき、更に言葉を重ねる。



「フォンティーヌ嬢では、どちらの事か分からないじゃない。ゾエと呼んでほしいの。私もサミュエル様と呼ぶわ!さぁ、お茶の用意が出来てるから、どうぞ」




湯気の立つ茶器や焼き菓子に季節の花が並ぶテーブルへと、手を引き案内しようとするゾエを右手で制するサミュエル。




「まだ挨拶が終わっていませんので。…改めまして」



そう言いながら、ゾエを優しく振り払いメリッサへと向き合う。



「クレマン侯爵家サミュエル・クレマンです。サミュエルとお呼び下さい。お名前をお伺いしても?」




淑女の礼をして、メリッサは口を開いた。




「お言葉に甘えまして、そのように呼ばせて頂きます。初めまして、サミュエル様。フォンティーヌ侯爵が娘、メリッサと申します。私の事も、メリッサとお呼び下さい」



「メリッサ嬢…、素敵な名前だ。婚約者として宜しく」




メリッサの右手を取り、甲に唇を落とす。思わず照れて赤くなるメリッサを、ゾエが恐ろしい形相で睨んでいた。そのすべての様子を、瞬時に正しく理解したエマは、ふふと笑いながらフォンティーヌ侯爵の手を取った。



「それでは、皆で色々お話するといいわ。旦那様と私は失礼するわね」



「そうだね、では」




フォンティーヌ侯爵夫妻は、その場を後にした。残された三人はゾエ主導の元、お茶会を始める。(はた)から見ると、義妹とその婚約者二人の間に割って入る義姉という、異様な組み合わせであった。当事者であるにも関わらず、何故か他人事のように俯瞰して見ている自分に気付き、メリッサは心の中で苦笑した。



(そんなにお好きなら、お義姉様が婚約なさればいいのに。それとも、ただ邪魔をしたいだけなのかしら)



内心悩みながら、二人が肩を寄せ合い楽しそうに話をしているのを微笑みながら見守っていた。









「お母様!私、サミュエル様が好き!好きになってしまったの!」



サミュエルが帰った後、ゾエはズカズカと夫妻の部屋へ断りもなしに入り、(わめ)いた。




「えぇ、分かっていたわ。そうねぇ、サミュエル様は次男だもの、あなたと結婚してフォンティーヌ侯爵家を継げばいいのよ。何の問題もないわ。ね、旦那様?」



優しい口調でありながら、有無言わさぬ威圧を感じた侯爵は、少しおどおどしながら返事をする。



「あぁ…、だがメリッサは…「メリッサならゾエの侍女にするのよ、ゾエもいいわよね?」



弱々しい侯爵を遮り、エマが言葉を重ねる。その提案を仕方ないと言わんばかりにゾエが口を開く。



「そうね、使ってあげてもいいわ。サミュエル様もメリッサの事なんて何とも思っていないようだったし、二人でこき使ってやるわ」



「では、それで決まりね」



「じゃぁ、次にサミュエル様と会う時に着る、ドレスを決めなきゃだわ!」



浮かれるゾエと、それを穏やかな笑顔で頷くエマ。引きつりながらも、これは正しい、間違ってないのだと自分に言い聞かせるルベンと三者三様であった。






その後もサミュエルとメリッサが会う場所は、決まってフォンティーヌ侯爵に設定され、毎度当たり前のようにゾエが同席した。ゾエはサミュエルの真横で肩を寄せて、時には腕に絡みつくように抱きつき、一方的に話し込んでいた。メリッサが見る限り、サミュエルも拒否することはなく、満更でもない様子であった。メリッサへ僅かに視線を向けた後、蕩けるような笑顔でゾエを見つめた。ゾエは喜び、増々彼に身体を寄せた。いつしかメリッサを待たずして会は始まるようになり、遅れて参じても一瞥もされず、本当に自分がここに居るのかさえ疑わしく感じる程であった。



「こんな思いをする位なら、もうお会いしない方が楽なのかもしれないわ…」



メリッサは(うつむ)きながら、そっと呟いた為、向かいに座る二人の耳には届いていないようだった。サミュエルから身を引こう、人知れず決意を固めたのだった。





初夏の日差しが眩しいある日、いつものようにサミュエルがフォンティーヌ侯爵家へ、やってきた。メリッサは、直前に命令された部屋の掃除が手間取り、会合場所である庭園の東屋へ遅れて到着した。


近づくにつれ、二人の声が漏れ聞こえてくる。



「…あぁ、サミュエル様。お慕いしております…」



「ゾエ…もう待てない…」




これは見つかってはいけないと直感し、思わず身を潜めてしまった。悪い事をしている様な気分になりながらも、物陰から二人の様子を窺った。人払いされた東屋では、ゾエがこちらに背を向けてサミュエルと抱き合い、キスをしているのが目に入った。それだけではない、ゾエの背中はドレスの釦が外れ、コルセットの紐が解けて彼女の健康的な肌が見えていた。更にサミュエルの腕は、ゾエのスカート部分を(まく)し上げていた。


もう、これ以上は見ていられない。メリッサは細心の注意を払い、音を立てない様に、そっとその場を立ち去った。彼女の後姿を視界の端に捉えたサミュエルは、愉悦の笑みを湛えながらゾエを押し倒した。





◇◇◇





部屋に戻ったメリッサは、深呼吸をする。もう、このフォンティーヌ侯爵家には、自分の居場所が無いと悟った。亡き母を思い浮かべ、思わず声が出た。



「助けて…」



(すが)る様な声は、静かな室内に吸い込まれるように消えていった。手を差し伸べる者など誰一人として居ないと、改めて実感する。結局は、今までと変わらない辛い日常が過ぎていくのだと、肩を落とした。心を落ち着かせる為に、お茶を一杯入れた。テーブルに着くと、そこに置いてある、あの本を手に取った。(おもむろ)に頁を(めく)ればと、美しい(しおり)が挟まった所が開かれる。木の葉は明るい日中でさえ分かる程、真珠色の光を湛えていた。(わら)にも(すが)る思いで、それを掴み心から言葉を紡いだ。



「願えよ、さすれば門は開かれん」




けれど言葉は宙に消え、特に何も起こらず少々拍子抜けした。幾ばくかの時間を経て、羞恥から乾いた笑いが込み上げてきた。切羽詰まっていたからといって、こんな得体の知れない物に頼ろうとした、憐れな自分を詰りたかった。




「…ふふふ、ふふっ。何を期待したのかしら」



笑い声が収まる頃には、気持ちが落ち着き、これからどうしようかと冷静になる。



その時だった。



ふと窓の外に違和感を覚え、目を凝らして見れば、バルコニーに続く窓から虹色の光が差し込んでいた。カチャリと窓を開けてバルコニーに出ると、そこには人一人が乗れる程度の小さな無人の馬車が止まっていた。薄っすらとした若草色の馬が繋がれた一頭立ての馬車は、円を描く車輪に流線形の屋形部分が美しく、思わず目を瞠った。そんな中、目の前で独りでにスーッと開く扉に、メリッサは吸い込まれる様に入っていった。





◇◇◇





神隠しのように、メリッサが忽然といなくなった。




あの日、サミュエルは中々戻ってこないメリッサに、今までにない悦びを感じていた。きっとメリッサは嫉妬に震え、サミュエルに心配を掛けさせようとしているに違いない、婚約者が見せた今までにない悋気(りんき)に、仄暗い高揚感が身体中を支配した。だが、一転して絶望の淵に落とされたのは、侍女にメリッサを呼びに向かわせてからだった。何度ノックしても応答がない為、侍女は外から扉を開けた。そこにメリッサは居らず、整えられた寝台から察するに、戻った形跡もなかったと言うのだ。クローゼットからも、何も持ち出されていなかったと聞く。全てが後手に回る侯爵家に苛立ちながら、日が暮れるまで屋敷の敷地内を隈なく捜索させた。


だが、その甲斐もなくメリッサは見つからなかった。サミュエルが焦る一方で、フォンティーヌ家の人々は、これ幸いと喜び、メリッサを死んだ事にしようとしていた。そうしてサミュエルとの婚約を、ゾエに()()えれば二人でフォンティーヌ家を継げるし、全ては収まると提案してきた。




サミュエルは、それを受け入れた。




だが、流石に体裁を気にしなくてはと、ゾエとの婚約は先に延ばそうと提案し、フォンティーヌ侯爵家もそれに賛成した。こうして失踪とされていた、メリッサ・フォンティーヌ侯爵令嬢は侯爵家から籍を抜かれ、16歳という若さで、このジラール王国から存在が消える事になった。





◇◇◇





メリッサが失踪した翌日、サミュエルは、彼女の部屋へと訪れようとしていた。そんなサミュエルに対してゾエは、彼の腕に絡みつき甘ったれた声で囁いた。



「そんな面白くもない所に行くのは止めましょう?お茶の用意をさせたので、私の部屋へおいでになって」



そう言うと、上目遣いで強請って来た。サミュエルは吐き気しか感じなかったが、拒めばメリッサの部屋へ入る事も、ましてやフォンティーヌ侯爵家へ来ることも容易にできなくなると理解していた。メリッサの情報が少しでも欲しかったサミュエルは、振り払いたい手を何とか我慢し、ゾエの髪を()きながら話した。



「後に結ぶ私達の新たな婚約に、邪魔になる物が残っていないか確認したいんだ。ここにいるのが嫌なら、君は先に戻り部屋で待ってて欲しい。大丈夫、すぐに向かうから」



すると、ゾエは頬を赤らめ(うつむ)く。



「わかりましたわ。では先に行って、サミュエル様を完璧に、お迎え出来る様にしておくわ…ね」



侍女を連れて、さっさと自室へと向かって行った。




サミュエルは、これで、ゆっくり調べる事が出来ると胸を撫で下ろした。



「一粒も零さない、君の手がかりを」



独り言は、薄暗い廊下に呑み込まれた。





初めて入るメリッサの部屋を目の前にし、こんな状況だというのに胸が高鳴ってしまった。質素な扉を開ければ、部屋は思ったより狭く、愕然とする。室内は荒らされた様子はなく、テーブルには飲みかけの紅茶が入ったカップが、そのままにされていた。そのカップは装飾はおろか、受け皿もなく地味なものだと気付く。よく見ると、口部分が少し欠けていて、令嬢が使う物とは、到底かけ離れていた。


備え付けのワードローブと粗末な寝台が一つあるだけで、調度品は何も無く、その事で狭い部屋が広く感じる程だった。唯一の収納家具であるワードローブを開けると、まるで侍女のお仕着せのような綿素材のワンピースが数着入っていた。端に置いてあった宝石箱と思われる、木箱を開けて更に吃驚(びっくり)した。残されていたのは、子どもがつけるような安物の髪飾りが二つだけ。サミュエルがメリッサに贈った、幾つかのアクセサリーですら、一つも入っていなかった。宝石箱の上に埃が積もっており、急いで持ち出したのではないと分かる。普段から飾り気のないメリッサが、着けて居なくなったとも思えなかった。だとしたら、どこへ消えたのだというのか。



美しく飾られた花や絵画、室内を照らす煌くシャンデリア、上質な生地を使った寝具や流行りのドレスなど、侯爵令嬢の私室にならあるであろう品々は何一つなく、怒りを超えて笑いが込み上げてきた。この家でメリッサはどんな扱いをうけていのだろう、そしてそれに気づかなかった自分にも腹が立った。



(およそ)その人物達に見当はついたが、今は虐げていた人物や宝石泥棒を探すより、失踪の手がかりを見つける事が先決だ。




メリッサに手を下していいのは、自分以外にありはしないのだと、歪んだ想いが心渦巻く。何も見つからない状況に、歯噛みしながら再度欠けたカップが目に入る。先程は見逃してしまっていたが、その横に開いたままの古ぼけた本があるのに気づいた。




―――願えば、道は開かれん



開かれた頁に目を落とせば、誰もが知っている有名な昔話だと分かる。





「ジュール王子の花嫁…か、くだらない御伽噺だったな…」





何故か、その一文が気になり、本から目が離せなくなる。不意にカタリと風が窓を鳴らし、その音に導かれる様にバルコニーへと出る。ジリリと肌を焼く初夏の太陽が眩しく輝き、白いバルコニーを照り付けていた。



こんなところに居ては堪らない…と思い足早に部屋に入ろうとした時、視界の端に何かを捉えた。




((ひずめ)の跡…?何故こんなところに)




人力では抗えない何かを感じ、次に調べるべき物を理解した。










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