96:女子会
「あら、久しぶり。お茶ならあたしも混ぜなさいよ」
広場のカフェで話そうとしたとき、アイシェがやってきた。許可を得ることはせず、勝手に椅子を持ってくると腰を下ろす。
「最近見かけなかったけど、元気そうでよかったわ」
アイシェは頼んだ細長いクッキーを二つに折ると、おいしそうに食べる。その姿を見て、ぬいも同じものを口に入れた。ミレナはカップ片手にお茶を飲む。
「アイシェちゃんも、変わりなさそうでよかったよ。あれからお店の手伝いしてたの?」
「そうよ!いろいろと大変だったんだから。でも、うまく価値を示せば、家に帰らずに済むかもしれない」
国という言い方をしないのは、それほどまでに家が嫌だからだろう。ぬいはその気持ちを痛いほど理解することができ、深く頷いた。
「なにかあったら、手伝うから言ってね」
「ええ、わたくしも」
二人がそう言うと、アイシェは新たなクッキーを折った。
「気持ちは嬉しいけど、あんたたちは自分のことで忙しいでしょ?ま、なにかあったらお願いね」
アイシェは次々とクッキーを口に放り込む。今のぬいよりも食べるスピードが速い。気に入っただけではなく、元々甘いものが好きなのだろう。
「それで、ヌイさまのお話とはいったいなんでしょうか?」
ミレナが話を変えると、アイシェは手を止めた。話の内容を予想してか、どことなくニヤニヤしている。
「その……これなんだけど」
ぬいは指輪を指した。その色を認識した瞬間、ノルのことを思い出してしまう。
「この幸せ者が。にやけてんじゃないわよ」
軽くアイシェに小突かれる。その軽いじゃれ合いに、穏やかな気持ちを覚えながらも、指摘されたせいか顔が赤くなる。
「えっ、わたしそんな顔してた?」
「はい。取り繕わず、制限されず。本当の表情でした」
ミレナにも肯定され、少し抑えようとぬいは口元に力を入れる。
「……う、あのさ。指輪を交換し合う風習?みたいのって、この国じゃなくてもあったりする?」
「水晶国では様々です。指輪は女性側が送られることがありますが、多くはないです。形にこだわりはありません」
ぬいはノルの母が、指示棒のようなものを持っていたことを思い出す。
「身に着けやすい、または無くしにくいものを重視します」
「なるほど。ちなみにわたしの国では何もないか、指輪の二択だね。だからトゥーくんは後者を選ぶはずだよ」
ぬいがそう言って微笑みかけると、ミレナは恥ずかしそうに笑った。
「あたしの所では魔道具よ。形は同じく重視せず、いかに力が込められているかが重要ね。ようはどれだけ金をかけられたかってことだけど」
アイシェはあまり興味なさそうに言った。ぬいの話や水晶国のときとは、大違いである。
「そっか、まずアイシェちゃんに頼みたいんだけど。ネックレスみたいなものって、手に入る?」
「あると思うけど、魔道具としての価値は期待できないわよ。値段は……そうね、あんたがちょっとただ働きすればいいくらい」
提示された金額はそう高いものではない。色や形の説明をし、後日アンナの家へ受け取りに行くことになった。
「水晶装具の方なんだけど、こっちの方が問題だよね……」
渡された指輪を見る。どう見てもいいものを使われていていることが分かる。ぬいの所持金で同じものを用意することは、確実に不可能だろう。
「問題はないですよね?以前教皇さまから渡された水晶を使えばいいのでは?」
不思議そうにミレナは尋ねた。
「えっ、あれ勝手にバラしていいものなの?」
ヴァーツラフは無造作に渡したが、どう見ても価値ある水晶だ。それを勝手に砕いて使うのは、さすがにためらわれる。
「家に置いておくためなら、そのままでいいでしょうが、スヴァトプルク家には既に同じようなものがあると思います」
アンナやシモンの家にある水晶のことを指しているのだろう。家が大きければそれだけ水晶の大きさも変わってくる。
「持ち運ぼうとしても、あの大きさは加工するのが基本です」
そう言うと、ミレナは懐から小ぶりの水晶を取り出した。細長く整えられきれいに磨かれており、金色のチェーンが取り付けられていた。
「最もわかりやすいのはノルベルトさまの杖や、トゥーさまの剣ですね」
「そういえば、初期のトゥーくん帯剣してたよね。最近見なくなったけど、あれどうしたの?」
「細かい理由は存じませんが、なんだか気恥ずかしくなったと言っておりました」
「……なるほど」
少年の夢のようなものが詰まった水晶の剣。記憶を取り戻した今、ひけらかすことはしたくなくなったのだろう。
「わたくしてっきり支度金代わりに、教皇さまの水晶を受け取ったのと思っていました。すみません、説明不足でした」
「ううん。謝らなくていいよ」
ぬいが水晶装具を持ち歩いていないことに、薄々気づいていたらしい。
「素材はなんとかなるとして。問題はどこで加工してもらうかだよね……」
いくら元が良くとも、職人側の腕がなければ粗悪品が出来上がってしまう。
そうでなくとも、ヴァ―ツラフから貰った水晶は大ぶりで、加工にはある程度の技術を要するはずだ。今の所持金を考えると、かなり厳しい。
「それでしたら、わたくしが紹介いたします」
ミレナが言うところはきっと、神官か皇族御用達のところだろう。ぬいはぶんぶんとかぶりを振った。
「無理だよ。それこそあの水晶を丸ごと売り払うとかじゃないと」
支度金代わりと言っても、人から貰ったものをそのままお金に換えるのは抵抗があった。
「そのくらいは、と思いますが。それではヌイさまが納得できないでしょうね」
「もちろんだよ。だからと言って、借金まみれになるのも嫌だし、わたしにできることは大してないし」
トゥーのように力があればどうにかなっただろう。まさかここにきて力とお金のなさに後悔するはめになるとはと、ぬいは頭を抱える。
「いいえ、落ち込む必要はないです。ヌイさまにしかできないことがあります」
本来であったら、降ってわいたような話に喜ぶべきだろう。だが、ミレナの顔はどことなく浮かなかった。
「命の危険があるとか?」
以前であれば平気で挑めただろう。だが今となっては、そんなことできるはずもない。
「その、これです」
ミレナが取り出したものは、どう見ても教典であった。
「同じくらいの分厚さの、ある書物があります。そこには教皇さまに、理解していただきたいことが書いてあるのです。歴代の案内役が書き連ねたものでして。それを一字一句読み聞かせ、理解させて欲しいのです」
確かに文章量が多く、ためらわれるのも理解できる。だが、それほど価値にあることなのだろうかと、ぬいは首をひねる。
「教皇さまは人間のことを理解できないときがあります。ですが、それではこの先とても困ると思うんです」
人間になったとは聞いたが、今のところそれらしい行動はとらない。食事を摂る様子や、汗をかいたりなどもしていない。ようはなれる要素を手に入れただけで、現在変わったことはないのだろう。
「というのは本音でもあるのですが。案内役の話を聞いて欲しいとの、鬱憤でもあります」
「理由はわかったけど、なんでわたしなの?言うだけなら、誰だってできるよね?」
聞いてから、すぐに思い当たった。おそらく弟の存在だろう。だからといって、ぬいの言うことを素直に聞くようには思えない。
「異邦者の言葉は、比較的理解に努めようとする傾向がありますので……その嫌でしたら、別の方法を」
「ううん、やってみるよ」
ぬいは薄々ヴァーツラフの正体に心当たりがあった。この国が元の世界でどういう位置づけなのかも、知っている。弟が行っていたことは逐一情報を得ていたからだ。だからこそ、彼を人間らしくしてあげたいと思った。
それが叶うのはいつになるかわからない。一人の力では届かないかもしれない。それでもやり遂げようと、ぬいは決心した。




