93:我慢の限界
R15回につき、ご注意を。
初日に泊まった街に戻り、いよいよ旅路の終わりは近くなってきた。一度通ったからか門では何も言われず、ぬいのことを見もしない。同じ宿かと思えば、今度は違うところを選ぶらしい。
「こっちは君の部屋だから、ここにサインしてほしい」
ノルに紙を渡される。
「あれ、行きみたいに同室じゃないの?」
何の含みもなく、純粋に不思議に思って質問した。
ノルと恋人になる前も同じ部屋だった。余計に費用がかかってしまうし、帰りもそうであると思っていたからだ。
「……ヌイ、また同じことを言わせる気か」
「ん?わたしはノルくんのこと意識してるよ。ちゃんと……その、そういう関係になったんだし。問題ないよね」
するとぬいの肩を掴み、深く息を吐いた。
「大有りだ!そのことではない」
ノルは顔を赤くして憤慨すると、耳元に口を寄せる。
「恋人と一晩同室で、我慢できるわけないだろう」
その低く甘い声にぬいはその場に座り込んでしまいそうになった。ノルは体を離すと、どこか悪そうに笑う。ムッとしたぬいは負けじとノルの腕を引っ張ると、できるだけ背伸びして囁き返す。
「ノルくんはずっと耐えてきた。だから、別にいいよ」
頬に熱を帯びるのを感じる。体を離すと、ノルは呆然としていた。そして、何かのスイッチが入ったのか感情がすべて抜け落ちたようになる。
後ろを向き、宿泊の手続きを進めると、ぬいの手を掴み、強引に部屋まで引っ張っていった。
扉が閉じられた途端、ぬいの体と両手は壁に押し付けられ、身動きが取れなくなる。顎を掴まれ、上を向かされると何度も口付けられる。ここまでは今までしてきたことであるが、余裕がないからか、かなり性急である。ぬいがその合間に苦し気に息を漏らすと、激しさは少しだけ抑えられる。
しかしそれでも耐えがたかったのか、空いた手で背中から腰のあたりまで撫でまわされる。水晶車内の時のような軽い戯れではなく、ぬいは背筋にぞくぞくとしたなにかを感じた。
やがて、名残惜しそうに顔が離された。
「これが最後の警告だ。逃げるな今だ」
ノルの瞳は熱に浮かされているようで、どこか苦しそうである。下心をどうにかして鎮めようと、必死なのだろう。だというのに、この段階においても、逃げ道を用意してくれる。ぬいはその優しさに報いたかった。
「逃げないよ」
しっかり目を見て言うと、ノルは首を振った。
「神との誓いは守る。けど、破らない程度にはしてしまう。それがヌイにとって拷問のようであっても、止めることはできない。それでもか?」
飛び出してしまいそうな鼓動を感じながら、ぬいは同意した。
◇
朝、目が覚めると隣にノルはいなかった。起き上がって探してみると、案の定ソファーで寝ていた。
「こんなところに寝かせちゃって、ごめんね」
謝罪の言葉を口にするが、起きる気配はない。いっそ無理やり持ち上げて連れて行こうと、体に手を差し込むがもちろん動く気配はない。御業を使う手もあったが、今のぬいはそこまで頭が回らなかった。
「……はぁ……う、わたしって、本当に体力ないね……」
密着したことによって昨晩のことを思い出し、羞恥で頬に熱を感じる。どこかに隠れてしまいたいとあたりを見渡すが、そんな場所はない。
途中で力尽きて寝てしまったことの自覚はあった。わかっていたことであるが、二人の差は大きい。
「ノルくん」
呼びかけてみるが、もちろん返事はない。近寄ると、そっと髪を撫でながら寝顔をまじまじと観察する。ノルはぬいのことを好みの容姿だと言ってくれた。今となれば、ぬい自身もノルを形作るすべてが好ましく感じる。
ようやく言っていた意味を理解し、ノルの頬をなでると少しだけ表情が和らぎ、愛おしさがこみ上げてくる。これまでは向こうから一方的にされるがままであった。けれども、今は自分がなにかをしてあげたいという気持ちにかられる。
前髪をかき上げると、よくノルがするように額に口付ける。与えられるものも心地よいものだが、与える方も満たされるのだと。そう気づいたぬいは、頬にも同じことをする。
「……ん……」
掠れ気味の声が聞こえたと思うと、ぬいは腕を引っ張られる。抵抗できず、上に重なるように倒れ込んだ。
「うわっ……と、ノ、ノルくん。起きたの?さすがに重いと思うから。手、放して」
背中に腕を回され、完全に密着する。昨晩よりも余程距離が近い。押し付けられた上半身は固く、よく鍛えられている。体格差を身をもって理解してしまい、いたたまれない気持ちになる。
「重くない……問題ない」
どうやら一応意識はあるらしい。いつから覚醒していたのだろうと、ぬいは疑問に思う。しかし勝手に口付けたことに関して言及はされていない。もし気づいていたのであれば、ノルはすぐに起きていたはずだ。
「今はよくても時間が経つにつれ、辛くなるよ」
「ヌイを近くに感じて……心地よい」
ノルは聞く耳を持たず、さらに強く抱きしめてくる。
「本当に朝が弱いんだね。仕方ないなあ」
しばらくそのままにさせておくが、いくら時間が経っても離れることはない。腕は少し緩んできたが、まだ抜け出せることはできなかった。顔を横に向けると、端正なノルの顔が見える。幸せそうに目を閉じる姿に引き寄せられ、ぬいはまた頬に口付けた。
「……え」
すると、ノルの目が開かれた。まだ眠そうであるが、大分覚醒したように見える。
「寝ている間は卑怯だったかなって、そう思って」
照れながら笑うと、背中に回された腕は力なくほどける。ぬいは体を浮かせるとノルの顔に手を伸ばす。前にされたように唇を指で撫でると、そのまま自分のものを押し当てた。
「は……え……一気に目が覚めた……」
ノルの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。ぬいも同じような顔をしているだろう。
「そっか、ノルくんを起こしたいときは、こうすればいいんだね」
仕返しが成功したことにほほ笑むと、よりノルの頬が赤く染まっていく。
「おはよう、ノルくん」
「ああ……おはよう、ヌイ」
そう言うとぬいは体を離し、背を向けると身支度をはじめた。大胆な行動を取ったことによる照れを隠すためと、ノルを翻弄することができた喜びをかみしめるためである。
視界に見えるノルはどこか恍惚とした表情浮かべており、しばらく動かなかった。




