92:罪を認める
「はあ、本当にだめだな。僕はまだ精進が足りないらしい。ヌイ、今後本気で嫌だと思ったら、容赦なく殴ってくれていい」
「むっ、むりだよ……大事な人に暴力なんてふるえない」
ぬいが首を振って拒否すると、ノルは感極まったのか、かすれた声をもらす。
「っく、そうだな。ヌイはそういう人だ」
「ノルくん鍛えてるし、わたしが弱いパンチをしたくらいでどうにもならないよ」
むしろ逆に手を痛めてしまうだろう。その未来を予感し、手首をさする。ノルもそれに気づいたのか、確かにと同意した。
「御業を使うのはどうだ?目の前に壁を作ればいい」
「うっ、わたしノルくんの顔くらいのサイズしかできないよ」
「いや、今なら……一度試しにやってみれほしい」
何度も頼まれ、ぬいはしぶしぶ両手を組んだ。
「我らが神たちよ、この小さき者は減衰を拒む」
省略せず、真剣に聖句を唱えた。いつも違う手ごたえを感じ、目の前に手を伸ばす。
「あれ?もしかして」
手を上下に移動させ、大きさを確かめる。
「やった!ノルくん!わたしはじめてこんなに大きくできたよ」
あまりの喜びに破顔する。
「すごいじゃないか、よくやったな」
まるで自分のことのように、喜んでくれている。ノルに手を伸ばしたかったが、今は壁が邪魔をする。横から通れないかと思い、探ってみるが終わりは見えない。
縦だけではなく横にも長いらしい。ノルと触れ合えないことから、途端に成果物が煩わしく感じる。
「ヌイ」
ぬいが壁に手をついた箇所に、合わせるように重ねてくる。しばらくそうしていると、やがて壁は消え直に手が触れ合った。そのまま指を絡ませられると、見つめ合う。
「いいか?僕やそうでない人に対し、今のように身を守ってくれ」
そう言って、耐えるような表情を浮かべると、ノルはぬいを抱き上げその場に座った。もちろん膝に乗せた状態である。
「でも、ノルくんが顔をぶつけて痛い思いをするのは嫌かな」
「……僕はヌイに壁を押し付け、ぶつけた罪がある。その仕返しだと思ってくれ」
「うーん」
ぬいが渋ると、ノルは目を細める。
「だめだ……どうしても、ヌイに関しては歯止めがきかなくなる。なにか別の話をしてくれ」
「あ、うん。えっと、どうして御業がこんなに成功したかわかる?」
「理由は二つある。一つ目は単純に信仰が深まったということだ。身内だろうとなんだろうと、神である存在を意識した」
言われた通り、かつてないほど考えていた。それが元の世界の人間という意味か、弟という存在に対する敬意からかは不明である。
「そして教義に沿った行動をした。伴侶から受ける愛に応え、報いよと。もちろん僕も同様だ」
ぬいはまだ細かい教義について、理解していない。そんなものもあったのかと、はじめて知った。
「もう一つはこれだ」
ノルはぬいの指にはめられたものを撫でた。
「水晶の触媒がなくとも御業は使える。だが、あった方が精度が上がる」
向けた視線の先にはノルが父から受け継いだ杖がある。ふとぬいは思った。なぜノルは指輪をつけていないのだろうと。
もしかしたら、交換し合うという文化がないのかもしれない。ぬいは今度別の人に聞いてみようと思った。
「今後は他のものがあろうとも、僕があげたものを使って欲しい」
無くしてしまっては嫌だと、ぬいは腕輪を置いてきた。だが、言い方がどこか引っ掛かる。
「わたしノルくんからもらったもの以外、持っていないと思うけど」
そもそも触媒など意識したことがない。
「さすがにそれはないだろう」
ノルに否定され、ぬいはうなりながら考える。
「あ、思い出した!確かヴァーツラフが、すごく最初の方にくれた気がする」
どう見ても高価そうなそれは貰ったあと、部屋の奥底にしまってある。ミレナはしまう前のそれを見て、説明されたのだと思ったのだろう。
それにヴァーツラフ自身も必要であるからと言って、渡していた。そもそもノルが使用しているのも、アンナの家で使ってもいるのも見ている。どう考えても悪いのはぬいである。
「それはそのまま置いておいて欲しい。ヌイの使うものはすべて僕が用意する」
どこかノルは不満そうに言った。不思議そうに首をかしげると、ノルはぬいを膝から下ろすと手を組んだ。
「我らが神たちよ……迷える心を断絶せよ」
なぜかノルは聖句を唱えた。
「えっ、それ自分にかけていいものなの?大丈夫?」
「僕は教義を違反していないし、どうこうなるものではない」
そう言う通り、ノルに変化は見られない。
「だったら、どうしたの?」
「敬虔な信者であり、神の意思に沿うことを自覚するためだ」
ようは落ち着くために唱えたのだろう。
「今後も身を守るために練習は必要不可欠だ。ヌイがよければいつでも手伝おう」
ノルから与えられる純粋な好意と愛情。絶え間なく注がれるその想いにあてられ、ぬいはずっと抱えていた罪悪感に苛まれた。
「あのさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
深刻そうな声色で切り出すと、ノルは居住まいを正した。
「その、わたし……綠が鍋島くんのことを、好きだったとは思わないの?」
「ないな」
ノルはきっぱりと断言した。本人よりも、確固としたなにかに気づいているようである。
「えっ、なんでそんなにはっきりと言えるの?」
ぬい自身さえ、明確な答えが出せていないものである。今は確実にノルのことが好きだと断言できる。ぬいがトゥーをと問われれば友人としか思わない。
だが、綠が鍋島をとなれば微妙なところである。
「君とあれは合わないからだ。まあ、これは僕の願望も入っているが」
「ううん、そんなことないよ。でも、合わなくても好きになることはあるよね?」
「僕はヌイの過去を見ている。だから言えることだが……互いに死の淵をさまよった戦友が先に死んでしまう。それに引っ張られるのは、そうおかしいことではない」
ノルはぬいの頬へ手を伸ばす。
「家族、恋人、夫婦。親友や同僚。ただの知人だったとしても、ある程度の思い入れと、弱った体さえあれば死に魅入られてしまう」
この街や国で大きな戦争が起こったという話は聞かない。つまり、そのような経験をした人物がノルの近くにいたのだろう。
「だからこそ、恋情で後を追ったわけではないと断言できる」
胸を張って言い切られたおかげで、ぬいの心の底にあったもやもやが晴れていく。
「ずっと、気に病んでいたんだ。ありがとう、ノルくんを好きになれて本当によかった」
頬に当てられた手が顎へと移動し、上を向けられる。そのまま顔を近づけられたところで、ぬいは突っぱねた。
「待って!なんでノルくんはわたしが元の世界で死んだって、わかったの?」
過去映しで見られたのは途中までである。綠の命が風前の灯火となった状態は見ていない。ぬいが手を離すと、案の定ノルは不機嫌な顔をしていた。
「あの状況で倒れたとなれば、予想くらいつく」
「確かに」
あれは弟が取り乱すところをみられたくないと、干渉した結果だろう。ぬいとしても、弱り切った自分を見られるのは避けたかった。
「さて、罪を償ってもらおうか」
悪そうな笑みを浮かべると、ノルはぬいの体を引き寄せる。
「えっと、どういうこと?わたしなにかした?」
「散々焦らしたあげく、恋人の前で因縁ある男の話題を出したからだ。罪を償う者も、また償われる側も見届けるべきであると、教皇さまも以前おっしゃった。君は教義を違反する気か?」
間近で話されたため、顔に吐息がかかる。そのくすぐったさにぬいは目を細めた。
「これが、いわれのない罰ってやつなんだね」
以前ノルとしたやり取りを再現する。
「いわれはあるな。いい加減認めた方がいい」
ノルもあの時のことを思い出したのか、のってきた。
「うう……わかったよ。罪を認めます」
今度は突っぱねることはせず、されるがままに身を任せた。




