89:夢見心地①
二人は手を繋ぐと、並んで歩いていた。その行程は遅く、誰からも邪魔されたくないという意思の証であった。
「もうすっかり暗くなっちゃったね。このあとはどうするの?」
見上げながら尋ねると、ノルは手をそっと握り返してきた。
「ああ」
うっとりした表情で、ぬいのことを見つめながら返事をする。
「ノルくん、わたしの言ってること聞こえてる?」
「もちろんだ」
返答はするが会話にならない。何度ぬいがそのことを指摘しようが、対応は同じであった。
どこか夢見心地で、ひたすらにまっすぐ見つめ続けてくる。偶にしまりのない笑みを浮かべたかと思うと、すぐに真面目な表情になるが、またすぐに戻る。
足取りは軽く、あまりにも浮足立っているのか、たまにぬいよりも早く前に出てしまい、その都度速度を緩めている。普段のノルであれば、そこまで気が回らないことにはならないだろう。
――つまり、どう見てもノルは浮かれていた。
話しを聞いてくれないことに関して、特に不満はない。そう思える程度に、同じく浮かれていたからである。
あからさまな態度にむず痒さを覚えながらも、ぬいには一つ懸念があった。ノルの姿は、かつてのミレナの姿を彷彿とさせるどころか、それ以上だった。
その予感は的中し、ノルは段差に足を取られると体が前傾する。手を繋いでいたため、当然ぬいも引っ張られる。受け身を取ろうと手を伸ばし、目をつぶる。しかしついた先は先は固い地面ではなかった。
「背中強打したよね?大丈夫?」
ぬいは上に覆いかぶさるようにして、片手をノルの胸の上についていた。こんな状況になっても、繋いでいた手は離されず、固く握りしめられている。
「この程度、問題ない。それよりも……」
すぐにノルは体を起こそうとしたが、ぬいは体重をかけてそれを阻止した。そのまま指を鼻梁に突きつけ、グリグリと押し付ける。初対面時の仕返しを少しだけすると、ぬいは聖句を唱えた。
「わたしのだけじゃ、頼りないから。ちゃんと自分で御業を使ってね」
その行動を嬉しく思ったのか、言う事を聞かずに起き上がろうとする。伸ばした腕から、抱きしめようとしたのだろう。ぬいは胸元を押して同じことを告げると、ようやくノルは言う通りにした。
「すまなかった。あまりにも嬉しすぎて、情けない失態をしてしまった。僕のことよりも、ヌイにケガはないか?」
肩を掴むと、上から順に確認される。その視線が下に移動すると、ノルはぬいの足を手に当てた。
「ここに傷がある」
ノルが指摘した個所はぬい自身も気づかないような、薄い切り傷であった。おそらく麦穂の間を駆けたときにできたのだろう。
「もしかしたら別の場所にも」
そう言うとノルは足を持ち上げようとする。
「待って、待ってってノルくん、なにかあったらちゃんと言うから!」
頭を手で押して抵抗するが、止めれるわけがなかった。
「動くな」
固い声が聞こえると、ノルの首元に剣が突きつけられる。
その主を見上げると、服装からして国境に居る門番であった。ただし二人を見送った人ではない。騒ぎを聞きつけてここまでやってきたのだろう。
「すみません!襲われてるとかじゃないんです!」
片足を掴まれスカートに手をかけられている。心配している形相は、他者から見ればなにかを企んでいるようにも見えていた。
ぬいは何度もノルの無実を訴える。しかし眉間の皺が深まるだけで、突きつけられた剣は動かない。命がかかっていることから、必死にぬいは弁明し続けた。
「なんの用だ?邪魔をするな」
ノルは横やりを入れられたことを不満に思っているのか、門番をにらみつけていた。そのせいで余計に悪人面らしさが強調され、より疑いは深まっていく。いつもであれば、もう少しマシな態度をとっていただろう。だが今のノルはぬいに夢中で、今一つ周りが見えていない。
失うことを恐れたぬいは、ノルに飛びつくように抱き着いた。首を保護するように腕を回し、頭を手で覆う。
「誤解させて、すみませんでした!わたしの、大事な人なんです。傷つけないでください」
凶器に臆せず、全身を駆使して守ろうとするその行動に、ようやく納得がいったのか、門番は刃をおろした。




