84:好意の再自覚
いよいよすべての準備を終えたノルは、待ちきれず街中へと繰り出した。
日が落ちるまで待った方が確実に会えるだろうが、そんなわずかな時間も惜しかった。前と行動を変えていなければ、きっと公園にいるはずである。
案の定彼女は目論み通りの場所に居た。しかも一人である。この短期間に、別の存在と仲を深めていたらと何度も考えていたが、杞憂だったようだ。ノルは胸をなでおろすと、ゆっくり前へと近づく。
確かに一人ではあったが、やけに幸せそうに眠っていた。横には何かを食べたあとが残っている。口元はきれいに拭われていて、触る理由を作らせてもくれない。
その安らかな寝顔はかわいらしいものだが、徐々に腹がたってきた。まだ好意を告白していないというのに、自分と同じくらい想っていて欲しいと。
悩んだ末、ノルはぬいの鼻をつまむことにした。案の定すぐに目を覚ます。口も塞げばよかったと言うと、息ができないと普通に返された。
そういう意味ではなく、ぬいには通じなかったらしい。その唇に誰か触った者はいるのだろうか。そんなことを考えると、嫉妬心から冷たい態度を取ってしまう。
最終的には記憶まで疑われてしまい、さすがに酷かったと思い直す。遠回しではあるが、好意を持っていることを告げる。
さすがにそれは伝わったらしく、ぬいの顔が赤くなる。ずっと求めていた表情だったが、すぐに顔を隠してしまった。
もう一度見たいと思い、ねだるが拒否される。ならばと思い、体調を心配するふりをしながら距離を詰める。完全に密着しては逆に離れてしまうだろう。適度な距離を開けて、ぬいの背中をさする。
体調不良は御業を行使しすぐに治せる。それをわざわざ心配するのは、余程仲のいい存在が家族だけである。
もっとも貴族として表に出ている場合、それも憚られるが今は誰も居ない。きっと、ぬいはそのことに気づいていないのだろう。
――お互いの体を気にかけ合う。そんな存在ができたことにノルは歓喜していた。
以前ぬいに心配され世話をしてもらったのも、今となってはいい思い出だ。必要ならば次は自ら毒をあおるだろう。
ようやく顔をあげてくれた彼女の顔は愛らしく、自然と本音が出た。その反応から、この先もっと褒めていこうと心に決めた。
素直に言えば言うほど、彼女は照れてくれる。感情に振り回される様子を見て、ノルは恍惚感を覚える。自分の発言でこれほどまで取り乱してくれるのだ。
ただ一つ不満なのが以前のように、気軽に触らせてくれなくなったことだ。さりげなく手を掴もうとしても、それすらさせてくれない。
いい方に言えば意識してくれるともいえるが、まだ取り戻したての感情に振り回されている様子でもあった。
だが以前も今も、ぬいはノルのことを悪く思っていないはずだ。なんでもするという発言に、つい別のことを言いそうになるが、ぐっと堪えた。
旅の話をすると、予想外なことにすぐ断られた。これに関してはかなり落ち込んだ。様々な理由があろうとも、彼女が旅にあこがれているのは事実である。
すねていると、ぬいが慰めにきてくれた。どうやら感情や神経が過敏になっているらしい。その状態で手を出したら、どんな姿を見せてくれるのだろうか。そんな劣情が脳裏によぎる。
だが、真剣に機嫌をとろうとしている彼女を見て、その感情はなんとかしまい込んだ。
ぬいのことはできるだけ大事にすると決めている。ここまで我慢してきて、一時の感情に流されてはいけない。ノルは己を律した。
今回の旅でぬいの願いである、世界を見ることは無理である。だが、彼女がスヴァトプルク家の一員になればそのうち時間ができるだろう。守りながら二人きりで旅をするのは悪くない。
きちんと旅の理由を話すとすんなり納得してくれた。こうして短い二人旅ははじまった。
一日中起きても覚めても、愛おしく思う存在がそばに居る。この生活は天国でもあり辛くもあった。特に寒さが身を襲っても、うかつに抱きしめられないことである。
想いが通じ合ったあとならば、ずっと彼女のことを離さなかっただろう。
だが、今の二人の関係はなんでもないものである。心配され、意地を張ってしまうが結果的にはぬいから抱きしめてくれた。
自発的にそのような行動を取ってくれたことは、一度もない。ノルはその嬉しさに心が温かくなった。
いつの間にか寝入ってしまったぬいの体が傾いている。このままの距離では体を打ち付けてしまうだろう。ノルはそっと距離を詰めると自分にもたれかからせた。抱擁よりも距離は遠いが、その長さがより彼女を身近に感じさせた。
御業を使い、周りを警戒できているためノルも寝てしまっても問題はない。だが、少しでもぬいを感じていたいと、眠気を振り払う。
今のぬいはとても穏やかで、小さな寝息を立てている。何の悪い変化もない。だが、一つ大きな懸念があった。快適なあの街を出て、旅に出ると多くの者が罹患するものである。
御業を使ったとしても、よくなるものではない。急な気温の低下と環境の変化から起こる、精神病の一種である。
それがいつ起こるかと思うと気が気でない。本来なら部屋は別々にすべきだろう。混雑にかこつけて、同室を提案するとぬいはすんなり受け入れた。
あまりに抵抗がなさすぎて、何も意識されていないのではと疑ってしまった。
部屋の中でなにか起こることはなかった。なぜなら食事の時からぬいの様子がおかしかったからだ。もしかしたら、もうはじまっているのかもしれない。そう思うと自分の精神すら不安定になっていく。
その夜、ノルは久しぶりに両親が死ぬ夢を見た。これまで何度も見てきたものだが、やはり辛いものである。いつもであれば堕神に対する恨みが湧いてくるが、今はなにも感じなかった。
やがてその夢はすぐに終わる。次に見たものはぬいがトゥーを選んだあげく、事故死するものであった。
今まで見た夢の中でも、群を抜いて最悪なものである。呼吸が乱れ、息苦しくなる。ぬいの叫び声でノルは飛び起きた。
夢か現があいまいな状態で、ノルは混乱する。しかし、すぐ近くに聞こえた悲鳴ですぐに現実を認識した。自分以上に大事な人がうめき声をあげて苦しんでいる。ベッドから飛び降りるとぬいの元へと向かう。
「ヌイ!これは夢だ。起きろ!」
何度も声をかけるが、反応はない。苦しそうに手足を動かし、額には冷や汗をかいている。
「すまない」
ノルはぬいのベッドに腰を下ろすと抱き上げた。軽くほほを触るとようやく目覚めたようだ。
それでも息が荒い。落ち着かせるため、ノルは淡々と事実を語っていく。徐々に落ち着いてきたのか、ぬいと目が合う。こんなだらしない姿は見られたくないと思う。だがあろうことに、ぬいは汗だくになった額を何の抵抗もなく触り、髪をかき上げ頭を撫でる。
どうみても、彼女の方が辛かっただろうに自分のことを心配してくれるのだ。
――そんな彼女のことが好きだと。ノルは再度自覚する。
少しだけ甘え、今度は甘やかそうとぬいのことを抱きしめる。穏やかな眠りに包まれるようにと。彼女が寝たらノルはすぐに自分のベッドに戻ろうと思っていた。
だが、いつの間にか一緒に眠り込んでしまった。




