75:小さな悩み
「で、あんた、ここで何してるの?ミレナにちゃんと謝った?」
アイシェはまなじりを吊り上げ、ぬいを指さした。
「……ごめん、まだなんだ。言いたかったんだけど、止められるし。会いに行こうとしても、見つけられなくて」
しゅんとしながら言うと、アイシェは手を下ろす。
「あー……今、色々勇者さまがらみで忙しそうだったわね」
「それって、女の子絡みのこと?」
「そうよ、あっちこっちに走り回ってる。ミレナは陰ながら手伝ってるみたい」
言いつけ通り、すべてを清算しようとしているのだろう。立ち止まっていた彼の時間が、確実に動いているらしい。
「で、魔道具店で何してるの?あんたには、何の縁もないと思うけど」
アイシェは別の何かを見透かすような目で言った。
「もしかして、アイシェちゃんは見抜けるの?わたしに全く魔法の才能がないって」
「当然よ!あたしは魔法国の貴族なんだから。測定器がなくても、大体のことは分かるわ」
アイシェは腰に手を当てて、胸を張る。
「おおーそれはすごいね!アンナとシモンを助けてくれてるのも、アイシェちゃんかな。まだ小さいのに偉いよ」
ぬいが頭を撫でようとすると、軽く避けられた。
「気安く触らないで。そもそも小さくないし、褒めたってなにもでてこないわよ」
「うん、そう思ったから言っただけだよ」
「あ、あんたねえ……」
アイシェは顔を赤くすると、そっぽを向いた。
「それより!説明なさい!話をそらさないで」
「おっと、そうだったね。わたしが空腹で行き倒れそうになったとき、助けてもらったんだ。で、それ以降ここで働いてた」
過去形ということから、アイシェは察したのだろう。しばらく気まずい沈黙が生まれた。
「ま、まあ、あんたはこの国の貴族になるんだし、もうその必要ないわよね」
「……ん?アイシェちゃんなんのこと言ってるの?異邦者は特別扱いされてはだめなんだよね?そもそも功績どころか、迷惑しかかけてないし……」
自身の所業を思い出し、後半は自重するように言う。
「なんのことって、もしかしてまだなにも言われてないの?」
「なにもって、そもそもそれ誰のこと?」
話がかみ合わず、二人の頭は疑問符で埋められていく。
「そりゃあ……あ、名前知らないわ……その、なんか呪われてて、悪そうな赤髪の人」
「改めて口にするとすごい人みたいだね。あってるけど、もう呪われてないよ。ノルくんのことだよね。ノルベルト・イザーク・スヴァトプルク」
他者から見ても、ノルは悪人顔にみえるらしい。この先あまり言うのはやめようと、ぬいは思った。
「その人と結婚してスヴァトプルク夫人になるんでしょ?そうなったら、他のことなんてしてられないじゃない」
「んんんんっ?え?アイシェちゃん?」
ぬいの声は盛大に裏返る。
「あんなに熱っぽく見つめて、嫉妬して……まだ言われてないの?だったら、これ以上言うのは野暮ね。もう黙っておくわ」
顔を赤くしていくぬいを見ると、アイシェは笑う。
「本当にこの国は面白いわ。その様子だと、うまくいきそうね」
「あのね、アイシェちゃん。なんて言ったらいいのか……その」
彼女はどんなことが起こったのか、細かく知っていない。そもそも相談するような仲でもなく、ためらわれた。
「おかしくなって、たくさん迷惑かけて。しかも、わたしずっと年上だし」
その結果、無難な悩みをこぼす。
「どのくらいかは知らないけど、三十歳差とかではないでしょ?だったら、そんなのただの誤差よ。なにも悩む必要ないと思うけど」
アイシェはなんてことないように、さらっと返す。
「魔法国ってさ、その……」
「そのくらい年が離れた人に嫁がされるのは、まあ地域によるけど、ない話じゃないわね」
弟はきっと、意図してこの国にぬいを送ったのだろう。なんてことのないように言うアイシェから、他国の厳しさが察せられた。
「ちなみに男女両方ともあるわ。それが嫌で逃げ出して、領土間の争いが起きたり」
次々とあげられる恐ろしい話にぬいは身を震わせる。以前気軽に世界を旅したいと言ったが、かなり危険であることが分かったからだ。御業も今一つで魔法は使えない。簡単な護身術のみでは、あっさり命を落としてしまうだろう。
「とにかく、そういうことだからあんたはクビよ。あとは全部あたしに任せなさい。貴重な腕のいい職人だもの、全力で支援するわ」
そう言うアイシェは、先ほどの話とあいともなって、かなりたくましく見えた。
「いつでも遊びに来てくれていいからね」
「勉強。また来る」
アンナがぬいの肩を叩き、シモンが笑顔で言った。




