74:事後報告
「目覚めたか。皆がそなたのことを心配していた」
いつも通り、礼拝堂で祈り続けているのだろうとぬいは思っていた。しかし、姿を現した途端自ら話しかけに来た。その行動に首をかしげながらも、ことのあらましを聞いた。
弟が自分の体を使って現れたこと。トゥーの死の記憶をやわらげたこと。祝福が四人に授けられたこと。堕神の降臨が数年ほどなくなること。そして、ヴァーツラフのことを。
「そう……なんだ、よかったぁ……ほんとうに」
ぬいは力なくその場に座り込む。いくらうまく思い出させないようにしたといっても、いつどうなるかはわからない。ぬいの弟はすべての不安を取り除いたのだ。
「わたしの弟はすごいなあ」
小さく独り言をもらすと、ヴァーツラフも頷いた。その仕草は前とは少し違うように見える。
「ヴァーツラフは人間になったんだっけ?」
「否。変化は見られない。神もそう言っていた」
「まあ、なんだろうとヴァーツラフはヴァーツラフであって、それ以外の何者でもないもんね」
ぬいの言葉に数度瞬きをする。前はこのような仕草をすることはなかった。自覚はなくとも、少しずつ変わってきているのかもしれない。
「まず、人間は食事をする生き物。それだけは覚えておくんだよ」
出会ったばかりのことを軽く非難すると、ヴァーツラフは善処すると答えた。
◇
次の日、ぬいはアンナとシモンの所へ向かうことにした。彼らは確実にいる居場所が分かっているからだ。
なにより、しばらく店の手伝いができずに困っているかもしれない。神官服からいつもの服に着替え、部屋を後にする。
「お、ヌイ。久しぶり!」
ちょうど朝ごはんの時間だったのか、家へ入った瞬間にいいにおいが漂う。
「いいタイミングだね。食べていくといいよ」
アンナも顔をほころばせて、喜ぶ。その暖かな光景に、ぬいは嬉しい気持ちでいっぱいになる。自分の不在を寂しく思い、再会を喜んでくれる人がこの国には何にもいるのだ。心の中で幸福だと弟に告げ、食事をはじめた。
「……あれ、いつもよりすごくおいしく感じるのに、食べれない……」
久しぶりにアンナの食事を口にしたからか、味覚が鋭く感じていた。だというにも関わらず、ぬいの手は止まってしまった。
「同じ量。変なの」
シモンも同意する。
「具合悪いとかじゃないよねえ?」
アンナが心配そうに問いかける。もしぬいがここで具合が悪くなったとしても、御業を使うことができないからだろう。
「特に体が重いとかはないんだけど」
ぬいには何も心当たりがなかった。ただ、今までの量があり得なさ過ぎたのだ。アンナの家では抑えていたとはいえ、今回は劇的な変化である。
「最近仕事も楽になったし、このままくつろいでいていいよ」
その言葉に甘え、ぬいはシモンと世間話をしたり前のように文字の勉強をはじめた。驚いたことに、彼の読解能力はかなり上がっている。
「ねえ、これノルくんからもらった言葉なんだけど。意味わかる?」
もしかしたらと思い、手紙の言葉をかいてみる。
「知らないけど」
「けど?」
含みのある言い方だった。言語の問題というより、伝えるべきか迷っているようだ。
「兄ちゃん、ヌイ。恋人?」
突然投げかけられた言葉に、吹き出しそうになった。それを無理やり押さえつけ、何度かむせる。
「……っ、違うよ!」
真っ赤になって否定すると、シモンは目を丸くする。照れた顔が珍しかったからだろう。
「じゃあ、言わない」
「もしかして、そういうたぐいの言葉だったりするの?」
「知らない。予想だけ」
これ以上突っ込めばいたたまれない空気になってしまう。ぬいは別の話題を出すことにした。
「わたしが居ない間、水晶ってどうしてた?」
「兄ちゃん、家の人。あと、最近なかまきた」
どうやらきちんと手配してくれていたらしい。ぬいは小さくどうしてるのかなと呟き、それに気づいた途端口を手で押さえた。
「そ、その今度お礼を言わないとね!」
慌ててごまかしたが、シモンはどこか遠い目をしている。若い彼らの成長はとても早い。自分の年齢を明確に理解したぬいはそう思った。
「お店の手伝いって、いつからはじめればいい?」
「……んー」
シモンはさらに言いにくそうにしている。嫌な予感がしていると、アンナがやってきた。
「実はね、母国の貴族様が来て、手伝いをよこしてくれるようになってね。その……」
遠回しなクビ宣言であることに気づき、ぬいは愕然とした。この先また前のように四苦八苦するのだろうか。そんな不安にさいなまれる。
「こんにちは!頼んでいたものを……って、え?」
髪を高い位置で括った少女。アイシェが目を真ん丸にしている。名を言おうとしているが、出てこないのだろう。名乗っていないのだから、当然である。そう思い、ぬいが口を開こうとしたとき。
「えっと、リョク……さん?」
まさかの元の名の方を呼んできた。視野狭窄時に見られていたのだろう。
「いいえ、わたしはもうぬいだよ」
そう告げると、心底安堵した声でよかったと言ってくれた。直接関わったのは一度だけというのに、やはり彼女の性根は優しいとぬいは思った。




