72:全ての清算
トゥーとの会話が終わった後、ぬいは背後に居るノルに視線を向けた。少し前までボロボロだった彼は、細かい傷がふさがっているように見える。そのことに安堵し、しっかり確認しなければと駆け寄る。
崩れた瓦礫に足を取られたのか、ぬいは体が宙に浮くのが分かった。受け身を取る余力などない。誰かの声が聞こえたと思うと、意識が途切れた。
「ヌイ!!」
ノルが大声で叫ぶ。すぐ後ろにいたトゥーは混乱しているのか、転移を使うことをしない。目を見開いたかと思うと、崩れるようにその場へと横たわってしまった。
今からノルが走ろうとしても、間に合うはずがない。魔法を使い、体力が付きかけたこの体である。
地面にぶつかる直前。もうだめかと思った時、突如ヴァーツラフが現れ、ぬいの体を抱き留めた。そのことに安堵しながらも、どこか違和感を覚える。
彼にとって異邦者が特別な存在と言えども、能動的にふるまうことはしない。そうせざるを得なかった理由はなんなのだろうと、考える。
未だ接触している二人を見ていると、ノルは軽い嫉妬を覚えた。元から自分が寛大であるとは思っていない。だが、人間でない教皇にすらそのような想いを抱くなど、不信者であると己を戒めた。
「ああ、神よ。今日という日々に感謝いたします」
表情に変わりはないが、その声にはどこか喜びが混じっていた。ノルとミレナは何事であるかと、彼のことをを食い入るように見ている。ぬいは気を失っているのか、ぐったりしていた。
『ようやく完遂しました。おめでとう、諸君たち』
知らない世界の言葉が響く。だがその言葉は発されたと同時に、この国のものへと変換されている。その奇妙な現象に畏怖と神々しさを覚えると、ぬいはゆっくりと立ち上がった。
優雅にほほ笑む彼女は、どうみても本人ではない。おまけに声は男性のものである。そのことに気づいたノルは、睨むようにその存在を見つめる。
『安心してください。姉さんはただ眠っているだけです』
そう言うと、人差し指を口元に当てる。その仕草はどこか蠱惑的で、引き寄せられる何かがあった。ぬいの記憶で見た姿とは大分違うように見える。
『はじめまして。私は彼女の弟です。名はありますが、この世界に吹聴する気はありません、祭り上げてもいけません。どうか、そのことをご了承ください』
綠の時とは違い、丁寧な口調で話しかける。あれは彼にとって特別な、身内だけの話し方だったのかもしれない。そのことに気づくと、一瞬彼の視線を感じた。
『本当は表に出る気はありませんでした。私はこの世界の創造主ではないので』
彼はぬいの体を動かす。体を伸ばし、準備体操をしているようだ。やがて、それが終わると咳ばらいを一つ。
両手を振り上げ動かすと、周囲の瓦礫が浮き上がりすべてが元の位置に戻っていく。その軌跡には可視可能の光の粒のようなものが零れ落ちる。
例え魔法であったとしても、これほど繊細な修復などできまい。神々しく、おおよそ人には不可能な力を行使する。その姿は神そのものであった。三人とも自然にその場に跪く。
彼は宙を飛びながら浮き上がる。意識を失った状態のトゥーも運ばれる。説法台の前へ下ろすと、その後ろに彼は降り立った。
『今回の件、私一人の力では不可能でした。あらゆる手を尽くし、姉さんたちをこの世界に送りこみはしましたが、一つ大きな問題がありました』
彼は人差し指をたてると、問題を出す教師のように全員を見渡す。
「神の祝福のことでしょうか」
ノルがおそるおそる口にすると、彼は苦笑する。
『気を使った言い方をする必要はありません。視野狭窄、言い得て妙だ』
トゥーを一瞥すると、彼は何度か頷いた。
『最終防衛手段として、彼が最も幸いだった時の記憶だけを意識させる。姉さんのが間に合わなかったから、一緒にしてしまったのが間違いでした。もう少しうまくできたはずなのに、掛け違えたのは私たちのせいです』
非を認めているが、ぬいたちがよくやるように、頭を下げることはなかった。
『ゆえに全ての後処理をしに、ここへ舞い降りました。まずは、彼の死の記憶をやわらげる』
しゃがみ込みトゥーの頭に手を当てると、聖別の光のように眩しく輝いた。
『そして異邦者たちと、その存在を支えた者たちに本当の祝福を……って言いたいところですが、ちょっとした呪いのようなものですね。短命が解除されたあとでよかった。相反するものの共存は不可能ですので』
両手を掲げると、礼拝堂全体に光の粒が降り注ぐ。それは彼が言うようなものには全く見えない、神々しいものである。だが、祝福に二人は散々振り回されている。いったいなんなのかと、不安げな様子に気づいたのか、彼は手を下ろした。
『理不尽な死の回避。異邦者二人はもちろん、関わったノルベルト及びミレナには受け取ってもらいます。例えこの先どうなろうと、二人が大事な存在であることは変わらない。苦しんで死ぬことなどあれば、弱い彼らはすぐに後を追ってしまうので』
弱い異邦者というのは的を得ていた。そのことについて、ノルはよくわかっている。この世界に舞い降りる彼らはいつもどこか不安定で、ほの暗い。
『子には受け継がれることはありません。あくまで僕が姉さんに生きていて欲しいだけなので。もし解きたくなった場合、そこに寝ている彼を殴ればまた同じように解呪可能なので、安心してください。彼にわざと負けてもらっても、問題はありません』
穏やかな笑顔を浮かべながら、そうでないことを言い放つ。
『しばらくこの国で、堕神の降臨は控えさせてもらいます。数年もあれば落ち着くでしょう』
提示した、予想以上の期間に目を見張る。目が合うと、彼は静かに頷いた。
『特にノルベルト。姉さんを頼みましたよ。万が一、不幸せにすることがあれば、今度こそ本当に呪うので』
呪いという物騒な言葉とは正反対に、またさわやかな笑みを浮かべる。
「言われずとも、そのつもりです」
まっすぐ言ってのけるノルに対し、彼はそのままの表情で目を細めた。
『もし姉さんを諦めたら、両親を生き返らせると言っても?』
「自然の摂理に反することなど、誰も望んでいませんし、いくら神とてそれは不可能。僕を試そうとしても、無駄です」
『へー……なんでそう思ったんですか?』
声色が少しだけ低くなる。
「敬虔な信者であれば、誰しも知っていることです。汝愛する者を慈しめ、失えば二度とかえらず。されど、手を伸ばしてはならぬと……最初は堕神を恨んでいました。ですが、今考えればあれは寿命です。その時を迎え、たまたま堕神という、終わらせるのに都合のいい存在が居ただけだと、そう思います。なによりヌイを諦めることは、あり得ませんので」
即答するノルの顔をしばらく彼は見つめていた。やがて、その物々しい態度を崩すと元の表情に戻った。
『正解だ。確かに神とて、昔の死者を蘇らせることは難しい。その覚悟。いいね』
ぬいと同じような物言いから、確かな血のつながりを感じる。
『でも、やはりただでは渡すのはなんだかおしい。そして、まだ色々完了していないことがある』
彼はノルの近くによると、耳元で小さくつぶやいた。その声は実際に発しておらず、脳内に響き渡る。
「承知いたしました。この名にかけて、誓いましょう」
ノルの返事に満足したのか、彼はほほ笑んだ。そして、そのまま歩いてヴァーツラフの前へ移動する。
『最後にヴァーツラフ。原初に作られた者に、与えるものがある』
「この者はなにも望みません。神の存在があり、ただ声をかけてくださるだけで良いのです」
直接声をかけられたことに歓喜しているのか、緊張しているのか。どこか声が震えているようにも聞こえる。下を向いているため、どんな表情をしているかは伺えない。
『望んでいるはずです。今は分からずとも、いつの日か人になりたいと思う時を迎えるでしょう。それは幸せではないかもしれない。けど、与えられるはずだったものを今返しましょう』
どこからか、ヴァーツラフの持っているような錫杖を取り出す。それを回転させると、先を地面に叩きつけた。地面に紋様が現れ、光り輝くとそれは収束する。
全てが終わり、彼が立ち上がるが、一見なんの変化もなさそうに見える。
『その時が来るのは明日かもしれない。また長い時を待つものかもしれません。どうか、行く先に最良の結末があらんことを』
最後の言葉はその場の全員を見て、投げかける。
「あ、あの。すみません、発言をしてもよろしいでしょうか」
ずっと黙っていたミレナがおずおずと口を開く。彼が頷くと緊張した面持ちで問いかけた。
「なぜここまでしていただけるのでしょうか?」
『一番は個人的なことです。僕の姉は真実の血縁者で、大事な存在でしたから』
彼は背後にある大きな水晶を見る。そこに写っている己の姉の姿を見ているのだろう。
『君たちはお互いがお互いを想いあっていた。それが報われないなど、あまりに不条理だ。そんなのは私の世界だけで充分だと思いまして』
どこか寂し気に笑う。そのことから、姉のことを意味しているのだろう。彼はどうあがいても、救うことができなかった側である。世界は別れ、二度と対等に話すことは叶わない。
『そんな様子を見守っているときに、ずっと願っていました。まわる相思に幸いあれ、と。今日という日、ようやくその道への一歩を踏み出せた。ひとまずはこれで満足です』
彼はぬいの体を使い、両手を背中に回す。
「さよなら、姉さん」と言うと、ぬいの体は意識を失う。今度こそはと、ノルは抱き留めた。だが限界に来ていたのか、そのまま仰向けに倒れ込む。抱えた彼女は眠っているのか、穏やかな寝息を立てていた。
すぐ近くから「あれ?俺、なにしてたんだ」と聞き覚えのある声が聞こえる。そのことに安堵しノルは意識を手放した。
最初はぬいの弟が出てくる話を書いていたのですが、その姉とは?と考え、誕生したのがこの話だったりします。




