60:類まれな才能
「行こうか、綠さん」
「うん、今日はどこをまわる?」
「広場の方はもう探索しつくしたし……うーん」
「水晶のあの大きな建物は、たぶん入れないよね?」
二人は部屋から出ると、そんな会話を交わす。綠が基本的に表情に乏しいのは変わらない。対して鍋島は声色の割には眠そうにしている。おそらく朝が弱いのだろう。
ノルはそんなどうでもいい情報を手に入れながら、この先の行動を何度も頭の中で反芻していた。横にいるミレナも緊張しているのか、手を組んで神に祈りを捧げている。
このまま何もしなければ、まるで背景の一部のように彼らは通り過ぎていくだろう。だが、もうそんな日々は終わりだと。そう覚悟を決め、ノルたちは二人の前へ進み出た。
「異邦者さま方、お話がございます」
神官服を着たノルはその場に跪くと片手を胸に当てる。鍋島の前でこんな体制を取りたくはないが、致し方ない。頭を下げているおかげで、嫌そうに歪んでいる表情は見られていない。
「はじめまして、わたくしはこの国の皇女です。本日はあなたさまをお迎えにあがりました」
皇女らしいきらびやかなドレスをまとったミレナは、この神殿内で少し浮いていた。だが切り替えはうまいのか、ノルと違って完璧に役目を果たしている。スカートをつまむと淑女の礼を取った。
「どういうこと?」
二人は歩みを止め、神官と皇女という役割の者へ目を向けている。初動がうまくいくのは既に確認済みである。問題はこのあとだ。
「我が国はナベシマさまの力を必要としています」
ミレナは懇願する。その声には実際の感情が籠っていた。
「俺の力?そりゃあ、皇女さまよりあると思うけど、そこの神官さんでも十分だよね?」
鍋島は怪訝そうな顔をする。ミレナとノルのことを疑っているのだろう。綠をかばう様に、少しだけ前へ出た。
「いいえ、あなたさまには類まれな御業を行使できる才能がございます」
そう言うと、ミレナは床にこぶし大の水晶を置いた。
「我らが神たちよ。闇夜を照らす炎を依り代へ」
聖句を唱えると、その場に青白い炎が発生した。それを見た綠は興味津々に前へ出ようとする。だが、鍋島が後ろを向いて目で制した。
ミレナは炎に手をかざし、目を細める。何かを考えるそぶりをしたあと、胸元に手を当てた。
「我らが神々の啓示です。全ては幸いのために」
最も説得力のある言葉だとしても、神々を利用して嘘をつくことはできない。ゆえにそれらしい行動をして、納得せざるをせない雰囲気を作ったのである。
「ケイジって、何それ?手品かなにかか、知らないけど」
疑いはさらに深まったようだ。これはあまりにも予想外であった。ノルが見た時もミレナの時も、彼は御業に強く興味を示していた。それをまるで怪しい何かのように、疑うのはなぜか。
鍋島の様子をよく観察してみると、警戒しながらも彼女を守ろうとしているのが伺えた。綠という存在が彼を疑い深くしているのだろう。さすが視野狭窄と称されるだけはある。
もっと派手な、それこそ魔法のようなことができれば説得できるかもしれない。
この場だけの取り繕いはできるだろう。だがそれを実行してしまえば、教える段階でボロが出てしまう。何より派手な魔法を使えばさすがに体力が持っていかれる。その選択は悪手である。
計画の失敗を予期したのか、ミレナはちらちらと視線を向けてくる。仕方ないと、ノルは息を吐く。懐からナイフを取り出すと腕に突き刺した。派手に血を噴出させるために、血管の多い場所を狙って。
まるであの時のぬいのようだと、ノルは思った。これをためらいもなく行うのは尋常ではないし、この先もさせたくはない。
「えっ、なにしてるの?」
慌てた綠が飛び出してきた。鍋島もさすがに止めることはなく、同じように駆け寄ってくる。彼女の視線が自分に向けられている。たったそれだけの事実が、自傷の痛苦を紛らわせてくれた。
「異邦者さま方、どうかご心配せず」
ノルは二人を右手で制した。そのまま胸に手を当てると聖句を唱える。
「我らが神たちよ。この小さき者に立ち上がる力をお授けください」
血は止まり、傷は塞がっていく。前のぬいよりも深く刺したというのに、やけに治りが早い。ノルは前にぬいの手を取りながら御業を行使したことを思い出す。あれ以降似たような現象は起きたことがない。
もしかしたら、実際に神であった存在たちを強く意識したため、一時的に信仰が深まったのだろう。皮肉にも演技のおかげである。
スヴァトプルク、セドニク、アルバ。この三家が御業に秀でているのは、先祖が関係しているのかもしれない。実際ノルは、異邦者であるイザークの肖像を見ながら育ったのだから。
この先今回のようなことは早々起きないだろう。一個人として彼女のことが愛おしく、彼のことが妬ましく思う限り。
「ご、ごらんの通りこれが御業です。ナベシマさまには、さらに凌駕するほどの才能がございます」
動揺していたミレナは元に戻り、すかさずフォローしてくれる。これ以上にないタイミングであった。
「……これが、俺に?」
「はい」
ミレナが嬉しそうに言う。何か昔のことを思い出したのだろう。
「苦しんでる誰かを……自分も助けられるってこと、だよね」
彼はどこか遠い目をすると言った。
「そうでございます。どうかわたくしと共に、水晶宮へ来ていただけないでしょうか?」
再度懇願すると、鍋島の目が揺れているのが分かった。だがそれを振りはらうようにすると、綠のことを見る。
「綠さんは?一緒に行ける?」
予想通りの答えがでてきた。ミレナは悲し気に首を振る。
「いいえ、許可されておりません。ですが、ナベシマさまが己が価値を示せば、今後の可能性はあります」
もちろんそんな気はない。何を成し遂げ言われようとも、言い逃れる予定である。
「……う、ごめん、綠さん。少しだけ行ってきてもいいかな?」
困ったような笑顔で綠に問いかけた。ようやく成功しそうだとノルは安堵の息を吐く。
「え……鍋島くん。わたしを……おいていくの?」
悲痛な叫びのような声色であるが、綠の目は虚無を映し出していた。何かの地雷を踏んでしまったのだろう。
大きな障害は主に鍋島であると考えていたため、彼女の豹変に対して何の対策もない。完全に手詰まりであった。
「綠さん、大丈夫だよ」
不安を和らげるように明るく言うが、彼女の状態は戻らない。鍋島はどうしたものかと、頭を捻る。やがて何かを思いついたのか、綠の手を取った。
「うーん、だったらさ。約束しよう。ちゃんと帰ってくるって」
小指を絡ませると、軽く振った。その動作が何を示すのか、ノルには分からない。頓挫しそうだった計画は、まさかの鍋島によって救われた。にもかかわらず、ノルは胸のムカつきを覚えていた。何度も指摘された嫉妬心だろう。
「本当に?絶対だよ」
「約束する」
鍋島は綠の額に自分の額を合わせると笑いながら言った。ノルはこの時叫ばなかった自分をほめてやりたくなった。
ふと横を見てみると、ミレナの目が死んでいた。前のように激情に駆られたり、顔を真っ赤にすることはなかった。
おそらくあの一週間で慣れさせられてしまったのだろう。ノルは改めて申し訳ない気持ちになった。
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