58:推測される事実
ミレナは苛立っていた。なぜなら、綠と鍋島の見張りを押し付けられ、この一週間ノルは一切顔を出さなかったからだ。
スヴァトプルク家の若き当主である彼は忙しい。堕神が降臨したことも聞いている。だが少なくとも、以前の彼はヌイに付き纏う時間があったのだ。言い訳の一つでもいいに来る時間はあるはずだ。
「綠さん、今日はいい天気だね」
「うん、前はこんな風に外でゆっくりできなかったもんね」
「そうだね。確か……なんだったっけ」
「まあ、細かいことはいいんじゃない」
二人きりの光景を見せつけられ続け、ミレナは何度も叫びたくなった。幸い会話自体は大したことはない。前より感情が見え隠れするようになったが、やはり二人はどこか枯れ気味である。
それが過去に起因するものだというのも理解してきた。果たして二人は己の記憶を全て思い出し、正常でいられるのだろうかと不安にもなってきている。
それでもなんとか堪えれたのはアイシェの存在のおかげだった。時間ができたとき、彼女は必ずミレナと席を共にしてくれたのである。
「ねえ、ミレナ。今日ここに人が来るんだけど大丈夫?」
すっかり二人は打ち解け、敬称も外れていた。
「構いませんが、こんな公衆の面前でいいのでしょうか?」
綠と鍋島は関わらなければ奇異に映らないし、普通の対応をすることはできる。その他大勢の客としてしか目に入らないだろう。
「もちろん。この国って本当に平和よね。貴族同士が外で。庶民の店で食事をして、話ができるんだもの」
以前二つに折ったクッキーが気に入っているのか、大事そうに食べている。その伸び伸びとした光景から、母国ではさぞ窮屈だったのだろうと想像できた。
「極めつけはミレナよね。元とはいえ、皇女がその辺を歩いているとか、あり得なさすぎよ」
「そうでしょうか。継承権は放棄していますから、わたくしは市民のようなものです」
「そもそもなんで水晶宮を出たの?」
アイシェが声を小さくして尋ねてきた。その様子から、聞いていいのか迷いながら言ったことが予測できる。
「単純な話です。わたくしは末の娘で、優しい家族からたくさんの選択肢を与えてもらっただけです」
ミレナは目を閉じると、先日暖かく迎えてくれた兄の姿を思い出す。父は皇帝という立場上気軽に会うことはできないが、それでも交わしたまなざしは変わらず慈愛に満ちていた。
「貴族か市民の有力者と婚姻を結ぶか。自然に好きになる相手がいたらと言われましたが、もちろんだめでした。次に政治にかかわるか。これも性格的に向いていなくて、結局神官として慎ましく暮らすことを選びました」
ミレナは神官になった時のことを思い出す。数年前だというのに、もう昔のように感じる。それだけトゥーとの日々が濃かったのだろう。
「神官になった皇女さま、か」
「珍しい話でもありませんよ」
「そうね。貴族と孤児が結ばれたとか、そんな話がありふれてるものね。本当に面白いわ」
この一週間、ミレナはアイシェに様々な話をした。身分差の恋物語もその一部である。
「なにより、貴族でもないただの異邦者をもてはやして騒いでも、何も言われないし。ああ、楽しかったわ」
どうやら彼女にとって、トゥーという存在は過去のものになっているらしい。横に居る彼を見続け、想いが落ち着いてきたのだろう。
「ヌイさまの言っていた通り、ただのあこがれだったのね」
どこか遠い目をしながら言った。
「アイシェさまの国では禁じられているのですか?」
「何というか……あんまりもてはやすと、身分ある人たちがいい顔をしないのよね。俺の方が偉い!すべてを持っているから、見ろ!とかなんとか。面倒でしょうがないわ」
そんな会話を続けていると、ミレナはささくれだった心が和らいできた。
「すみません、アイシェ嬢でお間違いないかな?」
長い髪を一つに束ねた青年が話しかけてきた。どことなく軽薄そうな印象を持つのは、浮かべた笑みが原因だろう。
「魔法に関することで合ってるなら、そうよ」
「なら正解だね。はじめまして、私はペトル・セドニクという者です」
自己紹介が終わると、アイシェは自分の向かい側に座るように促した。
「あたしの友達がいるけど、平気かしら?」
「もちろん。私にも連れがいるんで、本題は彼のことだからね。ノルベルト、こっちにおいで」
名前からしてまさかと思い、ミレナは顔を上げると案の定彼であった。何も後ろめたく思っていないのか、堂々と目のの前に座る。
さすがに横にいる綠と鍋島のことは気になったのか、ちらりと視線を向けていた。
「お久しぶりです。今まで一体何をなさっていたのでしょうか?」
ミレナはできるだけ笑顔を作って言ったが、にじみ出る怒りは隠せていなかった。
「確かに押し付けたのは悪かった。だが、君は案内役をほぼ放棄した。一週間どころではない。こんな基本的なことも知らなかったのかと、代わりに僕が説明した。そのことを追求しても?」
ノルは一枚上手だった。最初に謝られ別のことを言われてしまえば、何も言えるわけがない。悔しそうにしているミレナを見ると鼻で笑った。
「ノルベルト、いくらなんでも年下の女の子に大人げないよ」
たしなめられているが、なにも気に留めていないようである。よくぬいはこんな人と関わっていられると、ミレナは感心した。やはりこのひねくれた性格がよくない。
「まさか皇女さまがいらっしゃるとは。お会いできて光栄です」
ペトルが立ち上がると挨拶をするが、ミレナはそれを手で制した。
「わたくしは皇族を出た身分ですので、気遣いは不要です」
きっぱり言うと、ペトルは仰々しい態度を取るのはやめて、座りなおした。その様子をアイシェが感心したように見ている。
「それで、この国の貴族があたしに何の用かしら?」
気を取り直し、アイシェが本題に入る。
「事前に伝えていた通り、私のことではなく彼のことなんだ。長年御業を使って解決方法を求めてきたけど、うまくいかなくてね」
「それで魔法ってことね。いいわ、なんでも聞いて」
アイシェが快諾すると、ペトルとノルはそれぞれの観点から、スヴァトプルク家について話し聞かせた。
◇
「なるほどね。あんたの祖先、たぶん発生したのはここじゃなくて、あたしの国の方ね。で、どこかでドジして良くない魔法をかけられた。多分伴侶と共に短命で死ぬとか、そんな感じのね。魔法で短命になった者と、元々血筋的に短命な家。その二人が一緒になったら、逃れられないのも頷けるわ」
アイシェはカップを指先で軽くはじいた。すると、液体はみるみるうちに黒く染まっていく。
「イザークは御業にたけていたと聞いたが」
「魔法国で発生したからといって、魔法が使えるわけでもない。また逆もそう。だから、この国に来たんじゃないの?」
黒く染まった液体をアイシェは飲み干した。ミレナは心配になって飲んでいいものかと尋ねる。ただ色を変える魔法を使っただけで、味に変わりはないそうだ。
「異邦者という強力な外部の力が取り込まれれば、一時的には弱まるけどまた再発する。病弱な家がよく使う手ね。妻の方はイザークの状態をなにも知らなかったんじゃないかしら?」
昔のことは分からないが、記録に残せない何かがあったのだろう。一度全員がそれを想像して押し黙った。
「確かにそれは事実だろう。だか残された記録から察するに、イザークは妻を大事にしていた。おそらく、遠い未来に起こることを伝えたくなかったのでは?」
アイシェが言ったことはあくまで知識に基づいた予想と事実だ。バカにするような意図はないし、それは彼も理解している。だがあまり良い気にはならなかったのか、複雑そうに反論する。
「そうね。細かい所は知らないし、部外者のあたしが突っ込むべきじゃない。予想を言いすぎたわ。この話は終わりにしましょう」
微妙な空気になった後、アイシェはそれを打破すべく話を転換させた。どうやらノルよりも社交術に長けているようである。
「解く方法はそこまで難しくないわ。あんたは幸い魔力量が多い、それを毎日血反吐を吐くほど使ってあげて鍛えなさい。幼少時の鍛錬が全くないってことだから。多分長くて今まで生きてきた分だけね」
彼の残りの寿命がどれだけあるかは不明である。それでも解決法があるのだと、ミレナは安堵する。しかし、彼の表情は全く嬉しくなさそうである。
「短くてどれだけだ」
「十年ってところかしら」
「そんな悠長なことは言ってられない。寿命をいつ迎えるかは不明瞭だが、その最短でも僕は死ぬだろうな。何より……」
ノルは横に居る彼女を一瞥すると、顔を歪ませた。
「うーん、他の方法はあるっちゃあるんだけど。あんまり勧められないわ」
「それでもいい」
即答すると、アイシェは頷いた。
「自分よりもずっと強い、大きな存在と戦えば、魔神さまが認めてくれると思う。あたしの国では解放決闘って呼んでる。魔法国では強い者が正義だから」
そう言うアイシェはとても嫌そうな顔をしていた。
「なんだ、そんなことでよかったのか」
ノルは背もたれに力なく寄り掛かる。
「ノルベルト、何を思いついたんだい?」
ペトルには何も思い当たらなかったのか、不思議そうに問いかける。するとノルは立ち上がり、楽しそうに会話をする鍋島の横へ移動する。
「単純なことだ」
彼は鍋島の足を蹴飛ばそうとした。ミレナが止めようと立ち上がるが、間に合うはずもない。何かにぶつかる音がすると、舌打ちする。
「しっかり結界の効果が出ているようだな」
鍋島は微動だにしていなかった。
「こいつを元に戻して、戦えばいい。そうすればすべてが解決する」
ノルは悪党じみた表情でニヤリと笑った。




