55:呪いと祝福
「あんた程身分のある人がどうしたっていうのよ」
アイシェはあきれかえっているのか、敬語が崩れていた。
「わたくしに課された重大な使命です。申し訳ありませんが、アイシェさまとお話しする時間はありません」
至って真面目に言うミレナに対し、アイシェは少し引き気味であった。
「自分が今何をしているかわかってる?仲のいい男女にあり得ない距離感で近づき、相手にされていない」
「ええ、そうですね」
「あのねえ……あんたはいい意味で目立つの!いいから、その品のない行動をやめて。まったく、見てられないわ。そこまでつめなくても、声は聞こえるでしょう?」
アイシェに指摘され、ようやく気付いた。あまりにも必死すぎて、全く周りの目を気にしていなかったらしい。
あたりを見渡すと、訝し気に観察されている。ミレナがそれを確認すると、慌てて視線を逸らされた。そもそも大分前から、給仕やナンパすらも声をかけられなくなっている。
「アイシェさま、ありがとうございます」
ミレナは気まずげに席を正しい位置に戻した。そんな騒ぎがあろうとも、二人は独自の世界を形成し、何も気づかない。アイシェはそれを横目でちらりと見ると、正面の席に座った。
「別に、見るに堪えなかったから止めただけ。感謝する必要はないわ。それよりも、この行動をとっていた理由を聞いていい?」
アイシェは片手を上げて給仕を呼ぶと、何かを注文した。
「それは……その」
ミレナがどうしたものかと言いよどんでいると、アイシェは頬に手を付き目を細めた。
「この声……まずはさ、そこの女の人は、前にミレナさまと一緒に居た人であってる?なんだか少し違うようにも感じるけど」
ぬいとアイシェは実際に顔を合わせて会話をしている。見ればすぐにわかることである。
「はい」
「前に会った時は気づかなかったし、なんだか薄く感じるけど。この人って……えっと、この国の言葉でなんて言ったかな。生贄、災いもたらす者、魔神の手下……禍神」
アイシェが思い当たる言葉を次々に上げていく。
「堕神……異邦者のことでしょうか?」
「そう、それ!」
喉につかえていたものが取れたような、すっきりした顔で頷いた。
「その存在について、アイシェさまも知っているのですか?」
「当たり前でしょ。魔法国にだって、定期的に発生するからね」
「かの国出身だったんですね。知りませんでした」
ミレナが言うと、アイシェは深いため息を吐く。
「あんたねえ、どれだけ周りのことが見えてなかったのよ」
さほど接触を持たなかった彼女にすら、そう思われていたらしい。改めて、暴走した状態を煩わしく思わないぬいはすごいと、ミレナは実感した。
「その、重ね重ね申し訳ありませんでした」
「いい、あたしも態度悪かったもの。そこの人がそれに気づかせてくれたし」
アイシェは顔を軽く動かして彼女を指す。
「でさ、あたしの感が当たってたらだけど。もしかして、そこの男の人って勇者さまだったりする?」
「なぜそう思ったのでしょうか?」
ミレナは努めて冷静に聞いた。神官として、教皇に対峙するときと同じような態度を取る
。
あくまで止められていたのは、ぬいとトゥーが出会うまでである。そのあとは何も言われていないが、あえて仮面の下の正体を明かすことをやめておいた。
「何というか、あんたには分からないかもだけど。魔力のめぐりが同じように感じるの。ひどく弱弱しくて、今にも吹き飛んでしまいそうな火。そんなイメージね」
その言葉だけを聞くと、あまりいい印象ではなさそうである。ミレナは首を傾げた。
「あたしにとっては誉め言葉よ。そのギャップがいいんじゃないの!」
意外なことに、アイシェはほかの人たちと違う観点で彼のことを見ていたようだ。
「わたくしは神官ですから、おっしゃる通り魔法についてはよくわかりません。アイシェさまはお詳しいんですね」
ミレナが感心するように言うと、アイシェは得意げな顔をする。
「当然よ、あたしは魔法国の貴族だもの」
その自信に満ち溢れた表情は今のミレナにとって、眩しいものであった。運ばれてきた飲み物と茶菓子を受け取り、アイシェは優雅に口をつける。
「もう一人の方も弱いのは同じだけど、芯が強く細い感じ。何かあったら真っ二つに折れてしまいそう。この二人、一人であたしの国に放り出されたらきっと、生きていけなさそうね」
そう言うと細長いクッキーを手に取る。真ん中あたりに小さなくぼみがあり、そこに力を入れると二つに折り、口に入れる。
「あたしは魔法に関しては分かるけど。人を見る目に自信はないんだ。内包するものは同じだけど、どう見ても勇者さまらしくない。周りをよく見て、人を見抜く目を持っていたあの人にも見えない。ねえ、この人たちはいったい誰?」
まっすぐ向けられる視線と言葉。二人の正体について、吹聴はもちろんよくないが隠せとも言われていない。
ミレナが何かをしようとしても、緊急抑止力であるヴァーツラフは止めようともしてこない。つまりは本人の裁量で許可されているのだろう。
それに異なる国出身で、別の力を持ったアイシェならば何かわかることがあるかもしれない。ミレナhこれまで起きたことの一部をかいつまんで話すことにした。
「話が複雑で難しいんだけど、ようはこの状態をどうにかして元に戻したいってことよね?あー……やっぱり他言語はきつい、そもそも多神教も理解しがたいし」
アイシェは頭がこんがらがってきたのか、しかめっ面をする。
「そうです。魔法は相手の自由を奪ったり、またはその逆をしたりするすべがあるとお聞きしました。御業よりも応用性が高いのではと思いまして」
「確かにあるわ。これが良くないものであるなら、解き方は必ず用意されている。でもね、この場合は違う」
「そうですよね……施されたのは神々のお力でしょうし、小さき者であるわたくしたちにはとても」
自信なさげに言うと、アイシェはかぶりを振った。
「ううん。例え神だとしても、どうにかならないってことはないものよ。あんたの国の建国記には書いてないのかしら。でもね、これはこれ呪いっていうより祝福なの。前者ならまだわかるけど、後者を解くなんて。そんな発想すらないから……ごめん、どうしていいか分からないわ」




