04:ようこそ水晶の国へ
ぬいが街の入口に到着したのは、昼を少し過ぎたころだった。ハイキングには向かない格好で、数時間ほど一人で淡々と歩いてきた結果だ。
靴が見栄え重視のヒールではなかったことは、幸いであった。
街の周りはぐるりと水晶の壁で囲われている。そのため、中が活気あふれている様子であることがわかる。堀には一目で飲水可能と思わせる、きれいな水が流れていた。
貧乏な旅人や商人たちがそこへ集まっている。ようやく見つけたと、喜びながら直接口をつけて飲んでいる。それを憐れむような目で門番が見ていた。
ぬいも例にもれず貧困状態である。ここへ到着するまで一滴の水も飲んでいない。慌てるように駆け寄ると、手ですくって水を飲む。
周りのむくつけき男たちと同じことをしない程度に、理性は残っていた。
満足するまで飲み終わると、ぬいはその場に座り一息ついた。もし入れ物があれば汲み上げたいところであるが、手ぶらの状態でそれは叶わない。
このまま少し休もうとしたが、周りの遠慮ない視線がためたわせる。
ぬいはどう見ても他国出身であり身一つだ。怪しむなというほうが無理である。
仕方なく立ち上がると、門を目指した。
そこには二人の門番が居た。片方は屈強な体格をしており、もう一人は細身で柔和そうな顔つきをしている。後者がぬいの方へ近づいた。
「君、どうしたの?」
屈強そうな門番はぬいを見て眉を顰めると、街の中へと入っていく。
「見たところ何も持ってないように見えるけど」
心配そうに話しかけてくる姿を見てホッとした。
「……すべて盗まれました」
苦労を伺わせる声を聞くと、門番は同情したようだ。ぬいの頭を軽く撫でる。
「そうか、よくあることとはいえ。女の子一人じゃ大変だっただろうに」
どうやらかなり年下に見られているようだ。元の世界でもよくあることだったので、ぬいは特に気にはしていない。
「でも無一文だとしたら、ここに入れてあげることは難しいかもしれない」
優しくされたと思うと、一瞬で突き落とされる。呆然としていると、屈強な門番が戻り柔和そうな門番に耳打ちする。
「えっ、うそだろ。そっか、他国出身だとわからないのか」
ぼそぼそと話される内容は聞こえない。話が終わると柔和な門番は、どこか恐れているような表情でぬいのことを見てきた。
「君、信仰はどうなってる?」
いきなり引き気味になる質問をされる。だが、ここは見知らぬ世界である。他宗教をないがしろにしては、争いに発展してしまう可能性がある。
「特にないです」
ぬいは正直に答えた。しかし何も信じないとなると、教養のない人間だと思われるのではと後から焦る。
「そんなに思い入れないなら大丈夫そうだ。許可しよう」
なにをもって、怪しい人物を入れようと判断したのかは不明である。そのあと簡単な質問をされ、無事に通された。
街の中は冷たそうな色合いとは裏腹に暖かかった。コートを着ていられないくらいだ。
何らかの力が働いているのだろう。売り払える場所があればそこで衣服を売って、資金にするのもいいかもしれない。
ぬいはそう思いながら、街の中を歩き回った。
ーーそして夕暮れ時。
ぬいは途方に暮れていた。なんとか衣服を売ることはできたが、あくまで不必要な分だけである。手に入れた現金は、食事をしたら殆ど残らない。
時計塔の針が動く音がすると、夕刻を指す鐘が鳴り響く。一日中歩き続け疲労したぬいは、その音をきっかけにしゃがみこんでしまった。
「どうしよう……」
強奪時とはまた別の絶望がじわじわと襲う。ノルへの恨みを原動力にしようとするが、疲れのほうが勝っていた。
細長い影を見ながら、暗い思考に支配されていく。目が虚ろになってきたとき、ぬいの影が急に縦へと伸びた。
「ここに居たか」
影が伸びたのではなく、誰かが彼女の後ろに立っていた。声は高くもなく低くもなく、何の感情も籠っていないように聞こえる。
ぬいは顔を上げると立ち上がって振り向いた。
そこには白いケープのついた長衣を着た男性が居た。先の尖った丸みを帯びた帽子からは、まっすぐなブルネットが姿をのぞかせる。
一見ごく平凡な成人男性にも思える容姿であるが、衣服が一般のものではない。さらに右手に持つ錫杖には、青く輝く水晶がいくつもはめ込まれている。
それと揃えているように、目も同じ色である。
以上のことから、明らかに宗教的権威をもつ人物であり、決して一般市民ではないことが分かる。
ぬいはそれを確信した瞬間、力が抜けて背中から倒れこんだ。固い地面に背中を打ち付けるが、痛みより疲労の方が勝っていた。
「教皇さまー!」
誰かが遠くの方でさけぶ声が聞こえる。少し高く少女のものである。半分開いた瞳で、ぬいは教皇らしき人物を見た。
「よく来たね、ここは水晶の国だ」
声色も口調もすべて先ほどとは違う。目の前の人が発しているのが、疑わしくなるくらいだ。だがどう見ても口は動いている。
明るい言葉とは裏腹に、教皇の表情は微動だにしていなかった。