45:異邦者の欠落
「ヴァーツラフ、頼みがあるんだけど」
ぬいは久しぶりに礼拝堂へとやってきた。そこにはいつも通り、教皇である彼が祈りを捧げていた。ぬいの存在に気づくと、ついていた膝を伸ばす。
「この者のできる行動は限られている。すべてを叶えるわけにはいかぬ」
「わかってるって。金をよこせ!とかは言わないよ」
ぬいは少しふざけた口調で言う。ヴァーツラフには冗談が通じない。だが、それでも言ってみたくなるほど、この先の未来への緊張感を抱いていたからだ。
「それは可能である」
「え?」
ぬいは空いた口がふさがらなかった。もし渡されていたのであれば、服を売らずに済んだし、空腹で倒れることもなかったのだから。
「これまでの異邦者も当面の資金を要求してきた者はいた。だが、そなたともう一人は望まなかった。そうであろう?」
「……確かに。それは言えてるかも」
施しだとずっと負い目に感じていたかもしれない。息をひそめるように、つつましやかに暮らしていただろう。
それに放っておかれなければ、アンナとシモンに出会うこともなかった。ぬいは今更文句を言うことはやめておいた。
「わたしがお願いするのはいくつかの質問に答えてほしいのと‥‥トゥーくんをここへ呼んで欲しい」
ぬいは彼の連絡先はもちろん、どこに住んでいるのかもわからない。尋ねて回ったら誰かが教えてくれたかもしれないが、あまりにも人気があり過ぎる存在である。思わぬ勘違いをされてしまうだろう。
ミレナに頼む手もあったが、これからする話を彼女に聞かれるわけにはいかない。
「よかろう」
ヴァーツラフは同意すると、聖句を唱えその場から掻き消えた。
◇
「お待たせ~今日はどうしたの?俺を呼び出すなんて」
二人がが同時に戻ってくると、トゥーは座って待っていたぬいの横に腰を下ろした。いつも通りの仮面姿で、座った瞬間止め紐が揺れた。
もちろん適切な距離を保っているが、少し近いようにも思える。
「あっ、ごめん。いつもの癖で。これノルに見られたら殺されるわ」
ぞっとしたように、体をさするが少しふざけた調子である。
「ノルくんはそんなことしないよ」
ぬいがそう言うと、トゥーは嬉しそうに顔をほころばせる。
「分かってるって。言葉のあやってやつだ。でも視線で殺そうとする努力くらいはしてくると思う」
「なにそれ」
二人は共通の友人である、ノルやミレナの話をしながらひとしきり笑いあう。外で彼と会話をするときは周りを警戒してしまうが、それさえなければ普通に話せるようであった。
「それで、用ってなんだったっけ?」
脱線しそうになった話をトゥーが元に戻す。
「ヴァーツラフに、異邦者について聞きたいことがあって。トゥーくんも居た方がいいと思ったんだ」
ぬいが真剣味を帯びた声で言うと、トゥーの顔は引き締まった。
「ごめんね。勝手に要求して、放っておいて。つまらなかったでしょ?」
「この者にそのような感情はない」
ヴァーツラフはいつも通り無表情で言う。あると思うんだけどなと、ぬいは小さくつぶやくと向き直る。
「わたしには感情の欠落が存在している。多分トゥーくんも。今までの異邦者もそうだった?」
「否。そなたと異邦者トゥーのみである」
「やっぱり……」
ぬいとトゥーは同時に言うと、顔を見合わせた。
「呼んでよかったみたいだね」
「うん……くれぐれもミレナに聞かれないように、耳をそばだてておく」
「ありがとう」
トゥーはミレナが抱いている感情に気が付いている。ひょっとするとぬいと同じような状況に陥っているのかもしれない。
「その意味については答えられる?」
ぬいは慎重に言葉を選んで発した。
「それってさ、この国の人に深い思い入れを持たないようにするためってこと?」
トゥーは核心をつくような言葉を言った。
問われたヴァーツラフはどう答えるべきか、考えているようだ。
もっと、最初のうちに彼と対話をしておくべきであった。教義について語りたがりがちだが、聞けば内容はともあれ答えてくれる。ぬいは少しだけ後悔した。
「それは神に与えられし、守りにして壁である」
案の定ヴァーツラフの回答は難しいものであった。
「神はわたしの弟であってる?」
「然り、かつて弟であった存在である」
トゥーは初耳だったのか、驚いている。
「わたしだけでなく、なぜトゥーくんも同じ状況になっているの?」
ぬいだけがなんらかの理由でこの状態になっているのであれば、それは理解できただろう。
だが、トゥーも巻き込まれているのが分からない。そもそも彼はぬいよりだいぶ前にここへやってきている。
「賽は投げられている。いずれそなたたちは審判の時を迎えるだろう」
ヴァーツラフの言い方は変わらず難解だ。ぬいはよく理解できず、首をひねったがトゥーは違うようだ。
「俺たちが死ぬってわけじゃ……ないよね?」
トゥーはひどく怯えていた。声がひどく震えていたからだ。体も同じなのか、仮面がカタカタと揺れている音がする。
それを聞いたぬいも、急な恐怖に見舞われる。根幹を揺るがすような何かが、そこにはあった。
「そなたらは異邦者になったが、まだ定着していない。その恐れは無用のものである」
ヴァーツラフがきっぱり言い切ると、二人はホッとして震えを止めた。
「それを分かっていたからこそ、そなたらは大きく行動できた。そうであろう?」
「確かに……」
トゥーは心当たりがあるのか、あごに手を当てて考えている。勇者と呼ばれるくらいだ、危険は散々犯しているに違いない。
ぬい自身も浄化作業の時、相手が襲ってこようとも己の死を一瞬たりとも意識しなかった。
さらに、水晶宮で尋常ではないほど食事を摂っている。たまたまノルに毒が当たったように見えたが、あの量の食事に何もないはずがない。おそらく、毒が無効化されていたのだろう。今なら浴びる程酒を飲んでも、なにも変わらないに違いない。
「そなたらは自由だ。この先がどうなろうとも、神はただ安寧を祈っている」
そう言うと、ヴァーツラフは祈りを捧げた。




