37:勇者の圧
それからというもの、ノルは定期的にぬいの元を訪れるようになった。
店番の日は暇な時間帯にやってくると、勉強中のぬいとシモンに文法を教えてくれる。
そうでない日は何に使うかわからない魔道具を購入し、二人と会話を交わして帰っていく。
おかげで、アンナの家は潤っていき以前より暮らしに余裕がでてきたようだ。制作に集中するため午後の店番はなしと言われ、ぬいは街中へと出かけることにした。
軽食を済ませたあと、すぐ近くにそびえたつ水晶宮を眺めていた。あの場所に居た時は食事ばかりに目が行き、建物を見ることができなかったからである。
同じように眺める者たちも居るのか、話し声が聞こえてくる。その内容に疑問を覚え、ぬいは辺りに視線を向けた。どこを見ても二人組ばかりで、手や腕を組んで楽しそうに歩いている。
どうやら、また場違いなところへ来てしまったらしい。
「お~い」
立ち去ろうと背を向けた時、気の抜けたような声が聞こえた。その方向を向くと、背後から大量の人たちがやってくるのが見えた。トゥーを先頭とし、様々な女性たちが群れを成している。
ぬいはその光景を見た瞬間、無視したい気持ちにかられた。だが、さすがにそんな態度を取ることはできない。
もしかしたら、別の人に向かっているのかもしれないと、一縷の希望をもって待ってみるが、やはり目的はぬいだったらしい。
「やっぱり、ぬいだよね。元気にしてた?」
相変わらず面を着けたトゥーは手を振った。声の調子から笑顔であろうことが、予想される。後ろに居る彼女たちは、トゥーより少し離れた距離を保って、停止した。
まるで軍隊のように統率の取れた行動である。その集団をよく見てみると、その中心地にアイシェの姿が見えた。だが、彼女はぬいどころではないのか、なにかを言い聞かせている。
「うん、まあ……まずまず、です」
あからさまな距離を取った態度に、トゥーは首をかしげる。
「あれ?なんで敬語に戻ってるの?そんな気を使わなくていいって」
「いや、その。本当に大丈夫?」
後ろの方へと目線を向けると、トゥーは納得したようだ。
「ごめん、圧迫感がすごかったね。なんで皆遠巻きに見てるんだろう?」
不思議そうにトゥーは言う。騒ぎを聞きつけたのか、次第に関係のない人たちも集まってきている。アイシェの姿は埋もれ、とっくに見えなくなった。
「で、用ってなに?」
早くこの状況を打破しようと、ぬいはせかすように言った。
「ん~そうだね。あ、暇なら俺とちょっと話さない?」
「まさかここでって、言わないよね?」
さすがのぬいも、まるでノルのように口を引きつらせる。するとトゥーは困ったように笑った。
「さすがにそこまで空気読めなくないよ。ぬいとはどう見ても同じ世界どころか、国出身だし、一度ちゃんと話がしてみたくてさ」
もちろんぬいは断るつもりでいた。警戒心と緊張をあらわにする様子を見て、トゥーはなにかひらめいたのか、手を叩く。
「そうだ、食事に行こう。俺たち好みの優しい味のする店があってさ、もちろん奢るし好きなだけ食べていい」
その言葉を聞いた途端、ぬいは目を瞬いた。
「それ本当に言ってる?わたしがどれだけ食べるか、見ていたよね?」
水晶宮でトゥーはぬいの異常な食事量を知っているはずだ。訝し気に尋ねると、頼もし気に胸を叩く。
「知ってるって。俺も同じかそれ以上だし。どれだけ食べても満たされず、なんか物足りないんだよね」
「わかる」
ぬいは深く同意した。まるで欠けた部分を別のなにかで満たそうとしているような。そんな欲求を感じていたからだ。
「それじゃあ、行こうか」
特に許可もなく、自然にぬいの手を掴んだその時。
「君たち、こんなところでなにをしている」
低く詰問するような声が聞こえた。顔を上げると、そこには眉間にしわを寄せたノルが立っている。一目で不機嫌とわかるその様子は、どこか悪人めいていた。




