36:彼女への想い②
なぜか彼女の態度は以前よりも軟化し、元通り名を呼んでくる。
ノルは堕神に対して、いつも愛称を名乗っていた。
最初こそは本名を全て名乗っていたが、一度長すぎるという理由で混乱し、堕神に変異すると暴れだしたものが居た。
その理不尽さから、ノルはすぐにやめた。どうせすぐに別れ、二度と会うことはないだろうと思いもある。
だからこそ、家族でない存在にそう呼ばれるのはむずかゆかった。トゥーに呼ばれるときは殺意が芽生えるときもあるが、彼女の場合はなんだか落ち着かない気持ちになる。
それを誤魔化すためか、ノルは今までと変わらない態度で接した。以前であれば彼女はどこか不満そうにしていたが、今はひたすら若者扱いしてくるようになってきた。
ノルはそれが不服で仕方なかった。その反発心からか、彼女と魔法を使用した契約をしてしまう。
強固な口止めができたことに関してはホッとしているが、今のノルは猛烈に後悔している。彼女をいずれこの国から出さなくてはいけないからだ。
しかし、得たものもあった。それは魔法の存在と才能である。水晶帝国の人間はほとんど行使できる者がいないうえ、燃費も悪い。ゆえに注視されていなかったのだ。
これに気づいていれば、両親も救えたかもしれないと考える。だが過ぎ去ったことを思っても仕方がないと頭を振った。
異邦者の披露が水晶宮にて行われる。その旨を見た時、ノルはあまり気にしていなかった。どうせトゥーのことだろうと。
迷わず欠席に丸を付けようとしたとき、異邦者が二人と小さく書いてあったことを目にし、慌てて手を止めた。
異邦者を極端に敬ってはならない。教義に書いてあることだ。そのギリギリのラインを踏むとは思っていなかったのだ。ノルは息を吐くと、出席の返事を書いた。
案の定、彼女はただのおまけのような扱いであった。注目されないようにあらゆる配慮がされている。おそらくトゥーが手配したのだろう。これであれば変に絡まれることもないはずだ。
ノルはそう考え、安心した自分に疑問を覚えた。
それからこっそり遠くから観察していたが、彼女はひたすら食べ続けていた。よく食べるのは理解していたが、限界値をわかっていなかったようだ。
しかし、そのおかげか彼女をダンスに誘うような者はいなかった。またしてもホッとした気持ちになり、ノルは不思議に思う。
このまま彼女のことを観察し続けることはできない。公の場に出るとなれば、各貴族に挨拶をしなくてはならないからだ。ノルは食い入るように向けていた目線を外すと、人ごみの中に紛れて行った。
案の定見合い話の嵐であった。適齢期で早々に当主を継いだ青年。ノルのことを周りが放っておくわけがない。
しかし、あくまで年齢と身分と安定感があるだけであって、彼自身人気があるわけではなかった。それどころか逆だろう。
面倒な役目を負い、容姿は小悪党じみている。おまけに若くして両親を亡くした過去からか、性格も少しひねくれている。
それだけであれば、全てを無視して財産目当てに近寄るものくらいいただろう。
ーーしかしそれらを上回る重大な欠点がノルには存在した。
そのせいで、母親も相手を探すのにかなり苦労したそうだ。紹介される令嬢たちは嫌そうな顔をするか、社交辞令を言うばかりである。
そんな中、もう一人の異邦者はどんな容姿だったのかと話題になる。また外見の話かと辟易しながら相槌を打つ。
そんな注目の彼女は、最初に皇帝へとあいさつを交わすと、すぐに奥の扉へと消えてしまった。だが、そのあと何度か異様な量の食事をしていたという目撃情報が相次ぐ。
いったいどんな人物なのか見に行ってみようと。唯一面識のあるノルが集団をひきつれることになった。
その後の彼女の対応は見事の一言であった。彼女はその人の性格や本質を見抜く。それであって、決して人を小ばかにしたりしない。
一人また二人と去っていく中、ノルはペトルの嫌な視線に気づいていた。彼女のことを品定めするように見ている。
彼の吐いた息から、好みに合わなかったのだろうと察せられノルはホッとした。それと同時に彼女のことが分からない浅はかさに嘲笑した。
だが、それで終わることはなかった。ペトルはようやく内面を理解したのか、大笑いする。そして手のひらを返したかのように誉めたたえ、手を取ったのだ。
ようやく会話が終わったと思えば、むき出しの彼女の肩を触って去っていった。
ノルは苛立っていた。それを隠すようにそっけなさを装う。そのせいで油断していたのか、差し出されたグラスを確認もせずにあおってしまう。
飲んだ直後それが毒入りであることに気づいた。すぐにでも御業を施したかったが、いまだ周りから見られている。うかつな態度をとることはできない。
何度もタイミングを見計らっていたが、隙ができることはない。ついに彼女に気づかれてしまい、心配そうに近くに寄ってくる。
これまでの我慢を全て台無しにしかねないことをまた言おうとしたので、ノルは慌てて彼女の口をふさいだ。
手に唇があたる感触がし、赤くなりそうになるのを押さえながら低い声を発し、彼女を止めた。
そのあとのことは少しだけ朦朧としている。毒が体をむしばんでいく感覚と、かつてない近距離に彼女がいるのと、頭がぐちゃぐちゃになりそうだったからだ。
毒が入っていたせいか、あの少量で酔ってしまったような気もする。その結果かなり大胆な行動をとっていた。ノルは今思い出すと羞恥から頭を抱えたくなった。
しかし今後はそのような行動を積極的に取っていかねばならない。
――なぜならば、ノルはぬいに対する好意を自覚したからだ。
元から内面やその在り方に惹かれている節はあった。けれども、彼女は異邦者である。己の両親を殺したものと同じ存在だ。
だが、それがなんだというのだろうか。
そもそも偉大な先祖であるイザークも異邦者である。つまり、墜神でもあったということだ。
人種や宗教などのくくりに捉えてしまえば、なんにでも制限ができてしまう。そう気づいてしまった。例え彼女が人でなかろうとも関係ない。
ノルはぬいという個に恋情を抱いている。それで十分ではないかと。
とどめは彼女が自分の無事を喜ぶ笑顔であった。あの顔を見た瞬間、ノルはおちてしまった。それを気づかれないように無駄な抵抗をしたが、だめであった。
布の下に隠れた顔は真っ赤に染まり、息が切れる。これは決して毒のせいではない。彼女が声をかけ、触られただけで胸が苦しく、締め付けられる。もはやこの思いを否定することなど、できるはずがない。
なんとかこの場だけはしのごうと。再びひねくれた態度を取ったが、ぬいの様子が変わることはなかった。
あの表情が自分にだけ向けられたらどれだけ幸いだろうか。怒った顔と泣き顔と笑顔は見た。次は照れた顔が向けられたら、どうにかなってしまうかもしれない。
ノルは頬が緩んでいるのを感じ、手を使ってもとに戻そうとする。
異邦者はこの世界に定着しない限り、堕神に変化する危険性があると言われている。特に水晶国付近ではそれが多い。教皇という強力な存在のおかげで、彼の目の外で堕神化することはないらしい。それゆえ、異邦者は行動を監視されることがないのである。
定着するためには国、人、物に強い好意といった感情や、執着を持たせなければならない。
彼女はどう見ても国にこだわりはない。いずれ世界を見ようと、旅立ちの決意を抱いているほどである。
物に関してもこだわりはなさそうだ。一度殺風景な部屋に入ったことから、そう予想される。
食事は好きだろうが、すぐになくなってしまうものにこだわらせるのは難しい。
だとしたら、残るは人だ。どうにかして、ノルベルトという存在を好きになってもらう以外、方法はない。
現時点で彼女はまったくノルのことを意識していない。そもそも一度も照れたことがないうえに、抵抗なく異性を着替えさせている。
道はなかなかに険しいだろう。だが、トゥーを想うミレナほどライバルはいないはずだ。それに対しぬいの交友関係は狭く、大体把握できている。
「神々よ、日々の見守りに感謝を」
ノルは祈りの言葉を捧げる。もし彼女が皇宮や貴族社会に身を置いていれば、そうではなかったに違いない。基本的に聡い者が多く、彼らは良さにすぐ気づくはずだ。
その点神官たちに囲まれていれば、何の危険性もないだろう。ノルは立ち上がると、いかに自分へ目を向けさせるか考え始める。
まずは常に共にいることが、当たり前になるようにすればいいかもしれない。
ノル視点は今後もまた出てきます。




