16:図書館
「まったく、ミレナちゃんは本当に周りが見えてないんだから」
ノルの前に食事を置くと、許可を得ることなく腰を下ろした。嫌そうに顔を引きつらせているが、わざわざ距離を開けるようなことはしない。そのことに関しては、周りの神官たちより良心的である。
現にここへ来る前、ぬいが彼らの前に姿を現すと、目を見開かれ距離を置かれた。邪魔にならない場所をと探していると、少しだけ空いている席に彼の姿を見つけたのである。
どうやらぬいほどではないが、ノルも神官と仲がいいわけではないらしい。
「………」
咀嚼している最中のためか、何も返事はない。
「わたしとヴァーツラフをくっつけようとか。そもそもの発想がすごいよね」
「褒めてどうする。そもそも不敬がすぎる。教皇さまを、どうこうしようなど」
飲み込み終わったのか、ノルが呆れた顔で言う。
「だって、そう思わない?わたしが絶対しないようなこととか、あの熱意とかさ」
「思わないな、興味もない」
ばっさりと話を断ち切られる。ぬいも食事に集中しようと、話しかけるのをやめた。ノルと同じ量の食事を勢いよく平らげていき、ほぼ同時に食べ終わる。
「なぜついてくる」
立ち上がると、ぬいも追従したのが気にくわなかったのだろう。後ろを向くと、顔をしかめられた。
「この後また出かけるんだろうし。二度手間になるかなって」
部屋で待っていれば、ミレナに捕まる可能性もあるからだ。多少ノルや神官たちに避けられようとも、ぬいは辞さない覚悟であった。
「……好きにしろ」
意外なことに、拒否はしない。背中を向けると、先に歩いていく。そのあとを追いかけても、何も言われることはなかった。
◇
ノルの背を追って、長い廊下を歩いていく。おいて行かれないよう、ぬいは必死に足を動かした。最初は距離を大きく離されてしまったが、徐々に距離は縮まっていく。
横に並んで歩くほどまでではなく、あくまでつかず離れずの状態である。それが意図したものであると気づいた頃、ノルは大きな扉を開けた。
締め出されまいと、ぬいは体を滑り込ませようとする。だが彼は先に一人で入ることはせず、片手で扉を支えた。
「なんだ、その目は。最低限の礼儀くらいは持ち合わせている」
顎を動かし、早く入るように急かされる。
「あ、うん。ありがと」
言う通りにすると、ノルは扉を閉めた。
「うわぁ、すごい。ここ図書館だよね」
礼拝堂と同じく質素な作りであるが、よく使いこまれていて年季が入っている。本棚に収納されている書物はどれも重厚で、丁寧な作りであることが見て取れた。
「この程度の規模など、どこでもありふれているだろう。なにがそんなに珍しい」
目を輝かせあちこち見渡すぬいに対し、ノルは呆れたように言った。
「青年くんはわかってないねえ、だからいいんだよ。わたしのところでは、ただの観光名所であって。普段使いするような……」
興奮から、次々にまくしたてると突如口が重く閉ざされた。それと同時に、ノルからにらまれる。
どういった理由で、この場が珍しいのか、彼女は思い出すことができなかった。だがこの国と元居た場所は、文明もレベルも異なっている。うかつなことは言わないほうがいいだろうと、ぬいは考えるのを止めた。
「ごめん。図書館では静かに、だったね」
素直に謝るとノルは無視して扉を閉め、先へ進んでしまう。本棚の間をぬっていくと、その先に大きな机が見えた。神官たちが座り、本を読んでいる。
だがぬいの姿を目に入れた瞬間、その場に居た全員がまばらに立ち上がり、どこかへ行ってしまった。
「え……」
避けられていることは、理解していた。だが、ここまでの対応はさすがにおかしい。去って行く彼らを見てみると、どうやらノルのことも見ているようである。
よくわからない存在である異邦者、悪人面のノル。二人がそろうことによって、この状況を生み出してしまったのだ。
ぬいはどこか居辛い気持ちになり、ノルのことを見る。いつのまにか本を持ってきたのか、山のように積み上げて歩いてくる。
「えっ、なにそのあり得ない量は」
目に付くのはそれを支えるバランスであるが、一冊一冊も分厚い。相当な重さであろうことが分かる。ぬいなど、数冊で手が震えてしまうだろう。
「そっか、御業か」
納得したようにつぶやくと、ノルは机の上にそれらを置いた。
「不使用だ。何かにつけて頼るような、思慮の浅いことはしない」
鼻で笑うと、ノルは山のような本を広げていく。一人分のスペースをはみ出していく様を見て、ぬいは気づいた。
「あのさ、青年くん。わたしを連れてきたのって、このためだったの?」
神官たちが去っていなければ、ここまで占領することはできなかったはずである。
「それ以外になにがあると言うんだ」
悪びれずにノルは同意した。あまりにも堂々としていたため、ぬいは何も文句を言う気力がなくなった。なにより、この場では騒げない。口を尖らせ不満そうにすると、本棚を物色することにした。
◇
当たり前であるが、ぬいが読める書物など一冊も存在しなかった。未だ基本文字を練習している身であり、文章はおろか単語すらままならない。
あまりに低い識字力の彼女は場違いであった。本の分類について書かれている文字も読めず、聞く相手もいない。しばらく散策したあと適当な本を手に取り、すごすごと元の場所へと戻ることにした。
ノルは集中しているのか、ぬいが近くに座っても気づかなかったらしい。本当に読んでいるのか不思議になる速度でページをめくり、思案する。何かを書き留めると、また本を開く。その繰り返しだった。
その様子を横目で見ながら、本に目を通す。もちろん何も読めない、挿絵もなくただの文字の羅列に圧倒され、ぬいは眠気を感じてきた。
「君はここになにをしに来たんだ」
ため息とともに、横目でにらまれる。
「どこかの誰かの用が終わるのを待ってるんだけど。そもそも、それ本当に読んでるの?」
負けじとぬいは言い返す。
「どこかの誰かと違って、貴族の当主ともなれば忙しい。これくらいこなして、当たり前だ」
「へー貴族ってもっと、毎日人のお金で遊んでるのかと思ってた」
「は?末子ならともかく、そんな貴族が居るか」
その辺りを一人で歩いている時点でその兆候はあった。どうやらぬいの考える貴族とは、この国の貴族は大きく相違があるらしい。
『議員のようなものなのかな?』
「急に意味の分からないことを言うな」
ギスギスとした空気になり、しばらくにらみ合う。すると、ノルは何かを思い出したのか、立ち上がると書架へ向かう。戻ってくると、ぬいに一冊の本を渡した。
「これなら堕神でも読めるだろう」
中身に目を通すと、そこには文字の発音方法や筆記体。それらを使った単語が書いてあった。要は幼児用の本である。
「これ、どこにあったの?というか、なんでここにあるの?」
文字は読めずとも、専門書が多いことは察される。ゆえに、その本はあまりにも場違いだ。
「御業の習得のため、神殿に通う他国出身者はそれなりにいる」
どこかバカにしたような物言いだった。ニヤニヤとぬいのことを見ている。
「ありがとう、これは助かるよ」
簡潔に書いてあるのか、読みやすい。できるのであれば、これを読みに毎日通いたいとぬいは思う。だが神官たちが集まる場となれば、一人で来ることはためらわれる。
素直にお礼を言うと、ノルは予想していなかったのか目を丸くする。しかし、すぐに顔をしかめると本に目を戻した。




