ピクニック②
「叔母上、なんの用ですか?」
視線は向けているが、ノルは掴んだ手を離さない。致し方なく返事をしているということが、一目で丸わかりであった。
「っぷ、あははっ。なに、その呼び方?わかった、ダナねえさまって呼ぶの恥ずかしいんでしょ?すっかりひねちゃったと思ったけど、その素直な態度。子供の時から変わっていないわね」
あまりにもおかしかったのか、しばらく声を上げて笑う。ノルはその様子を見て、不満気な表情を浮かべると、ついに顔をぬいの方に向けた。
いつもであれば、ひねくれた言動を吐くか、鼻で笑うことの一つくらいしただろう。だが、さすがに子供のころを知る叔母に、そのような態度は取れないらしい。微笑ましく思ったぬいはノルの頭に手を伸ばす。
「よしよし」
頭を何度か撫でると、こわばったノルの顔が次第に柔らかくなっていく。
「ヌイ」
なぜか撫でていた方の手も掴まれると、そのまま降ろされ見つめられる。
「その、離してくれるかな?両腕がふさがってると、なにもできないし」
叔母の目を気にしながらノルに言う。しかし素直にいう事は聞かず、両手を片手でまとめ上げられた。さらにお腹が減ったのと勘違いされたのか、食事を口元に運ばれる。違うと否定の言葉も言えず、大人しく咀嚼しながら叔母のことを見る。
彼女は気まずそうに立ち尽くすことなどなく、目を輝かせながら高速でメモを取っていた。書き方からして、先ほどまで取りかかっていた絵でないことが見て取れる。
「すみません、なにを書いているんですか?」
飲み込んだ直後に、ぬいはすかさず話しかけた。
「そんなの、あなたたちの様子に決まってるじゃない!」
キラキラとした目で答えた直後、ぬいはせき込んだ。
「大丈夫か?」
ノルは掴んでいた手を離すと、荷物からコップを取り出し水を注いだ。それをそのまま差し出すと、ぬいの背中を撫でる。
「う、ありがと」
大人しく受け取ると、ゆっくりと飲み干した。
「そんなに驚くことかしら?さてはノル坊、わたしのことについて、なにも話してないのね」
「その呼び方はやめてくれ……絵についての話しかしていないだけだ」
たじたじになったノルは、口調が普段のものへと戻っている。もちろんそのことに気づいた叔母はにやりと笑った。ただし、ノルのような悪人めいたものではなく、いたずらを思いついた子供のようであった。
「あら、それはだめよ。勝手に判断されて、隠される。そんなの良くないわよね?ヌイちゃん」
「は、はい、そう思います!」
年下扱いというよりは、仲のいい女友達のような態度である。慣れない呼び方と、ノルの親族にそうされたという嬉しさから、ぬいは深く頷いた。
「僕の叔母は芸術面に秀でていて、美術では絵画や彫刻、陶芸など。文芸面は小説の執筆や作詞なども嗜んでいる。以上だ」
ノルはぬいの身を隠すため、叔母に背を向けて立つと、一気にまくしたてた。
「まあ、わたしのことについては別にいいわ。今度ノル坊が忙しい時にでも、ゆっくり話をしましょうね」
返事をするためにノルの横から顔を出そうとするが、案の定肩を掴んで止められた。
「悪いが、僕だけが忙しい時などないし、ヌイとは常に一緒だ。あきらめてもらおうか」
「忙しくない夫って、それはそれでどうかと思うけど」
ノルが言ったことは、もちろん言葉のあやである。神官貴族という立場上、忙しさからは逃れられない。しかし、本人が言う通り空いている時間のすべてを、ぬいに費やしているのも事実である。
「それに叔母上の居住地はスヴァトプルク家から遠く、離れている。諦めてもらおうか」
昔の接し方を思い出したのか、会話をしていくうちに距離感がつかめたのか。ノルの口調は、砕けたものへと変化している。
「そうなのよねえ。ロザ姉の時もそれで……まあ、今はいいわ。それよりも、小さい時のノル坊の話をしようかしら。昔ね」
「やめてくれ」
肩から手を離すと、ノルはぬいに背を向けた。表情は見えないが、かなり焦っていることが、口調から見受けられる。
「嫌よ、こういうのはお節介な親族の特権でしょ。なにより亡くなった二人が、したくてもできないことだから」
イタズラを楽しむ様子からがらりと変わり、抑揚を押さえた声で言う。
「ああ……」
それに呼応して、ノルも大人しくなる。しかし、その一瞬の隙をついて、叔母はぬいの方へと身を乗り出すと、一枚の紙を差し出した。
「見てこれ。ノル坊ったら、とっても面白い絵を描くのよ」
そこには鋭い牙を持った、動物らしきものが描かれていた。ただし体は丸太のようで、足は棒切れのように細い。
「なっ、それは……やめてくれ!」
後ろを振り向いてそれを見た瞬間、ノルは顔を赤くして取り上げようとした。しかしその行動は予測されていたようで、簡単に避けられてしまった。
「さて、これはいったいなんでしょうか?」
叔母はニコニコとほほ笑みながら、その絵を大事そうにしまう。
「空想上の生き物?」
「残念、それはそれで恥ずかしいわね。正解は猫でした」
外れたというのに、なぜか叔母は嬉しそうに拍手する。
「最悪だ……どうでもいい欠点が、ヌイに知られるなんて」
「どこが欠点なの?子供の時なんて、そんなものだと思うんだけど」
ぬいが不思議そうに言うと、ノルは不自然に黙りこくった。
「もしかして、今も変わってないの?」
気まずげに視線を逸らし、苦虫をかみ潰したような顔をしている。その無言の肯定に、ぬいは笑みをこぼした。




