131:今後の話
ぬいは執務室で、ノルの膝の上に座っていた。もはや日常となりつつあるが、いつもと違い今日はぬいの方から身を寄せた。そのことに気をよくしたのか、ノルは始終にやけている。書類に目を通してはいるが、ほとんど頭に入っていないだろう。先ほどから何度も視線を向けられている。
「前にも言ったが、僕は君の誘惑には弱い。なんでもいいことを聞いてしまうと思う」
「だったら金をよこせ!とか言ったらどうするの?」
あからさまにからかいながら、ぬいは言う。
「全額渡す」
ヴァーツラフもそうであったが、ノルにも冗談は通じなかったらしい。即答され、ぬいは首を勢いよく横に振った。
「だ、だめだよ!いらないって!冗談だって、わかってるよね?」
「理解はしているが、本気だ。君に想いを告げた時に言ったことを、撤回するつもりはない」
「う……そっか」
これ以上はなにを言っても、照れることしか発言しないだろう。大人しくノルにもたれかかると、そのまま頭を撫でられた。
「それで、本当はなにが望みだったんだ?」
「うーん。どこから言ったらいいかな。結論から言うと、ノル……が、欲しいってことなんだけど」
「寝室に行こう」
投げ出すように書類から手を離すと、ぬいの体を持ち上げ移動する。
「あ……ち、ちがうって!そういうことじゃなくて。合ってるんだけど、端折り過ぎたよ……その、頼むから話を聞いて!そこのソファでいいから、下ろしてよ」
体をばたばたと動かし抵抗すると、ノルは大人しく指定の場所へと腰を下ろした。ただしぬいを膝に乗せたままである。隙を狙って降りると、適切な距離を取る。
「ごめん。わたし、照れると話のまとまりが無くなるから、最初にはっきり言ったほうが分かりやすいと思って」
しかしノルはすぐに詰めてきた。
「えっ……っと、話をしようよ」
ぬいは移動するがノルはまた詰める。そんなことを繰り返し、やがて端まで移動すると逃げ場がなくなった。諦めたぬいはノルにもたれかかることにした。肩を抱かれるが、それだけである。
「あのね、この世界に降り立ったあと、わたしだけじゃなく、トゥーくんとも野宿したよね。ということは、この先現れる異邦者にも同じことをするのかなって、思ったら……なんかすごく嫌で」
「誰がするか!」
余程嫌だったのかノルは大声で言うと、ぬいの両肩を掴んで向き合った。
「そもそもあいつを数に入れるんじゃない。遠くから見張るために距離を置こうとしたのに、勝手についてきただけだ」
まだノルの態度が厳しかったころ、ミレナが水しか与えなかったと言っていたことを思い出す。
「そういえば、その時ってノルはなにを食べてたの?」
「携帯食料だ。あんなまずいものを渡す必要などない。あいつは自分のを食べていたからな」
どうやら意地悪で渡さなかったわけではないらしい。
「いいか?一夜を共にしているのは今も今後も君だけだ」
掴まれた肩を揺らされ、訴えてくる。その言葉には別の含みもあったが、ぬいはそれどころでなく、納得もできなかった。
「でも、この先はどうするの?あの場所からここまで、それなりに距離あるよね?わたしのただの嫉妬心で、同じ境遇の人を放置するのはさすがに……」
「ヌイ!」
嫉妬心という言葉に反応し、ノルは一度軽く抱きしめると体を離す。
「素直にそう言ってくれるのは嬉しい」
「ノルはいつも正直に言ってくれるし、なにより顔に出てるからね。それを見て、わたしもできるだけ同じようにしようと思って」
ぬいは口の両端に指を置くと、無理やり上げようとする。しかしそんなことをするまでもなく、口角は上がり切っていた。
「たくさんの、与えられたものを返したいって。ずっと考えてるんだ。でもどれだけ、なにをしようともきりが無くてさ」
「……ヌイ、なにを言ってるんだ。与えてくれたのは君の方だろう。そもそも君が居なければ僕はとっくに死んでいた」
「あれ、前と話が違うような気が……なんか悪化してない?気のせいじゃないよね。違う人と結婚してとか、言ってたような」
結婚する少し前のことであり、ぬいはしっかりと記憶している。そのことを思い出し、頷いた。
「っは、ヌイ以外あり得ないな。誰だ、そんなことを言ったやつは」
嘲笑するように言う。どうやら本当に覚えていないらしい。
「いや、わたしの目の前にいるんだけど。うーん、寝起きだったからかな」
ぬいは首をひねっていると、急にお腹と腰に手を回された。そのまま引き寄せられると、ノルの足の間に座らされる。背面から腕を回され抱きしめられると、耳元に口を寄せてきた。
「君からもらったものは多い。一生かかっても返しきれないだろうし、例え返せたとしても、離すつもりもない」
「だからそれは、わたしのほうだって」
「いや、僕だ」
ぬいとノルは何度も自分の方だと、主張をし続ける。ひとしきり言い合ったあと、少しの間沈黙が生まれ、どちらともなく笑い出した。
「っぷ、あははっ。わたしたち、なにを言い合ってるんだろうね。想いを渡して、また貰って。延々とそれが繰り返し、終わることがない。まわる相思に幸いあれって、弟が言ってたこと、なんだかもう叶ったような気がするよ」
嬉しそうに言うと、ノルは頬にそっと唇を押し当ててきた。何度もそうされたあと、片腕が緩み頬に手を当てられる。残った腕にぬいはそっと手を重ねると、後ろを振り向いた。
「ヌイ、目を」
言われる前に目を閉じると、すぐに口付けられた。余程待ちきれなかったのか最初は強く押し付けられる。そのあと何度か重ね合うと、離された。目を開いて、ぬいは微笑みを浮かべる。するとノルは恥ずかしそうに顔をそむけた。
「その……君のような人たちについては協議中だ。神官騎士たちがその役も兼ねればいいが……今から教育して、間に合うかどうか。そもそも無駄な気もする」
恥ずかしさをかくすためか、ノルは元の話題に戻してきた。
「お話するだけなら、同じ世界出身であるわたしが、話をしたほうがいいような気もするけど」
「だめだ」
ノルは即答した。この態勢で顔は見えないが、確実ににらんでいることが分かる声色である。
「そう言うと思ったよ。まだ時間はあるから、納得できる案を二人で話し合っていこう。決して一人で勝手には決めないこと。それでいいかな?」
姉らしくというより、恋人のように甘えながら言う。ノルは感情が抑えきれなくなったのか、腕に力を入れてきた。
「言っただろう。僕は君に弱いと。断るわけなどない」




