12:教義違反
「此度の対処はすべて完了した。日常に戻るがよい」
「神々よ、日々の見守りに感謝を。おかげでつつがなく終えることができました」
ノルは立ち上がるとヴァーツラフの前で膝をつく。ぬいの存在を無視するかのように、儀式がはじまる。
長い聖句のようなものを唱えはじめ、入るに入れなくなってしまった。
まだかまだかと、大人しく待っていると後方の扉が開き光が差し込む。
「ヌイさま!こちらにいらしたんですね」
どうやらヴァーツラフではなく、ぬいを探していたようだ。おそらく話を聞いてほしいのだろう。
しかし、取込み中のヴァーツラフたちを見ると口をつぐんだ。
普段であれば入った瞬間、大声を出すことなどしない。しかし勇者が関わると、どうしても注意散漫になってしまう傾向がある。
ぬいはこの後話す内容を完全に察し、ミレナに感謝した。この間はチャンスだ。
「いや、まだ終わってないよ!」
びしりとノルを指さす。
「そこの泥棒くんはわたしの許可なく荷物を奪った。それどころか、睡眠中の無抵抗の相手に聖壁をかけ、体の自由を奪った」
「もしかして、犯罪者の告解でしょうか?」
ミレナはぬいの傍に寄ると、警戒するようにノルを見る。
「とんだ言いがかりだ!堕神に警戒して何が悪い?」
負けじと立ち上がり、ぬいの方を向く。
「なんですか、それ……」
ミレナが小さくつぶやく。ぬいは横目で様子を伺ってみると、目が笑っていなかった。
勇者が不特定多数の女性に囲まれていた話をするときもよく、こんな顔をしていた覚えがある。
「よく見たらその悪人顔、見覚えがあります。確か……」
「スヴァトプルク家も知らないとは、さすがは末端の皇女だな」
皮肉たっぷりの返答に、ミレナの顔から表情が消え去っていく。
「我らが神たちよ」と聖句が聞こえ、ぬいは慌てて彼女の肩に手を置く。
「ミレナちゃん、ここ礼拝堂だから!」
「御業の行使は特に禁じられておりません」
「たっ、たしかに泥棒くんもさっきわたしに使ってきたけど」
ちらりとヴァーツラフを見るが、微動だにしていなかった。いつも通り無表情でその場に立っている。
「荒事にするつもりはないから、いいから止めて。ね?」
ぬいはミレナに言い聞かせるように言うと、不満げであるが「わかりました」と言った。
「なるほど、スヴァトプルク家……事情を思い出しました、ですが度を越しすぎかと思います」
「あの勇者とやらに何を聞いたが知らないが、君に言われる筋合いも、同情もいらない」
ノルが言った瞬間、ミレナは目の色を変える。
「なっ……まさか。あなたは勇者さまの言う、最初の友達ですか?」
「あの男と友になった覚えはない。向こうが勝手に言っているだけだ」
「勇者さまの、はじめての……なんて羨ましい」
ミレナの表情が暗くなる。
「変な言い方をするのはよせ、気持ち悪い」
「あのさ、その勇者さまって、この人のことなんて言ってたの?」
ぬいは良くない変化をするミレナを止めようと、明るく言った。単純に気になっていたのもあるからだ。
「勇者さまのことですかっ!そうですね、見知らぬ場所にいつの間にか倒れていて、不安な気持ちだった時最初に出会ったのがこの方だそうです。ああ!本当に羨ましい……なぜその立ち位置がわたくしではなかったのでしょうか、意味がわかりません……」
後半になるにつれ声が低くなり、ぼそぼそと聞き取り辛い声になる。
「そなたの役目は選別後の案内である」
ヴァーツラフはただ事実を言うが、その声さえ耳に届いていない。
「感情の起伏が激しいどころじゃないだろう」
ノルは若干引き気味にミレナのことを評する。
「そう?若さにあふれてて、見ていて面白いけど」
「趣味が悪いな」
「うーん、泥棒くんに言われたくないよ」
ノルが言い返そうとした瞬間、ミレナは明るい表情に戻ると、話を続ける。
「勇者さまはとてもお優しいですから、親切にしてくれたなどとおっしゃっていました。ですが、本当に親切な方が寝具を渡さず、その辺に寝かすでしょうか」
この辺りは多少差異があるらしい。少なくともノルは寝床を整えることはしてくれた。
「食事も勇者さまが自分のがあると遠慮したからといって、水しか与えなかったのです」
ぬいは一食分もらえた、そのことを思い出しノルの方を見る。
「勘違いするな。放っておけば勝手に荷物を覗くと思って、黙らせたまでだ」
「そう、それはありがとう、自分の分じゃ足りなかったしね。結構おいしかったよ」
「……っう」
馬鹿にしたはずが逆に礼を言われ、ノルは何も言い返せなくなったようだ。複雑そうな表情で口をつぐんでいる。
「翌朝勇者さまが起床されたとき、いきなりこの方は荷物を持つと、走り出したそうです。親切心からだろうと言ってましたが、確信しました。絶対に違います」
ミレナは冷たい目でノルのことを一瞥する。
「なんでわたしと違って、御業を使わなかったの?」
「気持ち悪いんだよ、あの堕神。僕が少しでも近づいたり、何かしようとすればすぐに目を開け、顔を横に向けてくる。野生動物か何かか……」
ノルは当時のことを思い出したのか、身震いする。
「だから、奪取したんだ」
納得したのか、ぬいは小さくつぶやく。
「そしてここまで互いに並んで競争したそうです。結果はもちろん、勇者様の勝利です!お優しいうえに、足も速いなんて……なんとすてきなんでしょうか」
「覚えたての御業を使い、強化状態の僕と並走するなど、あれはなんなんだ……よくわからないことを言っていたが。地の神か何かだったのか」
ノルは余程彼のことが好ましくないのか、顔を歪める。棘というよりも恐れが多そうに見える。
『陸上部。そなたなら、この意味が分かるだろう』
よく響く声で、ヴァーツラフがぬいに言った。
『あー、なるほどねえ』
それは益々合わなそうだとぬいは思った。体育会系でいつも輪の中心にいて、社交的。元の世界で会ったとしても、交流を持たないタイプだろう。
「堕神、今教皇さまはなんとおっしゃった?」
ノルがぬいに問いかける。ミレナも一旦話をやめ不思議そうに見ている。
「何って、普通に……」
言おうとしたが、口を閉じた。
前々からヴァーツラフの口の動きが、同じになることに気づいていたが、おそらく場によって言語を合わせているのだろう。ぬいも意識すればできるはずだと、集中する。
『さっきの鞄に入っていたもの、ヴァーツラフにはなにかわかっていた?』
『充電器とコンセント、それにマドレーヌとクッキーがいくつか。割れたせんべいが数枚に』
『あ、もういいや。聞いてるとお腹すいてくるよ』
「やはり同じなんですね。勇者さまよりは固有名詞が少なく、流暢に話されるので失念しておりました」
ミレナが羨ましそうに言うが、会っても話がはずむことはないだろう。
「わたしと勇者さんの翻訳の違いはなに?」
「そなたのは強制翻訳。もう一方の固有名詞は何も処理が施されておらぬ」
「後から来たわたしのほうが、退化してるような気が……まあ、いいや。ごめんね、ミレナちゃん。続きお願い」
「はい。俊足を発揮した勇者さまは、この国へたどり着きます。最初はヌイさまと同じ、この宿舎に住んでおられましたが……食事を理由に出て行ってしまったのです」
どうやら味覚はぬいと同じらしい。あの食事に耐えられるのは、本気で修業に来ている者くらいだろう。
「それからというもの。才覚を発揮された勇者さまは、数々の偉業を成し遂げ今に至ります。細かく話せば、夜を明けても終わりません」
ミレナは残念そうに言う。今日はここまでにしておくようだ。
「平静を欠き、失礼いたしました。教皇さま、以上の事柄を比較しながら、沙汰をお願いいたします」
優雅に一礼すると、ヴァーツラフは錫杖を揺らす。
「この者に人の善悪や是非を論じることはできぬ。ただ、教義から逸脱した行動であることは理解できる」
「お待ちください!教皇さま!」
ノルが止めに入るが、ミレナは笑顔で制止した。
「神官会議に出す方が良いのでしょうか?末端といえど、皇家に身を連ねる者。わたくしの大切な勇者様と友人を想うあまり、つい大げさに話してしまいそうです」
「ミレナちゃん……」
ぬいは友人と認められていることに感動した。対してノルは悔しそうに口をつぐんでいる。
「さあ、教皇さま」
「よろしい、そなたに罰を下そう。一週間、ここで神官たちと寝食を共にし修業に励むこと」
思っていたより、軽かったのかノルがホッとしたような表情を浮かべる。だが、まだ終わっていなかった。
「そして、異邦者と共に浄化に励むこと。以上である」
「そんな……教皇さま!なぜですか?僕一人で事足りるでしょう?」
ノルは打って変わって、絶望した表情で訴えかける。
「罪を償う者も、また償われる側も見届けるべきである」
「……っく、異邦者とはどちらのことです?まさか、二人一緒とかでは……ないですよね?」
最悪な未来を想像したのか、顔が青ざめている。
「そなたが大きく教義を反した方でよかろう」
ヴァーツラフがぬいを一瞥する。
「こっちの方がまだマシか」
ノルは腕を組むと、目を細めてぬいの方へ向いた。
「えっ……え?わたし?わたしがなんで?拒否権は?ねえミレナちゃん、ヴァーツラフ?」
二人にそれぞれ近寄って懇願するが、願いが聞き届けられることはなかった。




