118:貴族としての試練
貴族相手の対応はかなりよくできていた。ぬいはその実感をひしひしと感じ、嬉しさから口角が上がりそうになっていた。
そもそも腹の探り合いや、遠回しな言い方の応対などには慣れている。乾綠であったときは、身分が一番上か下かの位置にしか存在していなかった。
そのため常に油断できず、相手は引きずり降ろそうとするか、見下してくるだけであった。ゆえにここへ来てからも、その過去に引っ張られ、目立つ場所に出たくなかったのである。
だが、今は神官貴族で異邦者と言う、特異な身の上である。粗探しはされても、積極的に地位を下げにかかろうとしてくる者はいない。そして、なによりぬいには守りたい存在が居る。ノルのためならば、なんだってできるだろう。与えられた愛から、元々彼女に足りていない自信が補完される。
それがさらに、ぬいという人物を魅力的に見せ、賑わいを増していった。
社交界に出て数日は毒を盛られるようなことはなかった。警戒しながら口に入れても、なんの刺激も受けない。
ノルもペトルに連れられて以降大人しくなり、常に張り付くようにならなくなった。役目が忙しく、来れない時もある。
だがそんな日々を過ごしたとき、ついに毒を口にすることになった。渡された飲み物を口に含んだ瞬間、強烈な刺激が舌と鼻を刺す。
吐いてしまいたい衝動に駆られるが、それをぐっとこらえて飲み込んだ。風邪をひいたときのような、焼け付く痛みが喉を走る。
生理的な涙が出そうになるがそれらを抑え、偽りの笑みを浮かべる。いつ御業を行使しようと、会話と人が途切れる間を注意深く伺う。
しかしそんな隙は無く、徐々に毒が体を蝕んできた。じりじりと体が焼かれるような痛みが襲う。それは病を患っていたときを思い起こさせ、ぬいの瞳を暗くしていく。遠くの方へ目を向ければ、クスクスと笑い声をあげる人たちが見えた。
――貴族として試されている。
その事実を認識した瞬間、ぬいの体に力がみなぎっていた。脳裏にノルの顔を思い浮かべ、頭を働かせる。
「ちょっと追加で飲み物を持ってきますね。これ、あまりにもおいしくて。もう飲み干してしまったんです」
グラスを見せつけるように掲げると、移動する。その際も人が離れることはない。
「ええ、わたしはあまりお酒が得意ではないんです。本当は浴びる程飲んでも、立ち上がる力をいただけるような体に生まれたらよかったのですが」
会話の途中に聖句を混ぜる行為は気づかれていただろう。だが、なんの問題もない。御業は省略することができないのが、普通である。
御業の効果から、体を蝕む毒が徐々に取り除かれていくのを感じ、ぬいはこっそり一息ついた。
それからぬいは何度もこの手を使った。もちろん混ぜる会話は毎回変えているが、なにも不信に思われることはない。
最早慣れたものだと、なんの疑いもなく差し出されたものを口にした。毎回変わることのない、焼け付く痛み。
だが、今回はなにかが異なっていた。グラスを置いた後、強烈なめまいと視界の不明瞭に襲われる。それでも表にだすまいと、足を踏みしめるが、努力むなしく体が前傾する。
「そんなに僕に会いたかったのか」
聞きなれた声とともに、落ち着くにおいに包まれる。倒れかかったところを正面から支えられたらしい。端から見たら、再会に喜ぶ夫婦の図だろう。背中に腕を回されると、軽く抱きしめられる。
「神々よ、愛おしき我が伴侶に、立ち上がる力をお授けください」
耳元に囁くよう、小さく聖句を唱えられる。この声量であれば周りに聞こえていないだろう。体を離されると、腰に手を回される。しっかりと支えられているため、倒れるようなことはなかった。
「僕はもちろん会いたかった。待たせてしまって、すまない」
視界はまだぼやけているが、ノルは周りを威嚇するような行動を取らない。それどころか、あからさまにぬいのことを見つめてくる。
誰に話しかけられようとも、視線を外すことなく、ただ幸せそうに。対応はすべてぬいが行ったが、ノルが嫉妬心にかられることはない。
その吹っ切れたような表情から、なにか覚悟を決めたらしい。追い払うような真似はせず、ただ寄り添った。




