113:反省する
「‥‥うう」
まぶしさを感じ、ぬいはうなりながら目を開けた。
カーテンの隙間から見える日の高さは、朝を通り越して昼近くをさしている。そのことを認識すると、ぬいは慌てて起き上がる。
「いたっ」
体の重さと鈍い痛みを覚えると、ぬいは再びベッドに横たわった。
おそるおそる、体を見てみると服はしっかりと着用していた。上までボタンがしっかりと止まっていて、かえって息苦しさを感じるほどである。
胸元を緩めると、赤い跡が点々とついているのが見えた。今までのノルであれば、気を使ってここまで残すようなことはしなかった。あったとしても、人から見えないような部分だけであった。容赦のない跡をむざむざと見せつけられ、ぬいは顔を赤くする。
かといって、もう一度ボタンを締め直す気は起きなかった。体はまた拭かれているのか、きれいな状態である。だがそれでも体を一度洗ってすっきりしたい。ぬいはそう思い、今度はゆっくりと体を起こした。
意外なことに、痛みは感じない。咄嗟に体を動かしたのがよくなかったのだろう。そのまま足に力を入れ立ち上がると、浴室へと向かった。
◇
身支度を整えたあと、ぬいは再びベッドに横たわっていた。すぐ隣には誰もいない。このまま来なければ、探しに行こうかと考えていたとき、寝室の扉が開かれた。
「あ!ノルく‥‥ん?」
部屋に入ってきたノルは見るからにうなだれていた。
手には朝食を載せたプレートを持っていて、片手に乗せると器用に扉を閉める。ぬいのことを見ると顔を明るくするが、すぐ元に戻ってしまった。
「最悪だ」
ノルは深くため息をつくと、ベッドの端に腰を降ろし、プレートを横の机の上へ置く。
「えっ……わたし、なんか変だったりした?」
ぬいは心配そうに尋ねる。
「違う!断じてそうではない。変などころか最高だった。まあ……だからこそ、君をこんな状態にしてしまったんだが」
覆いかぶさるように、ノルは抱きしめてきた。疲れ果てたのを理解しているのか、回された腕は壊れ物を扱うような優しさである。そのまま頬に口付けを落とすと、離れて背を向けた。
「もっと丁寧に、大事にするはずだっだというのに。なぜ最後の最後で、僕は我慢できなかったんだ」
「大事にはしてくれたよね?それに、いいよって言ったのはわたしなんだから。ノルくんはなにも悪くないよ」
背中を向け落ち込むノルを撫でようとするが、ぬいの体は重く動く気配はない。
「っく、君は僕に甘すぎると思う。最初だけだ……途中まではよかったのに。心底自分が情けない」
落ち込むノルに対し、今のぬいにできることは声をかけることだけである。
「確かに体は重いし……そのノルくんが常に傍に居るような感じがする」
言葉に出すと余計に意識してしまったのか、膝をもじもじと動かす。もしその姿が見えていたなら、再度押し倒されていただろう。
「でも、生きてきてこんなに求められたことはないから。わたしは幸せだったよ」
「うっ……ヌイ」
ノルが振り返ると、ぬいはゆっくりと手を伸ばす。掴まれた手は暖かく、優しく包み込んでくれた。
「それでもノルくんが自分を許せないなら、次に納得できるようにすればいいんじゃないかな?」
「次があるというのか?」
信じられないといった具合に、ノルは目を見開いた。
「一回だけって、激務の王侯貴族か心中前の恋人じゃないんだから」
笑いながら言うと、繋いだ手はそのままに距離を詰めてきた。
「本当にいいのか?」
これ程食いつかれるとはもちろん予想しておらず、ぬいは目を泳がせる。
「うっ、今はもうだめだよ。そろそろ昼になるし、なによりお腹空いたし」
「……それはさすがにわかってる。いつだったらいい?」
「いつって……もう少し元気になって、わたしかノルくんがそういう気分の……うう、言わせないでよ」
照れから顔を逸らす気力が起きず、仕方なく目を閉じると、頬を撫でられた。その触り方は下心のあるものではない。安心してされるがままにする。
「すまない。すぐにせかすのは僕の悪い癖だ。これではまるで体目当てのような……いや、あくまでヌイのと言う点では、間違っていないが。っく、だめだ。うかれすぎて、自分が制御できない」
混乱しながら頭を抱えるノルに対し、ぬいはゆっくり起き上がると身を寄せた。
「お互いに想い合うようになって、心が満たされた。けど、こうしてくっついているのも、幸せだよね」
ぬいがそう言うと、ノルは目を瞬く。どこか酔いしれたような表情を浮かべると、頬に手を添え口付けてきた。
「おはよう、ヌイ」
「うん、おはよう。ノルくん」
嬉しげに返事をすると、ノルはまた顔を近づけようとするが、すぐに静止して首を振った。
「っく、だめだ。耐えろ‥‥ひとまず君は何か食べたほうがいい」
机に置いてあったプレートを持ってくると、そのまま渡すことはしなかった。ノルはベッドに腰をかけたまま、パンをちぎるとぬいの口元に持っていく。
特に抵抗することなく、口を開くと咀嚼する。自分で食べられると、断りを入れる隙もない。そのことにやきもきしながらもパンを一つ平らげると、ぬいはようやく口を挟むことができた。
「ねえ、ノルくんは食べないの?」
プレートの上にある食事はどう見ても二人分である。
「全部ヌイのだろう?」
疑いなくノルは言う。確かに以前のぬいであればこの十倍あっても、難なく平らげただろう。感情が戻ったあとも、食べれなくない量である。
「それって、多分ノルくんが用意してくれたんじゃないよね?」
「‥‥そうだ。本当は全てが僕がしたかったが、起きたのが遅かった。ヌイのことを眺めていたら、こんな時間になってしまって」
言いづらそうに事実を言うが、ぬいの心は満たされていく。起きてすぐに出てってしまったのではないことが、わかったからだ。
「そっか、だったらノルくんも一緒に食べようよ。お腹空いてない?」
「僕のことはいい。それよりも‥‥」
ノルが言葉を続けようとした途中で、ぬいはパンを口元に突きつけようと、突撃した。しかし腕を軽く押され、軌道を逸らされると、体を抱きとめられた。
「ヌイ!怪我はないか?」
ノルは体を離すと押した部分を軽く触って確認してくる。
「つい癖で、避けてしまった。すまない」
「前にさ、御業を使って身を守れって言ってたけど、ノルくんには無理そうだね」
ぬいは不満げに一歩下がった。
「謝る必要はないよ。その代わりに、わたしの言うこと聞いてくれるよね?」
スプーンを目の前に差し出すと、ノルは黙って口にした。




