雨がふると元気になる
朝から降りつづく雨は、梅雨らしいやさしさで緑をうるおしている。こんな休日には家にいて、のんびり過ごすのがいい。読みかけの本をかたわらにおいて、余計な力を抜いてゆき、余計な考えを捨ててゆく。雨の音を聴くのもいい。
目を閉じれば、雨に打たれるアジサイの、薄い青と鮮やかな緑が広がっている。想像上のアジサイの、葉っぱの上にはカタツムリがいて、ゆっくりゆっくりと動いている。
あふれだす、BGMはアヴェマリア。
シューベルト作のアヴェマリアを、何日か聴いていたせいだろう。カタツムリのスローな動きが、その調べと、なんだか妙に合っている。
カタツムリは縁起がよい生きものだ。後退しない、雌雄同体、多産であることから、商売繁盛、男女平等、良縁や子宝を連想させる、幸運の象徴とされている。
だからというわけでもないが、カタツムリ映像のBGMがアヴェマリアであったとしても、マリア様は怒らないと信じている。
きっと神さまも怒らないだろう。
怒らないと信じて、創生神はカタツムリの姿をしていると想像してみる。神さまが通ったところから、ネバネバと数知れぬ宇宙が誕生するのだ。
限りない宇宙のどこかの天体には、カタツムリの楽園があるのかもしれない。
多種多様に派生、進化したならば、人形をなした種もいるだろう。知的生命体として繁栄しても、すべてが満たされた楽園で争う必要はない。惑星に広がるアジサイは、平和の象徴として大切にされている。
人形となっても雌雄同体で卵生だろうか。
さすがに殻はないだろう。殻をすてる方向に進化した人形種は、太古の姿を維持している巨大なカタツムリを、地上に降りた神として崇拝しているかもしれない。その巨大なカタツムリは、創生神に似た姿だけあって、不思議な力をもっているのかもしれない。
ふいにナメッ○星人が浮かんできたので、目を開けてリセットした。壮大にイメージを広げてみても行きついたところに緑色の方々がいらっしゃるのは、それだけ潜在意識にがっつり根付き、引っぱられてしまうからだろう。
これはもうしかたがない。
これはもうどうしようもないしどうもしなくていいとおもう。
清らかな川の流れにそって、水源を目指して歩いてゆけば、濃密な森の香りが漂ってくる。苔むした木々がつらなる森を、さらに奥へと旅してゆけば、巨木がつくりだす原始の世界があり、その地にのみ姿をみせるという、伝説の巨大カタツムリが……。
そんなファンタジー世界を想像したくなったのは、ケルト風音楽のせいかもしれない。心が美しくなりそうなアヴェマリアを聴いて、もろもろが浄化されると期待したい大祓祝詞を聴いていたら、なぜかAIがケルト風音楽をすすめてきたので聴きはじめた。
情緒あふれる音楽だ。
潜在意識になにがあるのか、妙に心がゆれる。
心がどこかへ旅をする。
雨の音を聴くのもいいが、音楽を聴くのもいいものだ。