聖戦ヴァンテ
二幕
一場 パリの街頭
舞台いっぱいに、フロアーにもバリケードが張りめぐらされている。クールフェーラック、マリウス、アンジョーラ、エポニーヌ板付き。
クールフェーラック「この革命の目的はまず王制の廃止だ。人間は生まれながらにして平等だ。王家に生まれたというだけで贅沢な生活ができるなんて、あってはならない」
アンジョーラ「なんでおれはここにいるんだろう…」
エポニーヌ「ABCの会は新参者だから、他の革命グループから離れた所を持ち場にされたんだよ」
アンジョーラ「いや、そういう意味じゃなくて…」
エポニーヌ「新参者というより、リーダーの人望かもしれないけど」
アンジョーラ「なんであんたがここにいるんだ?」
エポニーヌ「あんたに関係ないでしょ!」
クールフェーラック「そこ、だまって聞け! 王制の廃止にともない、議会を再開する。国政のどんなことでも国民の直接投票によって選ばれた議員が話し合って決める。独裁なんてもっての他だ!」
マリウス「何よりも、貧富の格差のない社会を作ることだ!」
クールフェーラック「その通りだ。今の貧富の差は何が原因か? 赤字国債だ! ブルボン王朝のツケが国民に重税となってのしかかっている! 革命政府はルイ王家の借金を引き継ぐ義務なんかない。国債を肩代わりした一部の企業を追放し、フランスを永年のくびきから解き放つ! それができてこそ、『自由 平等 博愛』の大革命の精神を全世界に発信することが…」
砲声。爆発音。クールフェーラック、マリウス、アンジョーラ、エポニーヌ、床に倒れる。
クールフェーラック「なんだ? どうしたんだ!」
下手からガブローシュ、縛られているジャベールの縄尻を持って登場。
ガブローシュ「警官隊が8サンチ砲をぶっ放したんだよ」
クールフェーラック、マリウス、アンジョーラ、エポニーヌ、起き上がる。
アンジョーラ「それで、他のグループは…。いや、聞かないでもわかる」
ガブローシュ「それでこいつだけやられなかったから、スパイかと思ってつかまえたんだ」
ジャベール「子供のくせして、死んだふりなんかしやがって…」
ガブローシュ「『大丈夫か』ってかがんだところを、ピストルをつきつけたんだ! どう、お手柄でしょ! これをきっかけにしておれもナポレオンみたいに…」
アンジョーラ「なれないだろうな」
ガブローシュ「なんで!」
アンジョーラ「確かに、革命が成功すれば犯罪者が権力者になり、権力者が犯罪者になる。だけど失敗すれば犯罪者は犯罪者のままだ」
クールフェーラック「(ジャベールに)あんた、警官か?」
ジャベール「そうだ」
クールフェーラック「フランスが今のままでいいと本気で思ってるのか?」
ジャベール「当然だ」
クールフェーラック「警察は政権に直属する。どんな政権にも尻尾を振る。まさに…、権力のイヌだ」
ジャベール「それがどうした」
クールフェーラック「おまえはこの、『レ・ミゼラブル』があふれているパリを見て何も感じないのか!」
ジャベール「だからこそ、『法と秩序』が必要だ」
クールフェーラック「そんなものより先に、生きるためのカネが必要なんだ! フランスの国民は、赤字国債を返すための重税に苦しんでいる。ルイ16世以来の贅沢のツケだ! その子孫が国王として君臨するなど、あってはならない! フランスを共和制にもどさなければならない!」
ジャベール「おれは王制なんかどうでもいいが、共和制が好きなわけじゃない」
クールフェーラック「共和制こそが、大革命の象徴であり、フランスが世界に誇るべきもの…」
ジャベール「大革命のきっかけが税制改革だっていうことは…」
クールフェーラック「無論、知っている。貴族にも課税すべきだという当然の主張が通らなかったのが革命の引き金になった」
ジャベール「当時のフランスの国家歳入は5億リーブル、歳出も五億リーブルだった。それでいて、赤字国債は42億リーブルだ」
クールフェーラック「釈迦に説法だな」
アンジョーラ「19世紀のフランスになぜ日本のことわざが…」
クールフェーラック「利息だけで2億6千リーブルだ。マリー・アントワネットなんていう浪費女を嫁にしたのがルイ16世の間違いだったな」
ジャベール「その赤字を、ジャコバン政権は1年間でさらに10億リーブル増やした」
間。
ジャベール「ルイ王朝時代の借金は60年間で42億リーブル、革命政府は1年で10億リーブル。24倍の浪費だな」
クールフェーラック「ブルボン王朝は贅沢をして借金した! 革命政府は違う!」
ジャベール「その通りだ。革命政府は何に金を使ったか? 処刑と戦争だ!」
クールフェーラック「共和制をつぶそうと、ヨーロッパ各国が襲いかかってきたからだ!」
ジャベール「頭に血が上ったロベスピエールは、取引材料になる国王を殺してしまった。和平ができなくなった」
クールフェーラック「この戦争によって、大革命の大儀がヨーロッパ中に広まった!」
ジャベール「カトリック王党軍…」
間。
アンジョーラ「あんたまさか…、ヴァンテの生まれじゃ…」
ガブローシュ「ヴァンテって…」
アンジョーラ「共和国に大規模な反乱を起こしたんだ。鎮圧された後、ひどい目に会った。それをやめさせたのは…」
ガブローシュ「まさか…ナポレオン?」
アンジョーラ「そうだ」
ジャベール「(クールフェーラックに)外国との戦争のために共和国政府は、全国からくじ引きで30万人を徴兵し、武器食糧を村々から徴発することにした。そんなことをされたら、もともと貧しいヴァンテ地方の農民は、戦うしかなかった。共和国軍はヴァンテの人々を30万人殺した!」
クールフェーラック「革命のための尊い犠牲だ! 大革命の『自由 平等 博愛』の理念は世界史に残る金字塔だ! このことは、世界各国の民主主義に大きな影響を与えるはずだ! きっと、20世紀には君主制の国家など世界から無くなっているだろう! 確かに革命政府によってギロチンにかけられた人はたくさんいる。それを思うと心が痛む。だが、そのギロチンでさえ罪人に苦しみを与えないために創られた。大革命は民主主義だけではなく、人道の発祥でもあるんだ!」
ジャベール「おまえ、溺死刑って知ってるか」
間。
ジャベール「おれの両親はボロ舟に乗せられて、溺死させられた…。おれの両親は、舟に穴をあけられた時はおれをかばっていた。だけど…、そのうち父親は、おれの小さい体を浮き袋がわりにしようとした! 苦しくて苦しくて…、恐ろしくて恐ろしくて! おれが川岸に打ち上げられたのはただの幸運だ。なぜこんな残酷な処刑が行われたのか? ヴァンテに住んでいたというだけで! さっき戦争と処刑で共和国政府は借金を増やしたって言ったな。ギロチンっていうのは一人につき59リーブルかかるんだ。それでカネのかからない処刑法として、こんな殺し方を考えたんだ!」
間。
ジャベール「ルイ王朝時代、たしかに国王と貴族は贅沢をして庶民は苦しんでいた。だけど戦争も虐殺もなかった。共和制時代、庶民は王政時代以上に苦しんだ! なぜか? 混乱と無秩序ゆえだ! シャルル10世なんかどうでもいいが、外国の傀儡ってことは戦争も虐殺もできないだろう。王制のもとではロベスピエールもナポレオンも生まれない。今のフランスに必要なのは、民主主義なんかじゃなくて安定なんだ。法と秩序なんだ!」
クールフェーラック「今のフランスにとってはそうかもしれない。だけどおれたちには、大革命の理念を受け継ぐっていう、世界史に対する責任があるんだ。たとえこの五人だけでも戦い続ければ、必ず後に続く者があらわれる!」
ジャベール「なあ…、なぜこの五人だけがやられなかったと思う?」
クールフェーラック「知らねえよ」
ジャベール「この中に当局への内通者がいる」
クールフェーラック「だまれ!」
クールフェーラック、ジャベールを殴り倒す。
アンジョーラ「まさか…、(エポニーヌを見る)あんたが?」
ジャベール「当たったな」
クールフェーラック「イヌの言葉なんか信じると思うか?」
エポニーヌ「(意を決したように)…みんな知ってる? マリウスのお父さんは王党派の大物議員なんだよ」
マリウス「それがどうしたっていうんだ」
エポニーヌ「今ならまだ間に合う! 手を挙げて出ていけば殺されずにすむ! マリウスのお父さんならきっと…」
マリウス「やかましい!」
クールフェーラック「ガブローシュ! こいつを縛れ!」
ガブローシュ、エポニーヌを後ろ手に縛る。
クールフェーラック「五人が四人になっても同じだ。我々は戦い続ける。手始めにこの男を血祭りに…」
エポニーヌ「待って! 警官を殺したりしたら、もう後戻りできない!」
クールフェーラック「もどる必要なんかない!」
ジャン 「待ちなさい!」
ジャン・バルジャン、大きな木箱から首を出す。全員、驚く。
ガブローシュ「わっ、びっくりした!」
ジャン、箱から出ようとして転ぶ。全員、あっけにとられる。ジャン、立ち上がって叫ぶ。
ジャン 「待ちなさい!」
アンジョーラ「それはさっきも聞いた」
ジャン 「マリウス君! きみはここから出なければいけない!」
マリウス「あなたは…、もしかしたら…」
ジャン 「コゼットがあなたを待っているからです」
マリウス「コゼット…。いや、コゼットはぼくを捨てた!」
ジャン 「それが勘違いなんだ!」
マリウス「(懐から手紙を取り出す)はっきりとここに書かれている! どんなにひどい言葉でも、コゼットからの手紙だと思うと捨てられなかった!」
ジャン 「それが違うんです! その手紙を書いたのはわたしなんだ!」
マリウス「えっ…」
ジャン 「コゼットは今でもあなたを慕っている。あなたの帰りを待ってるんです!」
マリウス「しかし、仲間たちを見捨てるわけにはいかない!」
ジャン、マリウスを平手打ちにする。
ジャン 「カッコつけてるんじゃねえ! おまえが本当にやりたいことはなんだ! こんな所で殺されることなのか? そうじゃないだろ!」
マリウス「(ジャンを見上げながら言う)ありがとうございました…。まるで本当の父親に叱られているみたいでした…」
ジャン 「いや…、こちらこそすまなかった」
クールフェーラック「(ジャベールに)立て! おれがおまえを撃つ!」
ジャン 「待って下さい!」
クールフェーラック「あんたには関係ない!」
ジャベール「こいつは脱走徒刑囚だ。おれは何十年もこいつを追いまわした」
ジャン 「君のせいでわたしの人生は一日も心休まる日がなかったよ」
ジャベール「こいつは殺したいほどおれを憎んでいるだろう」
ジャン 「わたしに殺させて下さい」
クールフェーラック「(ジャベールに)おまえに選ばせてやろう」
ジャベール「どっちでもいい、というわけでもない。ジャン・バルジャン…おまえが撃て。おれは『革命のための尊い犠牲』になるよりは、窃盗犯で脱獄犯のおまえの憎しみを受けて死にたい」
クールフェーラック「わかった…」
ジャン 「ちょっと、外してもらえませんか」
クールフェーラック「なぜだ!」
アンジョーラ「好きにさせればいい。革命とは関係ないだろ」
マリウス「ぼくもそう思う」
クールフェーラック「…わかった。行こう」
クールフェーラック、マリウス、下手に退場。エポニーヌ、縄を取られたまま下手に退場。
アンジョーラ「ガブローシュ、行くぞ!」
アンジョーラ、ガブローシュ、下手に退場。ジャン、ピストルを置き、ナイフを取り出す。
ジャベール「刃物の方がおまえには似合うよ」
ジャン、かまわずにジャベールの後ろに廻り、縄を切る。ジャン、下手に移動。
ジャベール「何のつもりだ…」
ジャベール、ジャンが置いたピストルを取ってジャンに向ける。
ジャン 「あの箱は下水道に通じている。そこから出ればいい」
ジャベール「世界でいちばん大切なものは法と秩序だ…」
ジャン 「撃ちたければ撃て」
ジャベール「脱獄囚のおまえが警官の命を救うなんてあってはならない…」
ジャン 「わたしは君を殺したくなんかない」
ジャベール「おまえは人殺しであるべきなんだ…」
ジャベール、ピストルの銃口を自分のこめかみに当てる。
ジャベール「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ…!」
ジャン、振り返る。
ジャン 「よせ!」
ジャン、駆け寄ってジャベールのピストルを掴む。銃声。ジャベールの体が一気に弛緩する。
アンジョーラ、クールフェーラック、マリウス、エポニーヌ、ガブローシュが下手から走って登場。ジャベールが倒れ、ジャンがピストルを持って立っている。
アンジョーラ「あなたが殺したのか…」
ジャン 「その通りです」
体育館のフロアーにライフルを持った警官が出てくる。舞台上のマリウスに向かって構える。
エポニーヌ「あぶない!」
エポニーヌ、縛られたままマリウスに体当たりする。マリウス、前のめりに倒れる。フロアーの警官、発砲、銃声。エポニーヌ、仰向けに倒れる。
マリウス「エポニーヌ!」
マリウス、座ってエボニーヌの体を抱きかかえる。
マリウス「しっかりしろ! すぐに医者に…」
エポニーヌ「ムダだよ…、自分でわかるもん。それにあたしは、いまとっても幸せなんだ…」
マリウス「バカなことを!」
エポニーヌ「あんたは、あたしみたいな女もレディーとして扱ってくれた、ただひとりの男の人だった…。あたしはあんたといっしょにいると、自分がいいところのお嬢さんになったような気がした。だけど…。あたしはコゼットといっしょに育った。小さいころはコゼットを親といっしょに苛めていた。だけど今のあの娘はそこそこいい暮らしをしていて、あたしはペテン師の娘。顔かたちも育ちも違いすぎる。あたしが勝てるわけがなかった。それでも、あんたの命を救ったら、あんたはあたしを選んでくれるんじゃないかと…。だから警察にあんたたちを売ったんだ。バカだね…、あたし。そんなことをしてもなんにもならないのに」
マリウス「もういい。しゃべらなくていい」
エポニーヌ「お願いだから聞いて…。だけどあたしの勝ちだ。最後の最後にあの娘に勝った! あたしは、あんたの胸の中で死んでいける…。ねえ、最後のお願い。コゼットのところに…」