朽ちゆく御手 8
クロード卿の競合しそうな候補その一、超能力研究者。
名前は忘れたが、彼は超能力とは人の魂そのものが魔術式となって、魔術を無意識に使っているのではと考えている一派に所属している。
クロード卿はその可能性はないと否定しているものの研究自体の意義は評価している様で、度々彼に会って研究資料の提供や議論を重ねていたらしい。
「クロード卿は素晴らしいお方ですよ」
締めくくりに、彼はそう言ってコーヒーを飲む。
彼は随分と豆に拘るようで、その香りは焦げを煮出しただけだろうと思っている俺ですら心地良いと思うほどだ。
ただし、それが入っているのはビーカーだが。
彼がそこら辺に転がっているビーカーと漏斗でコーヒーを入れた時は、ああこういう質の奴か、とため息が出てしまった。
研究者というのは度々、そういう人間が居るもんだ。
彼等は研究室が応接室だと思い、ビーカーはマグ代わりになると信じ、角砂糖の代わりに細菌の餌にする糖類を使えばいいと思っている。
その証拠に、俺が今いる所は実験器具が雑多に並んでいるし、渡されたビーカーには淹れ立てのコーヒーがあり、小さなビーカーには透明な蜜が入っている。
言わせてくれ。人体実験でもされるのか。俺は。
この状況にスピネルも目を白黒させているし、エルに至ってはビーカーを視界に入れない様に資料に目を通しているんだが、この白衣の男は気付かないのか。
気付かないんだろうな。まあいい。話を進めてさっさと帰ろう。
「ええと、クロード卿の考えと貴方の推論は真逆の様ですが、そのことに関してクロード卿はどういっていましたか」
「異論は多ければ多い程真実に近づくものだ、とおっしゃってましたね。それに、どんな形であれ人の魂に関する研究者が増えるのはいい事だとも」
「そうなのですか?」
「ええ。何せ魂はここまで魔術が発展した現世においても未だ解明できていません。いわば、神のブラックボックスです。クロード卿も流石に悩んでおりましたよ」
そう言えば、彼は人の魂の劣化を酷く気にしていたな。その一環で彼と接触、援助していたのか。
「しかしクロード卿は無事でしょうか?」
「無事? というと呪いの事をご存知で?」
「呪い? いえ私は数年前から、先生の研究を狙って殺し屋などが雇われたと噂で耳にしていたんです。……呪いもかけられたんですか?」
「え!? 師匠が命を狙われていたんですか!?」
「スピネル、コーヒーを飲んで落ち着け」
小うるさい子供にビーカーを持たせてやれば、スピネルがまたコーヒー問題に直面して無言になる。
しかし、殺し屋か。穏やかじゃないな。
「言っておくが、クロード卿は誰に知られることもなく対処できているんだから心配することはないぞ」
「そ、そうですよね。あ、所でここの研究の超能力って、魔力学的にはどんな振る舞いなんですかね」
「もう一度言おう。コーヒーを飲め。知的好奇心を引っ込めて、舌をしっかり喉奥に縫い留めておくんだ」
ビーカーコーヒーの衝撃から立ち直ったと思ったらすぐこれだ。
こういう場合は代表者が質問するのが普通で、矢継ぎ早に質問をぶつけるのは余り礼のなっていない事なんだが。
それに……
「もしよければ解説しますよ」
そういう質問をすると、研究者が饒舌になるんだよ。
急にスピネルと研究者が話し始める現状に、俺は頭を抱える外なかった。
どうするんだ。これ。後四人回って、時間があれば他の人間も当たろうと思ってたんだぞ。
スピネルを抑えつつ話を聞くのは骨が折れたものの、俺は時計の針が十二を示す前に、何とか五人分を回り終えた。
疲労感が体に纏わりつくほどの重労働は俺の体から体力を奪い去り、近くに有った公園のベンチに座って休憩するのを余儀なくされたが、それでも情報はもぎ取った。
一番衝撃的だったのは、殺し屋か。
確かに殺して知識を奪うという手は古来からあった。今もそれは廃れることはない。
大量破壊兵器や人体実験などを禁じておきながらそれだけは眼を瞑る様に無言を貫く魔術界には何か意図を感じるが。
しかし……だとしたら不味いんじゃないか。呪いにかかっている上に、殺し屋が命を狙っているとなると……。
いや、大丈夫だな。あの大老だったら文字通り片手間だ。
それにしても、こうして次々と会ってみると、クロード卿は随分と人の魂の研究に執心していたことが窺い知れるな。
その肩入れぶりは研究者がもろ手を挙げて喜ぶほどで、誰も彼もがクロード卿の恩恵を受け、口々に感謝を述べている。
まるで流行らない新興宗教のようだ。
「だからこそ、誰も彼も呪いをかけるような立場じゃないな」
五人が五人とも、そういう人間には見えなかった上に、強烈な魔術の気配も感じ取れなかった。
そもそも呪いをかける理由がない。彼等は恐らく大老の知見の全てを得ることが出来る人間だ。
つまり全員白。思わず呻くほどの白。捜査方針をも白紙にするほどの白だった。
クロード卿はやはり尊敬されていること、思ったよりも人の魂についての関心が高かったこと。日頃から命を狙われていたということ。
以上の事柄を鑑みて、もう一度方針を組み立てないとな。
捜査方針ではなく、治療方針を。
別の公園のベンチで休憩を取りながら、情報を何度も反芻し、呪い払いの手順を組み立て直す。
呪いの根源を断つことから、呪いの徹底的な妨害を狙うとしよう。
きっと今纏わりつている奴等をボロボロにしてしまえば暫く用をなさないだろう。
例え呪いの根源がそれを修復する機能があったとして、どれだけの時間を要するか。
言っては悪いが、クロード卿が天寿をする方が先だ。我々の逃げ切り勝利となる。
「俺の目的は未達成になるが、今回は諦めよう」
「何を諦めるんですか?」
「険しい顔をするな。お師匠様の命を諦める訳じゃない」
スピネルがじっとこちらを見る目はまるで忠実な番犬だ。犬耳がないのが不思議なほどだった。
「一応こちらにも、呪い払いになった理由があってだな。その理由を今回は諦めざるを得ないと言ってるだけだ」
「理由って何ですか?」
「依頼主が喧嘩腰になって聞くようなことじゃない。こっちのプライベートな事だよ」
「じゃあ、理由って何ですか?」
「だからって興味本位丸出しで聞かれても答えるわけないだろ」
目をランランと輝かせるこの顔は、今日一日で散々見た顔だ。この女、血糖の代わりに好奇心で体を動かしているのか。
お陰でこいつを無理やり押しのけなければいけなかったり、引っ張って帰らないとならなかったり、腕が疲れて仕方ない。
さらに言えばこの不要になった書類が、腕の疲労に拍車をかけている。エルに紅茶を買わせに行ったのは間違いだったな。
「スピネル、ちょっとこれ持ってろ」
「え? 依頼主に労働させるんですか?」
「子供が疲れたって言ってるんだ。大人は従え」
「十七歳ですよね」
「見た目は七歳だ。外聞が気になるだろ?」
「……」
よしよしこれで楽になった。やっぱり背負うべきでない重荷は誰かに背負わせた方がずっと気分がいい。
それに散々引っ掻き回してくれた存在が、不服気に俺を見るのも快い。もっと嘆けばいいのに。
「そう言えば、エフィムさんはどうしてそんな見た目なんですか?」
「魔術の実験の代償だ」
「代償……」
「七歳の時にちょっとやらかして、それ以来成長らしい成長が無くなった。髪の毛すら抜けなくなってる」
「それって、若さを保ってるって事ですか? いやでも……そうじゃないですよね。恒常性の停滞?」
スピネルが呟く内容は正鵠を得ていて、多少感心してしまう。
好奇心の塊は伊達じゃない。知識量もそれなりに有しているのか。
「そうだな。恒常性というのは生物に限定するなら、外的要因で劣化する自身の体を元に戻そうとする働きだ。髪の毛は痛んだものはどんどん取り換えていくし、皮膚も使い捨てて新しいものを作っていく」
「でも、エフィムさんはそれがない」
「ああ。なのに劣化することもない。不思議だよな」
自身の体は生体科学的な事柄から外れている。それが如実に分かる現象だ。
もう何年も切っていない爪を見てみる。恐らく今後、俺はこれを切ることは永遠にないだろう。
「でも……怖いですね」
「何がだ?」
「自分がどうして自分を保てているのか、それが分からないのは、不安じゃないですか?」
「不安じゃないな。皆がそうだからだ」
「皆が?」
「例えば我々の核となっている魂。長年の研究で魂は俺達や物質の根幹である事が分かっている」
「……そうですね」
「だが魂が如何に発生するか、どうやって自己を保持しているのか、どうして消えるか。その究明は未だ進んでいない」
俺と全く変わらない。どうして生きているのかが分からないまま、ただ生きているだけだ。
ただ、魂にも恒常性があり、自身を保存し続けようとする機能があるという事だけが……
「……恒常性か」
「?」
その可能性があったか。だとすると、まさか……。
いやまさかと考えるよりも動いた方が手間じゃない。起ち上って、アプローチを考える。
「よし、方針が固まった」
「どうするんですか?」
「クロード卿の所に行く。無理にでも協力させる」
「なら私も」
「不要だ。エル、出てこい」
「おっと、待ちきれませんでしたか?」
立ち上がった直ぐ横にエルが現れる。紅茶は用意されていなかったが、眼を瞑ろう。
「クロード卿の元に行く。行けるな」
「そうですね。強力な結界がありますので、手前までですが」
「それでいい」
「では目を閉じて」
反対側でスピネルが騒いでいるが、言われるまま目を閉じて、一瞬の浮遊感。目を開ければすぐに建物が見える位置に飛んでいた。