朽ちゆく御手 6
出て行けと言われた私がその扉を開けた時、どんなことを考えていたかなんて明確に覚えていない。
ただ師匠が一体どんな状況なのか。私の考えるよりずっと悪いのではないか。そんな感じの不安や、恐怖が渦巻いていたのは確かだった。
それに退出を命じられたけれど見ることは禁じられていない、という言い訳も。
頭をガンガン駆け巡る不安とその言い訳。それで扉の隙間から覗いた呪い払いの戦いは、一言で言えば乱暴だった。
総じて巧みと言えるところはなくて、知恵とか計略なんて言葉は知らないみたいで。
でも、圧倒的だった。
エフィムさんが眼帯を外して師匠を見たと思ったら、急に腕から白い骸骨が出てきてあの子に襲い掛かる。
魔術的な存在が現出する時、魔術師は先ずその強大な力を警戒するもの。
でも、エフィムさんは警戒も何もせず、何気なくスーツの裏から拳銃を取り出すと、両手で構えて発砲した。
衝撃で腕が跳ね上がって、それと同じくらいの勢いで骸骨が跳ね飛ぶ。
唐突に表れた強敵を、エフィムさんは軽くあしらってしまう。
はっきり分かる。私が行っている魔法と次元が違い過ぎる。
あれはきっと魔術の弾だ。私には精製できないほど、高威力のものだ。
どれだけの過程を経て作れば、あのいりょくになるんだろう。
エフィムさんは手を振って溜息をつくと、師匠と少し話してまた構え直す。
そして、何を思ったか、歩きながら連射し始めた。
私では複雑な手順を踏まないとと作れないのに、そんな品物をまるでそこらの石ころみたいに使ってる。
あの子の実力が分かった気がした。呪いの顕現を見ても顔色を変えない上に、圧倒して見せるその実力が、頼もしい。
私が呼んだ呪い払いは、私が考えているよりもずっと凄くて、格好良かった。
これで師匠は救われる。いつもの、あの穏やかな日々が帰って来る。そう思うと、思わず頬が緩んでしまう。
そして、興味が湧いて来る。優秀な呪い払いの活躍が気になる。
もう少し、見てみたい。壁に行ってしまって見えない。
そう思って少し扉を大きく開くと……蝶番が軋んで
「キャッ」
バンっと扉が開く。誰も居ないのにまるで風で押し開けられたみたいに、開け放たれる。
骸骨が私を見ていて、エフィムさんの体を跳ね飛ばして、こっちに飛んでくる。
咄嗟に護符のブローチを発動するけど、その結界は直ぐに壊れた。遠くからの魔力の圧で簡単に砕けてしまったんだ。
そして目の前に、骸骨が立っていた。
骸骨の顎がカタカタと鳴らして、じっと見降ろされている。
初めて感じるこの圧と寒気。それは初めてなのに正体に気付けるくらいあからさまなもの。
殺意。この骸骨は、私をあの振り上げた腕で突き刺して、殺そうとしている。
その視線を受けた途端、全ての時間が止まった気がした。それとも、時間が延々と引き延ばされたのかも知れない。
その中で、視界の隅に居る師匠の方を見る。骸骨が腕を振り上げているその奥で、何かしようとしている。
でも、師匠は間に合わない。分かっている。師匠のあの体では私の所までは間に合わない。
私が頼ってきた偉大な師を、今は頼ることが出来ない。
まるで、見えない壁に隔絶された気分。孤独で、絶望しかなくて、でも笑うしかない。
私は私の不注意で死ぬ。私の不手際でみすみす自分の命を落とす。
私はここで死ぬ。それだけが導き出される答えだった。
苦しいほど怖くて悲しいのに、停止したみたいな世界で涙も流れない。
乾いた眼でその中で自分を終わらせる処刑の一撃を見据えるしかない。
もう諦めて、目を閉じる。
「よっと」
その一瞬で高い声音が聞こえて、身体が押しのけられる。
声はエフィムさんだ。でも飛ばされた彼が一体どうしてここに居るのか。
咄嗟に隣を見て、ゾッとする。
総毛立った理由は、彼の髪が灰色になったからではなく、彼が薄っすら笑っていた訳でなく、ただ一つ。
その魔力の気配に、凶気が見えたから。
私は未熟者で、まだ何も出来なくて、魔力の気配だって滅多に読めやしない。
でもそんな私にも分かるくらいの、魔力の圧、魔力の質。
呪いよりも禍々しい、血みどろの殺意に研ぎ澄まされた『処刑の剣』。
彼の魔力はそんな感じの、人が纏っていいものじゃなかった。
押しのけたエフィムさんに思わず悲鳴を上げそうだった。
でも、押し殺した悲鳴は、違う光景に押し出される。
「エフィムさん!?」
だって、エフィムさんが押しのけたって事は骸骨の腕が彼に振り下ろされるって事だから。
エフィムさんはそのまま、骸骨の腕に貫かれてしまったから。
骸骨は直ぐに狙いが外れたと気付いてエフィムさんから視線を外し、私を見る。今度こそ殺す気だ。
でもそんなことはどうでもいい。エフィムさんが大変だ。何とかしないと死んじゃう。
今持っている魔術具でこれに対抗しないと、早く治療しないと
「おっと骸骨。まだ戦いは終わってないぞ」
「エフィムさん!?」
信じられない。あの怪我で笑ってる。手を伸ばして、よそ見をする骸骨を掴み、自身に向けている。
肺に穴が開いたのに普通に話している。傷口から血が出ているのに、平然と立って、悪戯が成功したように笑っている。
何が、どうして。
「あの、どうして、胸に刺さって」
「スピネル、少し記憶力が乏しいようだな。頭を入れ替えてもらったらどうだ?」
そう言って、彼は自分の胸を叩く。
骸骨が突き刺さった、左胸を。
「こいつは外れを引いた。それだけだ」
そうだった。エフィムさんの左肺には、臓器がない。
「ってそれでも大怪我じゃ」
「平気だ。左胸に肺はないが、肌身離さず仕舞いたいものは仕舞えるからな」
答えにならない答えを話して、エフィムさんが一歩踏み出す。
そのまま骸骨を床に押し倒せば、ロマンス映画で見たような恋人同士の戯れみたいな体勢になる。けど、そうじゃない。
エフィムさんはそのまま骸骨の後頭部をグイッと持ち……
その顎に拳銃を突っ込んだ。
「さて、お仕置きの時間だ」
発砲音が途切れることなく木霊する。部屋中に響き渡って、その度にエフィムさんを貫く腕が震える。
頭蓋骨がみるみるヒビ割れて、それが全身に走っていくのが見える。
そして……砕け散った。
砂よりも細かく、灰よりも軽く、空気に溶けるように消えてしまう。
エフィムさんを貫いた腕も、エフィムさんが掴んでいた頭蓋骨も、何もかもが夢の様に消え失せる。
終わった、のかな。いや終わったんだ。呪い払い、エフィムさんは見事、師匠の呪いを払ったんだ。
これで師匠は助かるんだ。またいつもの講義が聞けるんだ。
「やった」
そう呟いた私の視界の端、師匠の顔が曇っているように見えた。