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朽ちゆく御手 5

 場となった地下室は黴臭く薄暗く、そして古臭かった。

 露出した石造りの床と壁、地べたに転がされる道具の数々。巨大な釜。どれもが埃をかぶり、すえた匂いを放っている。

その中に微かに混じる多少の悪臭は、恐らくこの何処かで何かが朽ちているんだろう。


裸電球の灯の元、中心まで歩いてみれば底冷えするような冷たさが身に纏わりつく。

湿気と冷気が入り混じった、骨に響く寒さだ。


「ここは手を付けていないんですね」

「正直言うとこの建物は私には大きすぎてね。一カ月くらい前にこのスペースを埋めてしまおうかと話し合っていたんだ」

「成程、埋めようとするほど使わない場所なら、何があっても平気ですね」

「そうとも。所で、エフィム君。自衛手段は何か持っているかね」

「生業が生業なので、色々と持っていますよ。クロード卿は?」

「私も自衛は得意だ。となると問題は……」


 視線が向けられて、入り口近くに居たスピネルがキョトンとする。


「彼女の実力は?」

「術具の扱いもまだまだだよ。私のものを使えば身を守れるが……」

「それだったら退室させた方がマシですね」

「そうだな。万が一もある。スピネル五分くらい退室していてくれ」

「……はい。分かりました」


 素直に引き下がるスピネルだが、表情は多少納得していない様子。

 呼び出しておいて、俺を信用していないのか。先のガキ発言といい、失礼な奴だ。

 術具の扱いもまだまだなら礼儀作法もまだまだと言わざるを得ないな。


 とはいえ、これで役者と舞台は整った。不満は胸に仕舞っておこう。


「準備はいいですか。クロード卿?」

「ああ、大丈夫だ。いやちょっと待ってくれ」


 そう言うと大釜の傍の古びた椅子に腰かけて、ポケットからパイプを取り出す。

 没収されたものとは別の、ありふれた安物のパイプだ。

 マッチで灯し、沸き立つ煙を吸って、こちらを見据える。


「よし、大丈夫だ。やってくれ」

「分かりました」


 眼帯を外して左目を露出する。赤い目の義眼はクロード卿が指摘した通り、魔術具だ。

 錬金術を齧っていた俺が更に齧りに齧って、中途半端な知識とエルの魔術技量で何とか形にしたものである。

 お世辞にも技巧的とは言えないが、それでも性能は相応だ。

 現に目を凝らせば、それは直ぐにクロード卿を取り巻くものを映してくれる。


 亡者が生者を引きずり込むような絵面が、露わになる。


 白い骨。それがクロード卿に絡みついている。肋骨が彼の脚に纏わりつき、首に指が絡みつく。そして腐りかけた腕には、顎が噛みついていた。

 呪いとは恐ろしいものだ。自身の憎悪をこんなものに変えてしまうのだから。


「どれだけ敵を害そうと、恨みは晴れずつのるのみか」


 醜い様だが、これこそが人の性だと感じる。生物的な本能に理屈や道理をくっつけて、そして自分は獣と違うのだと、一点の汚れもない素晴らしい存在なのだと思い込む。

 呪っている本人も、これは正当なものであると思っているに違いない。

 俺はそういう存在が嫌いだ。同族嫌悪なのだろうが、それを否定したいのも腹立たしい。


「こんなものを背負って、よく研究出来ますね」

「ははは、人の魂の秘密を解き明かす。そう決意してからは既に地位も名誉も、命をも投げ打つ覚悟をしたからね」


 クロード卿が煙をクゥっと飲みながら、首元を探る。

 出てきたものはロザリオだ。素朴で飾り気のない、ただの記号だった。


「人の命か信仰か。その決断を迫られた時、私は信仰を捨てた。何せ聖書には人を助けよ、と書いてあったものだからね」

「その宗派では魂は神の創造物であり触れてはならないもの、とされて居ましたね。その禁を破ってまで、研究ですか」


 信仰に厚いものが信仰を捨てる。それは確かに自らの命を投げ打つ行為に等しい、と思う。

 しかし、信じるものを捨ててまで神の言葉に従い、人に尽くすというのは、まさしく聖人と言っていいのではないだろうか。

 神の教えに背いたクロード卿は地獄に落ちるだろうが、最終的には天国に行けるだろうな。

 あったとしたら、だが。


 所で、こういう呪いの主目的は対象を苦しめ、時には死に至らしめるの事だというのは周知の事実ではある。

 しかしその執念は凄まじいものなのだと言って、どの程度の人間がピンと来るだろうか。


 呪いは恐ろしい。どんな手を使っても対象者を害するという強い意志がある。

 いや、対象者を苦しめる為ならばどんな手を使うと言ってもいい。

 自らを複雑化して解呪を妨害するのは勿論、酷い奴は……


「ああ、目が合ったな」


 存在を見られたと知れば、殺そうとしに来る。


 腕に噛みついていた頭蓋骨が虚ろな眼窩をこちらに向ければ、顎の力が抜けて、冷たい床へと落ちる。

 大地の引力に縛されて落ちるその過程で、薄っすら見えていたものがにわかに現実に出現するのが見える、

 そして、頭蓋からは骨のみの肉体が生えて、二本の脚でしゃがむように着地した。


 呪いの、いや魔術の実体化だ。

 珍しい事じゃない。夢で亡霊に首を絞められ、朝起きたら跡が残っている。その原因がこれだ。

 一時的になら、魔術だって実像を結ぶのだ。


「おめでとう。現世に生まれた感想はどうだ?」


 等と言っても、その虚ろで血肉も涙もない体にはなんの感触もないだろう。

 ただ、執念と悪意にのみ動かされ、出来立ての手をこちらに向けるだけだ。

 首を掴んで一捻りする気か。しかしこちらも準備はしている。


 否、どちらかと言えばこういう分かりやすい展開を望んでいたのだ。

 面倒くさい事は嫌いだ。手っ取り早いのは大好きだ。

 わざわざ実体化してくれたなら、こいつの為に祈りの言葉を捧げてやってもいいくらい好ましく思える


「お目覚め早々だが、プレゼントだ。鉛玉は好きか?」


 懐に手を突っ込んで拳銃を出す。俺専用に小型化され反動が軽くなってはいるが、威力もない。

 しかし、この場合は威力など問題ではない。両手で構える。


「っと」


 発砲。硝煙が噴き出し、薬きょうが跳ね回った。

 押し出された銃弾は真っ直ぐ骸骨へと突き進んだ。

 進んで、その胸椎にめり込んで……吹っ飛ぶ。


 爆風は起きていない。そもそも火薬など詰めちゃいない。詰める余地すらない。だが、骸骨はまるで爆発を受けたかのように弾き飛ばされる。

 クロード卿が椅子ごと避けると、後ろの大釜に骸骨が叩き付けられ、中身のチョークが散乱した。


 ふむ、効果ありか。


「今日のモーニングティーは単純な魔道弾だ。魔術師に当たれば魔力の流れを乱し、しばらく動けなくなる。巧みな術者なら衝撃を受け流すし、一般人には痣程度にしかならない」


 言ってしまえば、この拳銃に入っているのは一定の技術を身に着けた魔術士なら誰でも作れるありふれたものだ。


「が……お前には随分と効くようだな。眠気は取れたか?」


 と言ったものの、狙いが悪かったようだ。よろめきながら起き上がって、俺にまたジリジリと迫る。

 見た目通り、まさしくアンデッド。さっさとホラーゲームの中に戻って欲しいものだ。


 当たった部位をよく見れば、ひび割れ程度のダメージしかない。その上砕けたそこもジリジリと再生し始めている。

 相も変わらずおぼつかない足取りだが、その再生力には舌を巻くな。それだけ魔力の供給元が強いという事なのだろうか。

 さて、問題は一発で仕留められなかったことだ。悔やまれる、というか腹立たしい。撃つだけでこちらにもダメージが来るというのに。


 魔術的な反作用でなく、銃弾を撃つ衝撃で。

 現在も肩やら腕やらがジンジンしてきている。両手で持っても片手で持っても変わらないな。これは。


「どうせ魔術を施した弾を撃ち出すだけなんだ。もっと威力が弱くていいだろ」


 再生力から推測すると、連続で撃ち込み、再生力を超えるダメージを叩きつける必要がある。

 しかしこちらは一発撃つだけでしんどいわ、銃の威力で照準がずれるわで、安易に連射など出来やしない。


「厄介だ。面倒くさい」

「手を貸そうか?」

「いえ結構です」


 何処に被害者の手を借りる呪い払いが居るだろうか。否、居るわけがない。

 それに、照準の問題は簡単に解決する。


「近づけばいい」


 一歩、近づいて発砲する。銃が跳ね上がって、骸骨の頭を掠める。

 もう一発、歩きながら撃ち込む。今度は肩甲骨に当たる。

 更に、一発、一発、一発。


 骸骨は跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられ、声にならない悲鳴を上げた。

 しかし……悲鳴か。お前は悲鳴を上げるような存在でないのだが、その自覚がないらしい。


 遂に骸骨と直近に相対し、銃口で顎の下から頭蓋を押し上げ、後頭部を壁へと押し付ける。

 暴れ回るが、俺を吹っ飛ばすほどの力はないらしい。


「ここなら、絶対に外さないな」


 骸骨が俺の首を絞め始めるが、全く気にならない。物理的な力は強いが窒息するには至らない。そして呪いの方もこの程度なら耐えられる。

 つまり、この骸骨はここで終わる。


「宗派は何だ? 今なら祈ってやるぞ」


 むろん嘘だ。宗派からかけた本人を割り出してやろうと思っただけだ。話せるとは思わないが、念のためという奴だった。

 いや、直接対決に臨んでくれた礼に一節を唱えてやるのも一興、と思っていた節もある。


 が、その悠長とは言い難い問答が、場面をガラリと変化してしまったらしい。

 扉が微かに開く音、その音が鳴った途端。


 骸骨が俺から目を離した。そして見た。

 俺の背中越しに、何かを、誰かを。

 いや誰かなど分かり切っている。この屋敷にはクロード卿と俺と、あいつしか居ない。


「スピネルか?」


 骸骨が一瞬、どす黒く輝いた気がした。



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