朽ちゆく御手 4
さて適当に決めた方針に則って、適当に推理をしよう。
ありはしないだろうが嫉妬で誰かが呪いをかけている場合、浮上するのは似たような研究をしている錬金術師となる。
恋愛などの他の要素は考えない。面倒だから。
で、彼は人の魂に関する研究をしていて、錬金術の方面でアプローチしているのは一体誰だったか。
「エル、錬金術師の名簿を手に入れられるか」
「魂の研究をしている方ですね。三時間ほど頂けるなら」
「そうか。なら早速頼む。俺は暫く重労働を単独で勤しむとしよう」
「歩行を重労働というならば、私は少々貴方の生活習慣について改善をしなければなりませんね」
エルが廊下に俺を下ろして、一礼する。
「では御武運を」
「戦う気はサラサラないな。そっちこそ三時間以内に帰って来いよ」
「当然です。私は自分の言葉を違えたことがありますか?」
「まだないな」
「ではこれからもありえないでしょう。万が一にも」
エルが笑うと、ふっとその姿が黒めいて、淡雪のように消えていく。
相変わらず消え方に妙な拘りがある奴だ。ああ見えて気障な部分があるのかも知れない。
「あ、あれ? 今の」
「エルは魔術のプロだ。気にするな」
そんなことよりも、俺には苦行が待っている。ある意味呪い払いよりも苦痛な苦行が。
一先ず真っ赤な絨毯を踏みしめて、歩き出す。
「ふぅ。話は変わるが、クロード老はスピネルが依頼をしたことを知らなかったようだが、どうしてだ?」
「師匠はこの件に関して、私に余り関わって欲しくないみたいなんです。ですのでコッソリ連絡させていただきました」
「そう、か。それも、奇妙だな」
「師匠の奇妙な行動は他にもありますよ。ホワイトボードを使った授業から急にチョークにしたり、またホワイトボードに戻したり。急に錬金術以外の魔術も習いなさいって、他の人の所に行かせたり。前はずっと籠りっきりで実験してたのに」
「成程、生活の、著しい、変化が……」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃない」
息が上がる。体が重い。背中にエルが四五人乗っているようだ。
あ、想像したら滅茶苦茶鬱陶しいぞ。これ。
咄嗟に立ち止まって膝に手を突くと、上から心配したような声。
「あの、もしかして体力がないというよりも身体が弱いんですか?」
「ああ。弱くはあるな。自業自得だが……」
「す、少し休憩しましょう」
「いや、行ける。平坦な道なら、行ける。上り坂や階段が、ダメなだけだ」
「あの、師匠の部屋は二階にあるんですけど」
「よし、休憩だ」
世界の階段は全て滅べばいい。割と本気でそう思う今日この頃。
はしたないが廊下の端に座り込んで、呼吸を整える。こういう時に一瞬あいつが居ればなぁ、と思う。
想像した俺の知人は、手段を問わずに喜んで俺の脚を休めてくれただろう。本当に手段を問わず、イラっとするだろうが。
そんな下らない事を考えて思考レベルを下げ、脳内の酸素必要量を抑えていると、スピネルが俺の顔を覗き込んだ。
心配しているようだが、僅かながらに興味がうかがえる。この女は表情を誤魔化すという事を知らないらしい。
「あの……人体の研究の時に、師匠に教えてもらったことがあるんです」
「何をだ?」
「手術とかで肺を半分失った人は、暫くは軽い運動だけでも息が上がってしまうって。もしかして、肺が無いんですか?」
「ああ。中々博識だな」
そして的を射ている。
「そうだ。俺の体には左肺がない。後臓器の幾つかと、左目もだ」
自分の空虚な胸を撫でれば、息が荒いのに人形のように反応しない胸。気を着けないとどんどん姿勢が悪化するアンバランスな体だ。
更に薬に頼らざるを得ない痩せぎすな腹を抑え、序に眼帯を外す。
と言っても左目にはちゃんと特製の義眼を嵌めていて、よく見ないと義眼であると分からないだろうが。
スピネルが俺の眼をまじまじと見ているが、それも無駄な事だ。彼女には情報など得られない。
故に彼女は何かを言い淀んで、しかし興味に推し進められる。
「酷い、ですね。魔術の事故ですか?」
「そんな大層なものじゃない。少し若すぎただけだ」
「え? いやその……今何歳ですか」
「十七歳」
「あ、十歳かと思いました」
「七歳も若く見られるか。どんな化粧品を使ったか聞かれるな。これは」
さて、休憩も終わった。片肺だろうが訓練すれば運動もできるという医者の言う事を信じ、訓練と思い込むことにしよう。
地獄の階段を登り切りまた休み、そして何とか這い上がって、とある扉の前に辿り着く。
外にまで本が溢れ返った一室だ。扉も締まっておらず、大きな作業机の一端がそこから覗いている。
クロード卿は一見上流階級に見えたが、管理の手が回っていない状況を見る限りそうでもないらしい。
「ここが師匠の私室なんです。師匠、お釣りを返し忘れたので、届けに来ました」
「ああ、そうだったね。こっちへ来なさい」
クロード卿の声に、スピネルが本をまたいで入っていく。
俺もその後ろを着いていくと、室内もまた本で溢れていた。
溢れているというか、詰め込まれているのか。壁という壁に書架が立ち並び、更に低めの棚が縦横無尽に置かれている。
しかし、その大量の収納スペースですら、クロード卿の知識欲を仕舞いこむことは出来なかった。
机に山積み、床にも散乱、知識の奔流は濁流となって氾濫してしまっている。
その中を、もう慣れてしまったのかすいすいと進んで机に嚙り付いているクロード卿に詰め寄る
「師匠、また散らかってますね。後で片付けますか?」
「いやいや、平気だよ。このくらいは自分で出来る」
「そんなこと言って結局しないでしょう?」
「……じゃあ頼もうかな」
「はい」
そんなやり取りをして、未だ入口付近に居る俺に気付くクロード卿。
「おお、仕事は順調かね。エフィム君」
「ボチボチと、進んでますよ」
「そうか。それは何よりだ」
等々と宣っているが、この件について非協力な奴がどの口でほざくと言ってやりたい。
邪魔はしないがご覧の様に研究が第一らしい。自分の手が腐りつつあるというのに暢気なものだ。
「所で、貴方は自分の呪いについて何か調べましたか?」
「多少はね。中々興味深い呪いだよ。巧みでなく、美しくもない。しかし複雑だ。呪いとは複雑なものだけど、これは私が見てきた呪いの中で最も複雑だよ。混沌と言ってもいい」
「それほど複雑ですか。是非とも拝見してみたい。少し見ても?」
「ほう、見るという事は、遂にそれを使ってくれるのかね」
俺の左目を見ながら言うクロード卿に、咄嗟に眼を隠す。
油断をしていた、というわけではないが、急にビックリ箱を目の前に突き出された気分だった。
「ば……流石、大老。左目がそうだと見破られていましたか」
「いやいや。例え使わずとも、魔術具の気配は独特だからね」
事も無げに言うが、魔術具は隠すのが通例だ。マジシャンが種を隠し、暗殺者が暗器をしのばせるのと同じことだ。
それを容易く見破るという事は即ち、俺と大老の実力差が天と地ほどの離れていることを如実に語っていた。
思わず、化物か、と言いそうになるのも無理からぬことだ。いや、この場合言わない人間がどれだけ居るだろうか。
「それで、見てもよろしいですか?」
「良いには良いのですが……ここでは都合が悪い。私がかかっている呪いは、少し気性が荒くてね」
「ああ、そういうものですか。では少し場所を移しましょう」
見るのも駄目、というのはこの稼業を初めて二三度しかお目にかかったことがない。
中々に期待できる呪いだ。不謹慎であると自覚しつつも心が躍る。
呪いに心が躍るというのは異常ではあるのだが、俺の場合それこそが目的なので目を瞑ってもらうほかない。
そもそも呪い払いという業界は、精神の何処かが壊れた奴等の吹き溜まりなのだ。
「何処が良いでしょうか?」
「地下がある。あそこはもう要らないものを詰め込むだけだから、多少荒れても平気だろう」
立ち上がろうとするクロード卿に、片づけをしていたスピネルがパッと体を支える。
「ああ、すまない」
「いえ。でも師匠、行く前にお薬を飲まれてからの方が」
「ん? そうだったか?」
「はい。お時間の方が」
「おっと、そう言えばそうだ。確か薬は」
「私が持って来ます」
スピネルが近くの棚から薬瓶を持ってきて、クロード卿に手渡す。
そして棚からグラスを出して水差しの水を入れ始める。
恐らくあれはクロード卿のお手製の薬だろう。
「それが呪いの対策の薬ですか」
「呪いの、ではなく病の進行を抑える薬だよ。壊死を食い止め、毒素を中和している。これで腐るのが先か、老衰が先か、と言った賭けをしていてね」
「錬金術の大家が作る薬でしょう? 随分とレートが低い賭けになりそうですね」
「いやいや、これがどうして中々難しいんだ。効果が強すぎると老体が悲鳴を上げてね」
だったらさっさと呪いを解かせろ。協力しろ。
という言葉は勿論飲み込む。依頼主のスピネルも不安の声は上げないようだ。
このご老公が一体どんな事を思って、現状に甘んじているのか。
それを知るには、語り合うよりも『見る』のが一番に違いない。