五十年後のラブレター
五十年後のラブレター
「何にやけてるんですか。」
カウンターキッチン、今日の夕食のホウレンソウの白和えを仕上げているときに、妻は私のほうを見て、不満げに呟いた。
さっきまでテレビを見ていた夫が、自分のほうを見てにやついているのだから、訝しく思うのは仕方ない。
結婚して三十年、子ども達はとうに自立して、二人ではこの家は広すぎる。
子どもは二人、私にはもったいないくらいよくできた子供達だ。
長男は私の「公務員になれ。」という言葉を忠実に果たしてくれた。次男は公務員にこそなれなかったが、私の仕事の業種を選んでくれた。
口にこそされたことはないが、二人とも私の背中を追ってくれたことに、喜びを隠せない。
子供達が自立して、一抹の寂しさもあるが、新婚当時に戻ったような気持ちでもあった。
すっかり老けてしまったが、妻の輝きは損なっていないと思う。
白髪の混じった髪、目元の皺、お互い二人三脚で数々の苦難を乗り越えてきたかと思えば、どれも輝かしい金メダルのようである。
暇つぶしに眺めているだけだったプロ野球中継よりも、妻のホウレンソウを刻む包丁の音を聞いているほうが、心地よかった。
定年してからは、毎食この音を聞きながら、読書を楽しんだり、テレビを見たりすることが幸せを感じる時間となっていた。
私と妻は当時流行っていた、インターネットの出会いを求めるサイトで知り合った。
緊張してなかなか話すことができなかった自分に、彼女は懸命に話しかけてくれたことが嬉しくて、その日のうちに次のデートの誘いをした。
彼女は少し考えていたようだったが、口角をにっとあげ、デートの申し出を了承してくれた。
その次のデートも、その次のデートも、懸命に場を盛り上げようとしてくれる彼女が愛らしく、好意を持つようになった。
何度目かのデート帰り、意を決して自分から話しかけてみた。
「結婚を前提に付き合ってほしい。」
彼女の顔を見ることはできなかった。
私はきっと、顔を真っ赤にしていたことだろう。
そんな姿を見られるのが恥ずかしく、つい足が速くなってしまった。
彼女は立ち止まっている。
顔を見るのが怖かった。
「少し考えさせてください。」
後方から、小さな声が聞こえる。彼女が返事をくれたのだ。
顔の赤らみも冷めたため、もう一度彼女に近づくと、その申し出に了解し、その日はわかれた。
次のデートの日を待たず、彼女から電話が掛かってきた。
自宅から掛けてきたようだ。
携帯電話の通話ボタンを押す手が震える。
やっとの思いでボタンを押すと、彼女の声が聞こえた。
心臓が私の身体から飛び出るのではないかと思うほど、激しく動いている。
私はその緊張を彼女に悟られないように、いつもと同じように返事をした。
「この前の返事をしなければと思いまして、電話をしました。」
次に続く言葉が何か怖かった。
声が震えそうだ。
携帯電話を持つ手も汗ばんでいる。
「こんなわたしですが、よろしくお願いいたします。」
その瞬間、私の頭の中でファンファーレが鳴り響く。
このまま、声にならぬ声を上げて、スキップで部屋中を駆け回り、大声で歌いながら踊りだしそうなくらいだった。
高ぶる気持ちを抑え、一言「分かった」とだけ伝えると、電話を切った。
それからの結婚への道は早かった。
もともと彼女の両親も、私の両親も三十過ぎてなかなか恋人の一人もできない子供を心配していたのだ。特に、彼女の両親は私と彼女との結婚にとても乗り気で、彼女の持つ本を借りに少し家に寄っただけの私を、とても歓迎してくれた。
まるで、結婚の挨拶にやってきたかのように接してくれた。彼女の父から「娘をよろしく頼む」と頭を下げられたときは焦ったが、それだけ私が認められているのだと思うと嬉しかった。
少したってから、彼女と彼女の母と私と私の母で、式場の下見にやってきた。
彼女の母がどうしてもここでやりたいと決めていたそうなのだ。
結婚は新郎ではなく、新婦が主役のため、私はもちろん彼女の母の意見を尊重した。
ドレス、披露宴の料理、引き出物もどんどん決まっていった。
式当日、親族だけの慎ましいものだったが、彼女のドレス姿はとても美しく息をのんだ。
こうして、彼女は私の妻となった。
結婚してから、妻はパートに出たいと言ってくれたが、家は妻が守るものである。
家計を支えようとしてくれる妻の申し出を有難く思いながらも断った。
妻にそんなことを言わせてしまった自分の稼ぎの悪さを反省し、人一倍がんばった。
疲れ切って家に帰り、土日も寝て過ごす。
妻が毎日家事をしてくれるため、家の中はとても居心地がいい。
口下手な私は妻への感謝を口にすることがなかなかできない。
そのため、毎日感謝の気持ちを日記にして綴ることにした。
私が死ぬであろう結婚してから五十年後、遺品を整理している妻がこの日記を見つけて、私の気持ちを知ってほしい。
言うなれば、五十年ごしのラブレターだな。
日に日に量が増えていくラブレターと、毎日の妻のがんばりに笑顔が収まらなかった。
願わくは、妻よ。私よりも長生きをしておくれ。
五十年後の呪言
「何にやけてるんですか。」
カウンターキッチンで、ホウレンソウの白和えを作っているときに、夫の目線に気づいた。
先程まで、プロ野球の中継を見ていたくせに、こちらを見てにやにやしている。
問いに答えは返って来ず、テーブルに置いていたビールを口に含んで、またテレビに視線を戻した。
腹立たしかった。
結婚して三十年、子ども達は疾うに自立して、わたしと夫の二人では息の詰まるこの家。
子ども達がいるときは、まだよかった。もともと子ども好きだったわたしは、夫を子どもの父親として、愛する努力ができたからだ。
すっかり寂しくなった頭皮、よれよれのTシャツの下で膨らんでいる醜い下腹部。
こちらを見て、にやついているくらいなら、食卓に箸の一つでも並べれるだろうに…。
子供でもできるような手伝いを夫がやったことなど見たことがなかった。
仕事をしている間は、仕方がないと諦めることもできたが、夫が定年しても家の仕事を全く手伝おうとせず、日がな一日読書を楽しんだり、テレビを見たりする夫に失望した。
男の仕事、女の仕事と分けて考えることが二人で協力しているといえるのだろうか。
子供達が、そんな父の姿を見てそれが正しい男の姿だと思っていないかが心配だった。
しかし、長男も次男も仕事にかまけてなかなか、家事の全てを私に任せる夫に辟易していたようで、よく手伝ってくれた。
夫は、長男が公務員になったことも、次男が第一志望の会社に入社できたことも自分のおかげだと思っているに違いない。夫が夜遅くまで仕事をしている間、二人が懸命に努力したために成せたことであるのに。
わたしと夫は当時流行っていた、インターネットの出会いを求めるサイトで知り合った。
最低限の礼儀として、懸命に話しかけたが、彼からの反応は薄い。
今日が初めて出会うのだから仕方ないだろうと、何とか話題を見つけて場を盛り上げるのに必死だった。
別れ際、このまま会うことはないだろうと、考えていたところ次のデートの誘いを受けた。
二回目はもう少し盛り上がることができるかもしれない。この人との相性を再確認できるかもしれない。淡い期待を胸に秘め、無理矢理口角を上げて笑顔を作り、その申し出を了承した。
複数回重ねたデートの中でも、彼からの話題を引き出すことはできなかった。
このまま別の出会いを期待したほうがいいのかもしれないと、彼のことを諦めかけたとき、彼がおもむろに口を開いた。
「結婚を前提に付き合ってほしい。」
突然のことで立ちすくんでしまった。今までのデートで、結婚の決め手になるようなことがあったのだろうか。わたしがずっと話続けるデートは楽しいものだったのだろうか。
わたしが歩みを止めたことに気づいていないのか、彼はどんどん前に進む。
すぐに答えることはできない。
「少し考えさせてください。」
半ば、逃げているような言葉だが仕方ない。すぐに返事ができるほど、わたしの気持ちは固まっていなかった。
帰宅後、自室で考えていると、母がわたしの様子を覗きにくる。
毎回デートのあとは、デート内容について根ほり葉ほり伺ってくるのだ。
今日もそんな調子で、母の問いに携帯電話にインストールしたゲームをしながら、答えていく。
「変わったことはあったか。」という問いに、ついプロポーズされた。と答えてしまった。
しまった。と思ったときにはもう遅かった。父も母もわたしがプロポーズされたことに大喜びし、親戚に電話で報告していた所だった。
「もう返事は済ませてあるんだろう。」と、父が訊ねてきたため素直に「まだだ。」と返す。
電話をしていた母がそれに驚き、親戚との電話を切り上げると、聞きだされていた彼の番号にかけてしまった。受話器をわたしに手渡す。
彼がでると、父と母は期待の眼差しでわたしを見た。
返事をしなければならない。
「こんなわたしですが、よろしくお願いいたします。」
父と母は、手を挙げて喜び、部屋中をスキップした。
埃が舞うのでやめてほしい。
彼は一言、「分かった。」とだけ告げると、電話を切ってしまった。
本当に彼は私と結婚したいのか疑問だった。
それからの結婚への道は早かった。
わたしとわたしの母と彼と彼の母の四人で、式場の下見にやってきた。
わたしの母がどうしてもここでやりたいと決めていたそうなのだ。
壁に細工された飾りがとても細かく、まるでおとぎ話のお姫様の結婚式のような場所だ。
わたしの趣味ではなかったが、ドレス、料理、引き出物とどんどん決められてしまい、なかなか口を出すことができなかった。
彼の様子もそれとなく確認したが、いつものように口数は少なく、何を考えているのか分からない。今日の下見でも声を発したのは片手で足りるほどだった。
式当日、親族だけの慎ましい結婚式は恙なく終えた。
彼は式が終わるまで、彼はせっかくドレスを着て、きれいに着飾ったわたしをただ見つめるだけで「きれい」と口になどしてくれなかった。
こうして、わたしは夫の妻となった。
結婚してから、夫は知人にわたしを妻として紹介する。
“つま”という響きは好きになれない。
刺身につけられた野菜や海藻と同じ響きだから、主役を引き立たせるために脇に軽く添えられた存在が、まるでわたしを象徴しているかのようで、嫌だった。
一度、パートに出たいと申し出たことがある。
夫はそれを良しといってくれなかった。
外に出て、仕事をすればこの息苦しい毎日から抜け出せるのではないか。わたしが主役になれるところに行きたかっただけなのに、それが許されなかった。
毎日、毎日、夫のために家事をこなす。
結婚してから三十年、休日に遊びに連れて行ってくれたことなど一度もない。
夫の口から、感謝の言葉を聞いたことなどない。
そればかりか、交際を申し込まれてから今まで、「好き」という好意の気持ちを伝えられたことなど、あっただろうか。
あの時、父母の盛り上がりを一蹴してさえいれば、こんな息苦しい毎日は来なかったのだろうか。
ただ一言、愛の言葉を囁いてくれさえすれば、感謝の言葉を告げてくれさえいれば、わたしは、こんな気持ちになんてならなかった。
日に日に、息苦しさは強くなる。
それでも結婚を続けているのは、交際を了承したときの自分の言葉が呪いとなって、わたしを縛り付けているからだろうか。
願わくは、夫よ。はやく死んで、わたしを自由にしてくれ。