普遍の刹那
仕事終わりの午後8時。
都内のビル群の中を歩き帰路へつく。
今日も疲れたなとかいつもと変わらないことでも考え、暗くなった空の下。
もう35歳か。
日にちなんてすぐにたってしまう。
会社に出勤して、
『あーこの案件があったな。』
『あの仕事やり忘れてたわ……』
『夕飯何食べようかぁ』
なんて……。
歳の持つ意味なんてわかりゃしないが、多分結婚の適齢期ってやつを追い越したんじゃないだろうか。
大学を卒業して会社に就職。
それからは追われるような仕事に身を任せ、時間とともに流れながら会社に身をゆだねた。
その結果、彼女を作る余裕もなく結婚なんて全く考えさえせず生きてきた。
全てを仕事に捧げてきた……なんてことはないのだけど。
そう、別に彼女を作る時間さえもないぐらい仕事が大変で……なんてことはないのだ。
ひっくるめて言えば、いや細かく語るのが面倒だから大雑把に“仕事が大変だ”で片付けてしまうのだろう。
少し自分の話をすると恥ずかしくもなるが、小説を趣味として書いてきた。
自分のペースで、満足できるぐらいの中途半端に未完の作品を。
それを誰かに見てもらいたいわけでもなく、仕事のはけ口といった言い方は悪いが、頭に思いつく限りのことを好きな文字にして自宅PCのワードに書きなぐっては適当な文字数で保存しを繰り返し――。
今では数千を超えただろうか……。
とはいえ、その作品がひとつの物語というわけではない。
日記のような、その日あったことを少し盛って面白おかしく書いたもの。
嫌いな上司の口癖、命令シリーズだとか。
支離滅裂な文章で、思いをひたすら綴ったものまである。
見返せば小っ恥ずかしいようなものばかり。
それでも書く事で自分の気持ちが落ち着く、楽になるような気がして辞めるなんてひとつも思うことはなかった。
休日前の金曜日はパソコンに向かって日が明けることもしばしば。
そんなに時間かけてずっとキーボードを叩いているのか、とそういうわけではない。
切りがいいところまで話を打ち込んでは、机上の本棚にある書籍を手に取り読み始める。目新しく買った本でもなく買ってから大分立つもの。10年以上経つものまであるけど、中々気に入った本は頭に話の内容が入っていても読んでしまう。
本は活字がぎっしりとつまったものだが、そこには情景、背景それから……思いつかないや。でも読む時間が違えばまた違ったものが見える。話は同じであり本来それが違う話になりえないのだけど。
そうこうして何時の間にか時間が過ぎ、休息のため布団に入り眠りにつく。
それがこれまでの休日の過ごし方だった。
時間がもったいないと思うこともなく、毎週のその時間を求めるかのように働いていたかもしれない。
改まって振り返ることでもないが、一つとして同じ日はなかったな。
会社から20分ほど離れビルに囲まれたポツンと一角に構える自分の住むアパートにたどり着いた。
まるで一軒家に住んでいるような言い回しだが、2LDKで9畳のアパートが自分にとって居心地いい。
ご飯を食べ風呂に入り、自分のリラックススペースであるパソコン机につき椅子にもたれ天井を仰ぐ。
静かな部屋にパソコンのファンの音が唸る。
今日に限り何か憂愁の思いが込み上げてくる。
仕事で大きな失敗をしたわけでもない。昼飯、夕飯が不味かったわけでもない。
ただ、ものさみしい気持ちだ。
今更思い直すと、これまで書いてきた文書ファイルはどうするのだろ。
いずれ書く事が嫌にでもなるのだろうか。そんな事すら考えず黙々と書いてきた文を辞める時が来るのだろうか。そうしたら、このデジタルの数字で保存され文字に注釈されるデータはどうするだろうか。
ずっとパソコンに残したまま、ふとあの頃の駄文を読みたいと思った時に読み返すだろうか。
そういえば、自分の書いた文を読み返すことなんてなかったな。
とすれば、やっぱり書きっぱなしのままパソコンデータの片隅に放置されたままなのだろうか。
ふむ。
天井は白い壁で何も語ってはくれない。そりゃそうなのだが。
それなら、この文をネットに公開するのはどうだろうか。
そうすれば自分以外の誰かが空き時間を使ってこのデータの中身を見てくれる。そのほうがよっぽどこの文章達は有意義ではなかろうか。
多くの目に触れ、自分が所持している書籍のように読んだ人それぞれの心に留まるのではないのだろうか。
ないだろうけど、感想なんかもきて思いを読者と共有なんて出来たら……。
だが、そも他の誰かに読んでもらうことを考えた文書でもなく、自分以外の目にこの孤独の世界を晒されるというのは恥ずかしい。
その日あったことを面白く語り自分の満足いくオチにもっていき書き終える。
――自己完結の独りの世界。
それを他人に見せるなんてあんまりだな。初対面の相手に自分の愛用する歯ブラシを口に押し込むように迷惑で恐ろしく拒絶するものだ。
表現は上手くできないがそういったことに違いないだろう。
なにを思い違えてしまったんだ。
これは自分のパソコンデータに眠るからこそ意味がある。
結論が出たところで、今日あった出来事をワードに綴る。
いつ来るかわからない、趣味の飽きを忘れ“いつものその日”に戻るのだ。