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trick or treat!

作者: 青空


悪魔に扮した男の鳶色の瞳を見つめ、魔女は唇の端を吊り上げる。

「trick or treat!」

口にした言葉は、その日限りの呪文。

「は?」

僅かに声を漏らしただけの男に、魔女は目を細めて笑った。

「時間切れ」

魔女が男の首に腕を回す。そしてそのまま、魔女の唇は………。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


私は目の前の光景を一目見て、それはもう大きなため息をついた。

「日向、サッカーやろうぜ」

「何言ってんですか。私部活中です」

「ちょっとぐらいサボっても大丈夫やろ」

「他の人が練習してるのにサボれませんって」

と、仲良くおしゃべりしている男女が二人。

ひとりは大輝、私の幼なじみでありひとつ歳上の先輩だ。

そしてもうひとりは日向。私と同じ吹奏楽部に所属している子で、私の数少ない友人の一人である。

ふたりは私繋がりで知り合い、コミュ症の私からしたらあり得ないほどの早さで仲良くなった。

そして今、大輝は大好きなサッカーを少し抜け出してまで日向にちょっかいをかけにくるくらいには日向に惚れていた。そして日向もまた、大輝に惹かれていることを私は知っている。

日向の髪が風に吹かれて揺れる。その髪を纏めるシュシュは、大輝が日向の誕生日に四苦八苦して選んだプレゼントだ。

…話には聞いていたけれど、やっぱり目の前で見るとなぁ。

胸の奥に冬の湖面のような寂寥感が広がる。

あーあ、私が先に好きになったのになぁ、なんて、本音は言えなくて。

持ってきた楽譜を握りしめて足元に視線を落とし、一度大きく深呼吸する。手元を見ると、握っていた楽譜が少しだけシワになっていた。

ギュッと目を閉じ自分に笑えと念じる。そして唇の端を持ち上げていつも通りの笑みを作り、丁寧に楽譜のシワを伸ばした。

よし、やれる。まだ笑顔の私でいられる。

確認が終わると顔を上げて、

「日向!大輝!」

といつもと同じように二人の元へ駆け出した。

「あ、佳月や」

「はい、佳月です!日向、これ新しい楽譜。やっぱローマやるんだってさ」

握りしめていた楽譜を差し出し、精一杯笑ってみせる。

「お、ローマって日向がソロがあるって言ってたやつやろ?」

大輝が嬉しそうに日向の楽譜を覗き込む。

私がソロをやるって言った時は、ふーんって興味なさそうだったのに。やっぱり好きな子のソロは違うんだね。

好きな人だから特別になるのはわかっているのに、胸の奥が軋む。

辛い、切ない、苦しい。なんでふたりを出会わせちゃったかな。

「はい。でもこれ、難しいんですよね」

「練習しろや」

ふたりで楽譜を覗き込んでああだこうだ言っているふたりの間に割り込めなくて。私は涙を流す心と自分の楽譜を抱きしめて目を細めた。

「じゃあ私、練習に戻るね!」

バイバイ、と手を振って駆け出す。後ろ姿だけでも、できるだけ明るく楽しそうに。さすがにもう笑顔を保つのは難しいから。

「あ、佳月!明日のハロウィン忘れるなや!」

好きな人の声が追いかけてくる。少し前までなら嬉しかったその言葉も、今は胸を締め付けるだけ。

「大丈夫だよ!ちゃんとお菓子持ってく!」

手を大きく振って、今度こそ声をかける暇も与えないように逃げた。

私たちが通う高校はお祭りごとが好きなようで、クリスマスも正月も、バレンタイン、花祭り、七夕など宗教に関係なく、とにかくなんでも派手に盛り上がる。

ハロウィンも例外ではなく、その日の放課後には簡単な仮装をした三年生が籠いっぱいのお菓子をばら撒き、下級生は友だちや先生にお菓子をせびりに行くのだ。

私も日向も去年は随分驚いたけれど、二年目の今年は慣れたものだ。私はかぼちゃのカップケーキを、日向は市販のパンプキンパイを持っていき、後輩たちに配ろうと約束していた。

…でも、お菓子を用意するだけなのは物足りない気がする。。だってハロウィンのtrick or treatは、いたずらかお菓子かだもん。

なのにお菓子をばらまくだけっているのはハロウィンじゃない気がした。

そう考えた私は、ひとつのいたずらを思いついた。じれったいふたりに丁度良いいたずらを。

決行は明日。意気地なしの私にはなかなかハードルが高いいたずら。

それでも、今の状態が続くくらいなら勇気を出したほうがマシだと思えるいたずらだ。

ふたつ足りないカップケーキを紙袋に詰めて、用意した衣装を一瞥して、一粒だけ涙を溢した。

そしてぎゅっと口の端を持ち上げて、笑顔を作る。

明日はハロウィン。身も心も仮装して、いたずら好きな魔女になるのだ。

ハロウィン当日の放課後。

長い黒のローブを羽織り、大きめの帽子を目深に被って私は唇に卑屈な笑みを乗せる。

さぁ、行こう。

友人や後輩にお菓子を配り、お返しのお菓子を貰ったり、背中にシールを貼ったりといったいたずらをしながら笑いあった後。

私は日向の元へと駆けて行った。

日向はクラスの友達と楽しそうに話していた。頭の上で揺れる黒猫の猫耳が可愛い。

「うりゃ!」

小柄な体に抱きつけば、

「うわぁ⁈…なんだ、佳月か」

と可愛らしい悲鳴と呆れたような感想を貰った。

「うふふー。日向、trick or treat!」

あげる分のお菓子なんてない紙袋を振り回して、私は嗤う。

「え、今お菓子持ってない!」

焦る日向の髪からスルリと彼女のお気に入りのシュシュを抜き取って、私はクルリと踵を返した。

「時間切れー!じゃね!」

「あ、ちょっ…!」

驚く日向を置いて、私は全力で走る。

日向は大輝から貰ったシュシュを本当に大切にしてるから、追いかけてくるのはわかっている。

いたずらは始まった。ここまで来たら、最後までやり遂げなくてはという妙な使命感が体を支配する。

ふたりのため、なんて言い訳をして。

千本の針で刺されるよりも胸が痛い。目の端に浮かんだ涙を乱暴に拭った。

黒いローブが靡く。放課後の校舎に血よりも赤い夕日が差し込む。私の影が長く黒くのびた。

あの夕日の近くにあるだろう細い三日月は見えない。

日向のシュシュを彼女の楽器ケースの中に忍ばせ、今度はグラウンドに向かう。もちろん、大輝を見つけるためだ。

大輝は悪魔の仮装なのか、背中に変な黒い羽根を付けていた。

「大輝!」

手を振ると、大輝はこちらを振り向いた。そして私をその目に移して、残念そうな顔をする。

あー、やっぱり日向が来るのを待ってたんだな。

胸がジクリと痛む。切なさは雫のように心のそこに広がる湖面に落ちて、悲しみの波を広げていく。

「なんだ、佳月か。日向は?」

「もうすぐ来るよ」

答えて、彼の鳶色の瞳を見つめる。

彼の澄んだ瞳が好きだった。その瞳に私を、私だけを映して欲しかった。でも、君の瞳に映るのはあの子だけだったね。

こんなに苦しくなるなら、君のことを好きにならなければよかったよ。

「trick or treat」

告げた言葉は、思った以上に響いた。

青とオレンジと赤と紫の絵の具をグチャグチャに混ぜたような夕焼け空には一筋の真っ赤な光。

色を失った月が夕日を追いかけるように沈んでいく。

「は?」

惚ける大輝に、私は最後の笑みを向けた。

好きな人の記憶に残る最後の自分の姿が、少しでも綺麗に映ることを願って。

校舎の方から一人の猫耳をつけた女子生徒が走ってくる。

もう追いつかれちゃったか。残念ね。

「時間切れ」

解答時間も、私の初恋も。

大輝の首に腕を回す。

いつの間にかずっとずっと大きくなってしまった幼なじみに顔を寄せる。そして昨日の夜ずっと考えてやっと決めた言葉を囁いた。

「は…?」

大輝が目をまん丸に見開いた顔が脳裏に浮かんだ。

素早く顔を逸らし、私は駆けてきたあの子の方を向いた。そしてニヤリと笑ってみせる。

きっとあの子からは、私と大輝がキスしたように見えただろう。

「おまっ!何言って…ん?何見てるん?」

隣でギャーギャー騒いでいた大輝の瞳が私の視線の先にいる人物を捉えて、凍りついた。みるみるうちに顔が紅潮していく。

「…日向」

呟かれた言葉は、今まで聞いたことがないくらい熱っぽい。

日向が一歩後ずさる。

きっと影になった顔は泣きそうに歪んでいるのだろう。

だってあの子から見たら、私は好きな人を奪おうとする酷い友達だ。

けと、ごめん、なんて思わない。

私は性格の悪い魔女だからね。いくら友達だと言っても、やっぱり横から好きな人をかっさらっていく泥棒猫を心から応援はできないんだ。

「あれ、日向。どうした?」

私は微笑う。笑え、嗤え。

能天気を装った声はこの状況とは裏腹に軽やかに。

「あの、私…」

もうシルエットしか見えない日向が狼狽える。

「じゃあ私、帰るね!」

子供じみた口調でおどけてその場で一回転し、校舎へと駆け出す。

「あ、おい!」

追いかけてきた声が足に絡みつく。

立ち止まりたい。

立ち止まっちゃダメ。

本音を言ってしまいたい。

秘めた想いは墓場まで持っていくべき。

ふたつの心の声がせめぎ合う。けれど結局、意気地なしの私は行動を起こすことなく逃げた。

グラウドに残されたのは想い合うふたりだけ。差し込む夕日と空を彩り始めた星たちが良い仕事をしている。

シチュエーションは完璧だ。

きっと大輝はあの子に想いを伝えるだろう。キス疑惑の誤解が解けるかどうかはわからないけれど、日向も大輝の思いを受け止めるはずだ。

ふたりが笑いあう姿が瞼の裏に浮かんでは消える。

私の初恋は、炎のようなもの。小さい頃に灯った火はいつのまにか炎となり、そして今、無理矢理消したせいでひどい火傷を心に残した。

目から涙がこぼれた。涙はとめどなく流れて頬を濡らす。

「いたずらって、こんなに痛いのね」

呟いた声に答える人はなく。

私は黒装束に隠れて、心から溢れ出した切ない雫に沈むのだった。





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