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ドラゴンの鱗

作者: 翁まひろ

 アララカ島の島民は、昨日がそうであったように、今日も朝から鍬や鋤を手に、農地を耕していた。


 突然、空からドラゴンが降ってきた。

 雲をつきやぶって落ちてきたドラゴンは、農地のど真ん中に墜落した。


 土塊をまきちらし、地面に大穴をうがったドラゴンは巨大で、全身を覆う藍色の鱗は一枚が人の手のひらほどもあった。

「ドラゴンの死骸だ」

「かわいそうに。飛んでいる最中に息絶えたのかね」

 最初はあわれみを持ってドラゴンを見つめていた島民だったが、ドラゴンが農地をすっかりだいなしにしたことに気づくと、顔を真っ赤にして憤った。

「なんて迷惑な奴。これから種まきだっていうときに」

「種がまけなければ、来年食べるものがなくなっちまう!」

 島民はちらりとドラゴンの鱗に目をやった。

「この鱗、金になると思うかい。光沢のある藍色をしている」

「うむ。ドラゴンの鱗は頑丈で、西方諸国では鎧づくりのために用いられ、高額で取引されていると聞いたことがある」

「それはいい。ならば、さっそく鱗を剥がしにかかろう!」

 島民はドラゴンの体によじのぼり、鍬や鋤を使って鱗を剥がしにかかった。

 そのとき、死体だと思われていたドラゴンが悲鳴をあげた。


『い、いた、ちょっと待て、痛いではないか!』


 地響きのような声に仰天し、島民たちはドラゴンの体から飛びのいた。

「なんてこった、生きていたとは!」

「これじゃあ、鱗をもらえないじゃないか! どうして死んでいてくれなかったんだ!」

 あんまりな言いように、ドラゴンはがっくりと頭をたれた。

『ひどいのう。誰もわしが生きていたことを喜んでくれんのか。昔の人族は、誰もが敬意をもってわしを迎えてくれたというのに、悲しい時代になったものだ』

 ドラゴンの嘆きを聞き、島の長が困った顔で歩みでた。

「失礼いたしました、ドラゴン様。しかし、いったいぜんたい、どうしてまた空から落ちていらしたのです?」

 ドラゴンは疲れた溜め息をついた。

『空を飛んでいたら、うっかり雷雲のなかに迷いこんでしまったのだ。若い時分なら、この鱗が雷をはねかえしたところだが、わしは老いた。鱗は雷をはねかえさず、全身を駆け抜け、自慢の翼を黒焦げにしてしまった』

 たしかにドラゴンの背にある両翼は、真っ黒に焦げて、破けてしまっていた。

「それはお気の毒さまなことで」

『毒も薬もない。わしはもう飛べん。すでに身を起こす力もない。まもなく息絶えるだろう。すまないが人間たちよ、どうかこの地で安楽の最期を迎えさせてくれんか……』

「それは御免こうむります」

『なんと!』

 ドラゴンは驚愕のあまりに鱗を逆立てた。

『お、お前たちには、死にゆく老ドラゴンを労ろうって気持ちはないのかね!?』

「そうは言いますがねえ。種まきの季節に、農地を占領されるのは困るんですよ。だいたい、まもなく息絶えるって……残った死骸はどうすればいいんです? こんな巨大な図体しちゃって。処分業者に頼むにしたって、いったいいくらかかることか」

『し、死骸て。しょ、処分て。……い、いや、安心してくれ、人間。わしの体は死ぬとともに自然発火し、死体は残らんのだ』

「なるほど。じゃあ、いつごろ死にます?」

『ぇっ!?』

「ああ、目算でけっこうですから。だいたいの死期がわかれば、こっちも計画が立てやすいんです」

『本当にむごい人間たちだ! だが、そうだな、明日か、明後日か、あるいはひと月か。ともかく、そう先のことではない。さあ、わかったなら、もうこの老いぼれを休ませてくれ……』


 島民は困りはてた。

 明日ならいい。明後日ならいい。だが、ひと月は困る。

 そんなわけでその日の晩、村長の家で会議が開かれた。

「アララカ島にはほかに耕せる土地がない。今、種まきができなければ、今年は保存食でなんとかなっても、来年、どうやって食べていけばいいのか」

「死にかけドラゴン見学ツアーとかつくって、観光名物にしたらどうかな。現金収入が入るが」

「くたばりかけたドラゴンを見てなにが楽しいのか。だいたい最近は犬猫ブームで、ドラゴンも人気がないから人は集まらないだろう」

「じゃあ、やっぱり……」

 島民は目配せしあった。誰ともなく鍬や鋤を手にとり、村長の家を飛びだすと、夜の闇に身を隠しながら、こっそりドラゴンに近づいた。そして、鍬や鋤を鱗と皮膚の間にさしこみ、強引に引き剥がしにかかった。

「そおれ!」

『ああ、ぜったい来ると思った! 痛い痛い、やめてくれ!』

 ドラゴンは濡れた犬がするみたいに身をふるわせ、人間たちを体から振るい落とした。

『お前たちには分からんかもしれんが、生きたまま鱗をとられるのは、そりゃあ痛いものなんだぞ』

「だって、死んだらあなた、自然発火して消し炭になっちゃうんでしょう? だったら、生きているうちに鱗を剥がないと! さあ、お前たち、ひるむな!」

 ドラゴンは半開きにした口のなかで炎をたぎらせた。ドラゴンの喉は、炎を生成することのできる炉となっているのだ。

 島民は驚き、わっと蜘蛛の子のように散っていった。それでもしばらくすると、また農具を手に戻ってきた。疲れはてたドラゴンは涙ぐみながら溜め息をついた。

『わしだって、こんな残酷な人間たちの土地で死にたくはなかったわい。故郷であるドラゴン島で、愉快な仲間たちに看取られて死にたかったわい!』

 ドラゴン島。その言葉に、島民たちの好奇心が刺激された。

「ドラゴン島というのは、いったいどこにあるんです?」

『天空に浮く島だ。風にただよい、ゆっくりと移動をつづけている。そろそろ、アララカ島の真上に着くころだ。ああ、せめて翼さえ動かせれば、最後の力をふりしぼって、ドラゴン島に帰ることもできたろうに』

 そのとき、ドラゴンは名案を思いついた。

『そうだ。だれかわしをドラゴン島に返す手だてを考えてはくれんか。よい案を思いついたら、鱗を二十枚進呈しよう』

「なんですって!」

『なんなら、実際に帰れなくたってかまわんぞ。ただ、見所のある案だったらそれでよしとする。どうだね』

 ドラゴンとしてはなんの期待もしていなかった。ただ、このままでは生きたまま鱗を全部剥がされかねない。どうせ名案など浮かぶはずもないのだから、そう言っておいて、島民がわいわいと議論を交わす間、静かに死にゆこうという魂胆だった。


 一方の島民は、大いに張りきった。

 無理やり鱗を剥ごうとすれば、きっとまた炎を仕掛けられるだろう。それならばドラゴンの提案に乗り、穏便に鱗をちょうだいするほうがずっといい。


「翼が動けばいいのね。だったら、破れた箇所を縫ってしまえばいいんだわ」

 ある家の娘はそう言って、家から裁縫箱を持ってきた。いちばん長い針に糸を通して、翼の破れ目に針を刺そうとする。

 だが、翼は固く、針は刺さるどころか、先端が折れてしまった。

「愚かな娘だよ。皮を刺繍するための針と糸を使えばいいのさ!」

 隣家の婦人が皮用の刺繍道具を持ってきた。しかし結果は同じ、やはり針は刺さらなかった。

「あらあら、あんなに自信満々だったのにねえ。おばさんはとんだおマヌケさんだわ!」

 娘はけらけらと笑い、婦人はぎりぎりと歯噛みした。


 また、ある鳥狩りの名人は、別の案を口にした。

「ドラゴンを縄で縛って、島民全員でぶんと振り回したらどうだろう。投擲の要領で、ドラゴン島まで投げ飛ばしてしまえばいい」

 これに反論したのは遊具職人だ。

「投げ飛ばそうというなら、ドラゴンをシーソーに載せて、ぴょんと飛ばしてしまったほうが楽じゃないでしょうか?」

 すると鳥狩りの名人は、案を横取りされたと思って、遊具職人を恨めしげに睨みつけた。

「シーソーだって? どうやってあの巨体をシーソーに載せようというんだ。ばかを言うな!」

「ばかですって! シーソーにも載せられない巨体を、どうやって縄で振りまわそうって言うんですか。あんたの方がよほど非現実的じゃありませんか!」

「なにくそー!」


 議論は日を追うごとに白熱していった。

 島民一丸となって優れた案を生みだし、鱗二十枚を手に入れよう、村のために共同で使おう、なんて考える者は、もはやひとりもいなかった。

 誰もが鱗二十枚を独占したがり、先を越されぬように、互いに互いを監視の目で見るようになった。



 そんなある日のこと。島にサーカス団がやってきた。

 最初こそ「サーカス団がドラゴンの存在に気づき、鱗を横取りされたらどうしよう」と警戒したものの、幸いそんなことにはならず、島民は大いにサーカスを楽しんだ。

 すると新聞配達の青年が、ピエロが配る風船を目にして、ある名案を思いついた。

「そうだ、風船をたくさんふくらませてドラゴンに結びつけたら、ドラゴンの体はドラゴン島まで浮きあがっていけるのではないか!」

 青年は目をぎらぎらさせながら周囲を見渡した。万が一にも、ほかの島民にこの名案を気づかれてはならない。そこで青年はピエロにこっそりと耳打ちをした。

「すみません、持っている風船をすべて僕にゆずってはくれませんか?」

 ところがピエロはひょうきんな仕草に肩をすくめた。

「ゆずるなんてできないよ。お金を払ってもらわないと」

「お金はないんです。でも、風船をゆずってくれれば、後日、心づけを上乗せして支払ってさしあげますよ」

「そんな言葉、信用できると思うのかい?」

 ピエロは道化師の本分に従い、大声で歌をうたいだした。

「おお、愚かな若者! ピエロに風船をくれとねだってくる。なのに、お金はないときた。おお、愚かな若者! その空っぽの頭こそを風船と思えばいい」

 突然の歌に、島民たちがピエロを振りかえる。

 青年は慌てふためき、足下の石を拾いあげると、それでもってピエロの頭を殴りつけた。

 ピエロがどうっと地面に倒れる。青年はピエロの手からこぼれた風船をつかむと、ピエロの腰巾着をまさぐって、ふくらませる前の風船をも奪いとった。

 それを見ていた島民たちは、稲妻に打たれたような衝撃を受けた。


「風船だ!」

「ドラゴンを風船で浮かす気だ!」

「それをよこせ!」

「ひったくれ!」


 目を血走らせた島民たちが青年に群がる。あっという間に青年を殴りたおすと、ピエロの持っていた道具を奪って、風船を我先にとふくらませはじめた。

 島民たちは風船をふくらませるたびにその糸を握り、握ったまま、さらに新しい風船をふくらませ、それをまた握った。ふくらませているあいだ、うっかりどこかにくくりつければ、卑怯者に横取りされかねないからだ。

 そうして十個も、二〇個も風船をふくらませていくと、ひとり、またひとりと空に浮きあがりはじめた。

 あっと思ったときにはもう遅かった。

 たくさんの風船を手にした島民たちは、次から次へと空に浮きあがっていく。

 眼下のアララカ島はあっという間に小さくなった。島民たちは雲を突きぬけ、青空を上昇した。

 そしてついに、空の浮島――ドラゴン島にたどりついてしまった。


 風船が、島に生える巨樹の枝先にひっかかって割れる。島民たちは落下するが、綿のようにふかふかな地面に受けとめられ、誰もが「助かった」と胸をなでおろした。

 そこへ、二頭のドラゴンがやってきた。

『なんてことだ。人間だぞ』

『まさか地上からやってきたのかしら? 困ったわねえ』

 優しそうなドラゴンだ。島民たちはほっとして、両手を広げて訴えた。

「ああ、ドラゴン様。お手数ですが、私たちを地上に送りとどけてはくれませんか」

「そんなつもりはなかったのに、うっかりここまで飛んできてしまったのです」

 二頭のドラゴンは顔を見合わせた。

『それはかまわんが……ところで、いまお前たちが下敷きにしているのは、産卵期を前に、妻が寝る間も惜しんでこさえた子供用のベッドだ。人間の匂いがついてはもう使えん。詫びのひとつももらわねば気が済まん』

「し、しかし私たちはなにも持ってはいませんが」

『あら、あなた! 見てくださいな。人間の歯って、ちっちゃくて、白くて、とってもきれいね。蜘蛛の糸でつないだら、素敵な首飾りになると思わない?』

『おお、それはいい。愛しい奥方よ、ちょっとそいつらの口をこじあけておいてくれ。今すぐ歯を抜きとってやるからな……』


(おわり)



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