表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/31

浮浪鈴の靄

お金を稼ぐため、浮浪鈴と黒理愛は『リク』と共に街にくりだす。

 今日は午後から雨ですよね、と浮浪鈴が話しかけると返事が返ってこなかった。黒理愛のサンダル履きが地面を擦る音が聞こえた。声が聞こえなければ、隣に並んで歩いているのは本当に義姉なのかどうか、いつも分からなくなる。義姉の一挙手一投足に発生する音に神経をとがらせて、耳を傾け、彼女しか出さない独特の音を聞き分けてはいても。

「義姉さん?」と焦燥に駆られて言うと、「敬語じゃなくていいよ」といたって単調な声が返ってきた。

 目が見える人たちは、いつも感情を気取られないように表情を必死に固めようとする。義姉はそれを知ってか、声音をまるでロボットが喋るみたいに淡々とした調子に変えた。

 浮浪鈴と黒理愛を先導しているロボットの『リク』が「かなり高い降水確率だそうですよ」と浮浪鈴に返事をした。『リク』は街に配備されている監視ホロ・スキャナーのメンテナンスを任されている人工知能を持ったアンドロイドである。義姉は彼、『リク』に会った時、人間みたいで気持ち悪いと言った。それ以来、あまり『リク』に積極的に話しかけようとはしていなかった。『リク』もまた義姉に距離感を感じたのかほとんど興味を抱いていないようだった。

 ロボットに毒は効かない、と浮浪鈴は何度も頭のなかで暗唱した。毒が効かないならどうする? 酸性の毒なんかどうだろう…。浮浪鈴は何度も何度も彼を映像化しようとしたが、思い浮かぶ姿はすべて人間そのままだった。きっと彼は生身の人間なんだ。機械仕掛けの体を持った人間なんて居るはずがない。浮浪鈴が右手を空中で泳がせると、温かい人の手の感触が伝わった。義姉の手じゃない。もっとゴツゴツした手だ。

「私が先導します。安心してください」とリク。浮浪鈴は何度目かの息が詰まる瞬間を感じた。動揺を隠そうと「俺一人でも大丈夫ですよ」と義姉に気を遣った。

「でももうエントリーしちゃったし、帰れない」

 地下の駐車場に行く、と義姉に聞かされていたので今居る場所はすぐに分かった。乾いたアスファルトを歩く足音が前に進んでいった。リクはその左手に浮浪鈴の手を握り、時たま後ろを伺っている様子だった。義姉は静かについてきていた。

「帰れないって…?」

浮浪鈴は感情を排して尋ねた。

「ここ(都市部)まで来るのに、いくつも乗り物を経由してきたでしょう。それ全部、あの子がしてたから。どれに乗っていって、どのチケットを買えばいいとか。帰ろうと思っても一人じゃどうしようもね」

 帰り方くらいリクに聞けば、分かりやすく教えてくれるだろう。しかし、義姉が下手に距離をとってしまっているためか、聞くに聞けない状況なのかもしれない。そもそも帰ろうとすら思っていないかもしれない。浮浪鈴は立ち止まった。

「ねえ。君、運転できるの? 私、できないけど」

駅の地下駐車場にはレンタカーが常駐してある。その一台の前にリクが立ち止まった。もし、リクが機械仕掛けの人間なら義姉の質問は愚問というものだ。

「運転するのは、この子ですよ」とリクは車体に近づき、パッドに右手を重ね合わせた。義姉が「嘘…」と驚嘆の声を漏らしている。指紋認証型らしい。

「オートメーションですので。運が良ければ小一時間ほどで事故なく目的地にたどり着けます」

義姉は珍しく文句を言わなかった。義姉はリクを毛嫌いしすぎではないだろうか。

義姉が浮浪鈴の手をとった。行きましょう、との合図だ。浮浪鈴は自動で開いたドアをくぐり、乗り込んだ。そのとき「本来ならここまでがサービスなのですが…」とリクが躊躇しつつ言ったところ、義姉が「いいよ。乗れば」と呆れた様子で先を促した。

 リクは動揺を隠せない様子だった。黙ったまま乗り込み「失礼」と詫びを入れると、彼が車に何かしらの信号を送ったらしく、滑らかな女性の音声が聞こえると共に浮浪鈴の乗った車は発進した。

「今日は晴天。お出かけ日和ですね」と車。

「そうね」と義姉がドラマチックに独りで呟いた。


 目的地に到着すると、天気は荒れ模様だった。機械人間は雨に濡れても平気なのか、と心配に耳を傾けたが、リクは「雨が降る前に終わらせたいところですね」と誰にともなく呟いていた。義姉に反応は何もない。無口の義姉が手を引っ張って先導してくれた。人通りも車通りも少ないらしい。

「まあ。今日、日曜日だもんねー」と義姉は気分が晴れたように明るく言った。

高層ビルが立ち並ぶビル郡の合間を縫って歩き、監視ホロ・スキャナーの点検中、リクは汗水垂らして、念入りにチェックしていた。リクはドーム型のカバーから漏れ出るレーザーを視認し、正常に機能しているか、カメラの経由しているネットワークにアクセスした。数秒しかかからない作業にリクは満足感を覚える。これは自分にしかできない作業だ、とリクは褒め称えたいと思った。しかし、疑問があるのだ。

 リクは浮浪鈴と黒理愛を振り返り「終わりました」と告げた。仕事をこなす機械人間なら、わざわざ本当の人間に近づける必要があったのかということだ。リクの体は精神的に疲労するのだ。黒理愛がリクに対し不快な感情を抱いているのは間違いない。彼女はリクに「気持ち悪い」と罵った。彼女のリクを見るときの表情は苦悶に歪んでいる。

 しかし、この反応はリクにとって慣れたものだった。

 彼らはいつだって僕を見ると不快そうに顔を歪めて「これ。頼んだから」とロボットであることをいいことにこき使わせる。まるでボタンを押せばすべてこなしてくれる旧式のゼンマイ仕掛けの奴らと同じ扱いをするんだ。黒理愛も彼らと同じ目をしている。僕らを貶し、道具のように見、一定の距離を保ち、端からじっと監視しているのだ。使い物にならなくなれば、分解し、また新しいものを作ればいいと言う。

「雨降ってきたな」と浮浪鈴が言った。「リクは大丈夫なの?」

「錆びたりしませんよ」と浮浪鈴の言葉を冗談と受け取り、愛想笑いを浮かべた。

「違うよ。風邪引くんじゃないの?」

「ひきませんよ」とリクは笑った。

「念のため、雨宿りしよ」と黒理愛。「壊れられると困るのよ。弁償代とか請求されて、せっかく稼いだお金パーにしたくないの」

「壊れる…? 最先端技術で生まれたアンドロイドが雨で壊れるわけ…」

と、リクが苛立ち気味に言うと浮浪鈴が口を挟み、急かすように言った。

「分かった。分かった。早く雨宿りしよう。ほら! こっちこっち。急いで」

頬を流れる滴が冷や汗のものなのか、雨粒なのか浮浪鈴は自分でも分からなかった。幸い二人の間に流れる空気が浮浪鈴の話を聞いてくれる雰囲気だった。沈黙が数秒流れると、水たまりの中構わずバシャバシャと歩く二人の様子が描けた。そのとき、無言が一番怖い、と浮浪鈴が言っていたのを義姉は思い出した。

「…」義姉は先ゆくリクの背中から目を外し、後ろで浮浪鈴が神妙な面持ちをしているのを見た。

 浮浪鈴の浮いた手をとると、彼は見えないはずの繋がれた手を凝視し、そこに何かを見ていた。

「人には見えないものが自分には見えるんです」と浮浪鈴。黒理愛はリクの背中を追いながら、浮浪鈴の唐突な不思議ちゃん発言に耳を傾けた。「人の体の輪郭にそって何か銀色の物体です。例えるなら…靄」

そこでリクが傘のついたベンチの前で立ち止まり、振り返った。



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ