パットの切望 5
私の目の前に立っているフローベルはオリジナルの彼ではなく、オリジナルの彼が偽造したフローベルなのだ。彼のオリジナルの身体はおそらく何処かの研究室で眠っているのだ。そこから意識のみを偽造した肉体に飛ばし、こうして私の前に一個の生命体として活動しているのだ、とパットは理解した。しかし、その真実をフローベルは知らなかったのだろう。口がわなわなと震え、目は丸く見開き、彫像のように動かなくなった彼を見て、パットは言った。「フローベル? 知っていたの? あなたはどうしてずっと黙ってたの? ねえ。黙っていないで教えて。…フローベル!」フローベルは手前で両手を振りながら、後退して首を振った。動揺した彼の顔は何も知らなかったと言わんばかりに歪んでいた。「違うんだ。パット」パットは懐から小型携帯銃を引き抜いた。「まさか、騙したのね。フローベル! 人間の振りをしてずっと私たちを観察していたのね。アンドロイドのスパイだわ。信じてたのに、何とか言ってよ! フローベル!」パットが小型携帯銃を握った手に力を込めていくと、それに応じて銃口がふらついた。パットは我を忘れ、老人がその場にいることを忘れていたので、老人が立上がり、銃を納めるように手を振りかざしたとき、驚きざまにあやうく引き金を引きそうになった。「落ち着くんだ。彼はアンドロイドのスパイではない。ちゃんと人間だ。彼は沢山の身体を乗り継いでいる。だから知らなかった。当然だろう? 意識は飛ばせても、すべての記憶をあますことなく持って行くことは不可能なのだ。そして彼にとってオリジナルの身体があることを知っている記憶というものは厄介だった。さきほども言ったかもしれないが、自分がオリジナルと偽物二つの肉体を持っていることを知っていれば、いずれ今どちらの身体を使っているのかあやふやになり、混乱を引き起こすことになる。それを防ぐためでもあるのだ」パットは老人の言っていることを信じ、銃口を下ろした。確かに私は少し我を忘れていたようだ。この場にいるフローベルと長いつきあいをしてきた中で、私は私の認識を疑うことなく、彼は立派な私のパートナーであることを確信していた。彼の言ってきた言葉を忘れてしまったのか? 彼は優しい人だ。たとえ彼が人間ではなくても、私は彼を嫌いになったりしない。パットは息を整えた。しかし、パットは自分が咄嗟の状況に対し、冷静な判断が下せない人間であることを知っていた。いつも感情にまかせて動いてしまう性であることを誰よりも知っていた。「ごめんなさい。取り乱して」するとフローベルは言った。「いいさ。この状況で冷静でいられるほうがどうかしてる。早く仕事を終わらせて、ゆっくり休もう」フローベルも状況を把握し終えたのか、動揺を隠すことはできていた。フローベルはきっと私の不甲斐ない様を見て、自制心を働かせたのだ。自分がしっかりしなくてはという心を持ったのだろう。パットは老人に向き直って言った。「何がなんだか分からなくなってるの。ごめんなさい。てっとり早く済ませましょう。用件をお聞かせ願えますか?」老人は言った。「グロリアとリッカードを捕らえてほしい。当然、彼らは人間ではない。詳しい情報は端末に送信するが、簡単に説明すると、グロリア。こいつは女のアメーバだ。そしてリッカードは男のアンドロイド、君たちが血眼になって探している奴だよ。…そろそろ私たちも身の置き所を考えなくてはならない。彼らを捕まえてほしいことに加えて一つ条件を出していいかな」パットは眉を顰めて言った。「身の置き所?」老人は赤い警告ランプのついたボタンのカバーを外すと、そこに手を添えた。「アンドロイドになるか、アメーバになるか決めて欲しい。人類は残り三人、私と君たち二人で最後だ。もう猶予は残されていない。ちなみに私はアンドロイドになることにしたよ。ドロドロの粘液になるのは御免だからね。君たちも身の置き所を変えないと、命が持たないよ。今し方、上から指令が入ってきた。私の手術に関する案内と君たちにどちらになるか今ここで答えを聞きたいそうだ、さもなくば君たちは抹殺の対象となる。最後の人類として磔にするそうだ。残酷なことをするもんだな。結局は人と何ら変わらない。心を持っているなら、愛情を育むことができるだろうに。冷たい機械になり果てることを今や彼らは恐れないのだ」パットとフローベルは互いに見つめ合った。どうしていいか分からないのだ。何を考えなくてはならないのか判断がつかないのだ。アンドロイドになるのか。アメーバになるのか、と彼は言った。パットは思った。もはやここまでなのか。人類は本当に私たち三人だけになってしまったのか。それが真実であれば、私たちは人間を辞めなくてはならない。考える時間が必要だった。しかし、ここで答えが聞きたいと彼が言ったことを思いだした。私が咄嗟に思いついたことはフローベルと二人で逃げることだった。地球の果てまで逃げ切る自信はあるつもりだった。一人だったなら私はここで人類の繁栄を諦め、他種に成り下がることを決意していただろう。しかし、私は一人ではなかった。ずっとここまで歩んできたフローベルが隣にいてくれたことが、何よりも増して力強く今の私を支えていた。彼はどうなのだろう。パットはフローベルを見た。私の思いがすべて片思いであったなら、とてもうら悲しい思いで胸は満たされ、それは私の心を張り裂かんと突き刺す刃へと形を変えるだろう。パットはかつての自分自身を思い返した。いつも夢ばかり見ていたかつての私はもう遠く離れた彼方の地に飛ばされてしまったのだろうか。いや、そんな都合のいいことがあるわけがない。パットは身を震わせた。私は現実を見ることが怖く、ずっと夢ばかりを見る都合のいい生き方をしてきた。ずっと逃亡生活のような人生を送ってきた。ときたま去来する罪悪感で頭が割れそうになるくらいの痛みが私を襲うのだ。
話し相手に高価なアンドロイドを専門のサービス店から譲り受けても、その彼が私の心を一杯に満たすほどの慰めを施すことはなく、一つのことを理解させただけだ。私は絶対に温かく優しい人間を欲していた訳ではなかった。その人間がアンドロイドでも構わない。アメーバでも構わない。しかし、私を傷つけるかもしれない。私のことを憎み、殺そうと思い立つかもしれない。私は私自身で彼が私に悪意を持つ可能性をつぶした後、彼が私に優しさを持って接してくれるような、そんな優しさを持った者を欲していたのだ。これは夢ではない。私が意を決し、フローベルと二人きりになったとき、水を奢ったことがある。グロリアがその場から消えていなくなったとき、私はフローベルと何気なく会話をつなげようとしていた。世界にまだアンドロイドもアメーバもいないと信じていたときだった。妙なことは何一つなかった。
いや、あったかもしれない。フローベルがギルバートという言葉に強く反応したことがパットの脳裏をチラリとかすめていった。




