フリックの逃げ道
グロリアが今レジスタンスを掲げているアンドロイドだと知り、フローベルは彼女がアンドロイドである証拠がないことに気づくのだが、自分が自分であることさえ曖昧になっていき・・・。
グロリアは金色に光るブロンドの髪を耳にひっかけ、体の前で手を組むと、真摯な目つきでフローベルに視線を送った。彼が苦痛に喘いでいると同時に、よからぬ考えを抱きはじめているーそれも彼の目を見ればわかる。つい先ほどまで暗い影がさし、疲労困憊に息を吐く面影が残っていた彼の容態は、すっかり引き締まっていた。まるでこれから重大なことを話すかのようで、グロリアはただ彼が悩みを打ち明けることを躊躇っているのだろうと目を伏せた。
「どんな罪でも私たちは受け入れます。断罪することはできませんし、警察でもないので、捕まえることもしません」グロリアは普段の声ではない、優しい語り口調で喉を震わせた。
その直後、フローベルの怯えた目がギラギラとした目つきに変貌し、相好を崩さんとした。
「お前はアンドロイド型番K-236だ。それも人間に反旗を翻した反逆者だ!」フローベルはタブレット端末をズボンのポケットにしまい込むと、スーツの脇に手を入れ、《人間を毒殺する機械》を摘みとり、部屋に響き渡る大声で叫んだ。
グロリアは顔を引きつらせ、本棚に並んだ書物の裏側に手を伸ばし、小型化携帯銃を手に取り、構えた。
「私はアンドロイドではありません。罪なき一般人を殺すおつもりですか? であればあなたは犯罪者となるわけですが…」グロリアは息をつぎ、僅かに弾んだ声音でフローベルに照準を合わせると、獲物を仕留める蛇のように睨んだ。彼女の蛇睨みから微かに優しさが滲み出ている。きっと彼女は引き金を引かない。それを知ってなお、おれは彼女をアンドロイドだと信じられるのか。しかし、これは使命なのだ-フローベルはスイッチを押した。グロリアの瞳から生気が失われ、支えを失った人形のようにくずおれた。フローベルはグロリアの体に近づき、屈むと《人間を毒殺する機械》を彼女の肌に当てた。
腕に触れると、柔肌の感触が指先に伝わり、生前数分前の彼女の挙動が思い起こされた。肢体は美しく、損傷はない、完璧な作り物だ。ブロンドの髪質さえ本物と大差ないほど滑らかな肌触りだ。彼女の腕が腐食してきた。《人間を毒殺する機械》が放出するもののうちには腐食性物質も含まれる。彼女の肌の下は鋼鉄の部品だった。形状記憶能力を持つ鋼鉄が使われているのだろうが、毒の前では無力だったのだ。
フローベルは身を起こし、端末を開いた。画面にパットの写真が映ると、それを耳に当てた。
「グロリアという修道女のアンドロイドは仕留めた。あとの標的はどんな奴だ? まだ情報が入ってきてないぞ」フローベルは火の粉がはぜる暖炉を顔を歪めて睨みつけ、額を流れる汗を腕でぬぐった。風呂に浸かっていないせいで髪が固くなっているのか。パサつくのを気にし、何度も前髪を掻き上げた。
「次は…口頭で伝えるより端末にデータを送ったほうが早いだろう。すぐに送る。待っていてくれ、フローベル」ガムはまたパットの携帯から電話を掛けてきているようだった。
「パットはどうしたんです? 仕事に来ていないんですか?」普段であれば、仕事場からパットが自分の携帯でおれに情報をよこすはずだとフローベルは訝しんだ。仕事場には各々の端末が設置してある故、会社に来なければ端末から指示を出すことはできない。
「それが来ていないのだ。それも昨日からさ。私は君と一緒なんじゃないかと思っていたんだが、どうやら違うみたいだな。しかし、君はいつからパット君を呼び捨てにするほど仲良くなったんだ?」
ガムが重々しい口調で放った言葉に対し、フローベルはついにガムは頭をやられちまったのか、と思った。
「冗談はやめてくださいな。私たちは夫婦なんですよ? それも十年前から」フローベルがギルバート教会から外に出、降りかかる日差しに目をすぼめたところ、向こうにフリックらしき人影が見えた。
ガムは豪快な笑い声を電話越しに響かせて、言った。
「十年前に結婚した? そうか。お前はパット君が好きだったのか。しかし、十年前といったらお前はまだ八歳だ、結婚できる年じゃないぞ」おれの十年前が八歳だって、おれは今十八じゃない。
「情報は送っておいた。じゃあ、頑張りたまえ。色々とな」ガムはいそいそと通話を切り、直後アンドロイドに関する情報を送ってきた。
フローベルは元よりここにいなかったのだろうか。フローベルは浮浪鈴かもしれない。そう思ったフローベルは自分が誰だか分からなくなった。若返ったわけではないのだろう。ガムはおれが十八だと知って、なんらおかしいとは思っていないようだった。おれは最初から十八の浮浪鈴だったのだ。どうしてなのか、おれは自分を父親のフローベルだと勘違いを起こしていた。おれは最初からフローベルとして生まれてきたのだ。父親を創り、子どもを創り、妻を創り、ありとあらゆる人物をフローベルは創造した。これは神の御業だ。
それらの思考が一瞬にしてフローベルの頭に舞い降りたとき、フリックは教会前の人であふれた三位一体広場を歩き、フローベルはどこかと辺りに目を配った。フローベルという得たいの知れない相手をグロリア一人に任せてはいけない、とフリックは悪寒を覚えたのだ。立派な赤毛に頬に若干浮いたそばかす-私の容姿をはじめてあの子が「私はフリックさんの赤毛好きです」と褒めてくれたのを覚えていた。この立派な赤毛は私が私でいるための証、愛着のある赤毛なのだ。
フリックがフローベルの姿を視界にいれたとき、凄まじい悪寒が背筋を駆け上った。まるであいつが高台にいるように、高く離れてはいるけれど、平面上の距離はすぐ間近だと見下ろしてくる。
フリックは咄嗟にリッカードを思い浮かべ、王宮の丘から出た赤い屋根の住宅郡にある彼の家を目指そうと思った。




