初仕事
人の気配がまるでない鬱蒼とした森の奥深く。一人の女性の、か細く震える泣き声が静かに響いていた。
周囲には引き裂かれた衣服や食料などの荷物が無惨に散乱し、一部には黒く燃やされた不審な跡も見受けられる。
そこへ、ガサガサと草木を荒々しく掻き分ける足音が、じわじわと近づいていった。
「大丈夫かい? お嬢さん……」
下卑た笑みを浮かべた若い男が、うつむく女性の右肩に手を置こうとした、まさにその刹那だった。
泣いていたはずの女性が、弾かれたように顔を上げた。凄まじい風切り音とともに、鋭い右肘が一撃、男の顔面を完璧にとらえる。鼻血を吹いてよろめく男へ、間髪入れずに立ち上がると、ドレスの裾を大きく翻して腹部へ鋭い回し蹴りを叩き込んだ。
ドゴォッ、と重い音が響き、男が地面を転がる。息の根を止めるべく、高く跳ね上げた足を、容赦なくその顎へと踵から思い切り振り下ろそうとした。
「待て待て、待て!!」
メアリーが素早くその間へと身体を呈して滑り込み、大男の足を必死に受け止めて止める。
「やり過ぎだよ保安官!! そこまでやったら死んじゃうってば!」
ぜぇぜぇと息を荒げる「女性」――いや、安物のフリルドレスを無理やり着させられたトニーは、忌々しそうにチッと舌打ちをすると、パンパンとスカートの砂汚れを叩き払い始めた。
たくましい肩幅と金の長髪が、破れたレースの間から覗いている。
「これが、俺たちの記念すべき初仕事とはね……」
トニーは不服極まりない顔で、ひどく低い声でメアリーを睨みつけた。
メアリーは意識を朦朧とさせて白目を剥いている男を、手慣れた手つきで頑丈な麻縄で縛り上げながら、トニーを見上げた。
「いやぁ、本当に助かったよ。この仕事、前から情報屋の間で話はあったんだ。この森の奥で、女性が襲われる事件が続いてるから犯人を捕まえろってさ」
ギュッと結び目を締め、腰のナイフで余ったロープを鮮やかに切り落としながら彼女は続ける。
「でもさ、奴ら警戒心が強くて、どんなに見張ってても潜伏先から出てこないわけ。こうなったら誰かが女性の格好をして誘い出すしかないってなってさ。どうしようか頭を抱えてたところに、腕の立つあんたが仲間になったってわけよ」
メアリーは立ち上がり、ドレス姿のトニーの全身をまじまじと見つめて、満足げにニヤリと笑った。
「髪は長いし、化粧なんてしなくてもドレスを着せりゃそれっぽく見えるから、本当に楽だった。男にサクラをやってもらうってあの酒場の爺さんに相談したらさ、『一回、そいつをここに連れてこい』って爆笑されてね……」
トニーは合点がいった。あの時、薄暗い酒場のカウンターで、店主とメアリーが自分をチラチラ見ながらニヤついていた理由を、ようやく理解したのだ。
トニーはがっくりと肩を落としてその場に腰を下ろし、ぐったりと縛られている男へ冷たい目を落とす。
「……おいメアリー。まさか、これから受ける仕事が全部こんなのばっかりじゃないだろうな?」
メアリーは何も言わず、ただ意地悪くニヤニヤと笑い続けるだけだった。
――その時だった。
ざわり、と背後の草むらから、微かな「人の気配」が立ち上った。夜の森の冷たい風に混じる、生臭い鉄の匂いと、確かな殺気。二人の顔から、一瞬でコミカルな色が消え失せた。




