フランの過去
その日の夜、無事に死線を切り抜けて帰還したお祝いを兼ねて、俺はメアリーを連れて賑やかな酒場へと足を運んだ。
いつもはストイックなメアリーだが、今日ばかりは張り詰めていた糸が切れたのだろう。ほんの少しグラスを傾けただけで、すっかり出来上がってしまった。
上機嫌な様子で、近くのテーブルの客たちに楽しそうに絡みに行っている。
そんな彼女を遠巻きに眺めていると、いつの間にか現れたフランが、俺の隣の椅子に荒々しく腰を下ろした。まだ昼間の怒りが完全に冷めていないことは、その刺すような空気から容易に察しがついた。
――何しろ、彼の本業は「殺し屋」だ。そう知ってしまった今、私の背筋には否応なしに冷たい緊張が走る。
「……珍しいな」
遠くで笑うメアリーを見つめたまま、フランがぽつりと呟いた。
「メアリーちゃんがあんな風に羽目を外して酔っ払うことなんて、滅多にないのに」
フランは冷ややかな視線をこちらに戻すと、不意に問いかけてきた。
「あなた、メアリーちゃんが旅先であまり食事を口にしない理由、本人から聞きましたか?」
「あ、うん。匂いに敏感になって、周囲の危険を察知しやすくするため……だとか何とか言ってたな」
「そう。お酒も全く同じ理由です。酔ってしまえば、万が一襲撃されたときに対抗できなくなる。だから、どんな時でも絶対に酒を飲まないように自制しているんですよ」
フランは店主に酒を注文しながら、淡々と、しかし重い言葉を続けた。
「僕たちのこの『仕事』って、どうしても逆恨みを買うことが多いから……」
そう語るフランの目は、やはりメアリーのことが気になって仕方がないらしく、チラチラと彼女の姿を追っている。
「……僕以外の誰かに、心を許して安心しきっているのかな」
フランの視線に気づいたのか、メアリーが千鳥足でこちらに向かって泳ぐように歩いてきた。
「あれぇ~? フランだぁ~! 来てたんだぁ~」
完全に呂律の回っていないメアリーは、あろうことかフランの身体にベタベタと容赦なく触り始める。
「もう、メアリーちゃん、その辺にしておこうね……? まだ右腕の傷が治っていないんだから、暴れちゃダメだよ~」
フランが困り果てたような、甘やかすような声で宥める。だが、メアリーはキッと可愛いらしくフランを睨みつけた。
「やだーー! フランきらーい。いじわるぅ~~」
フランはどうにか彼女の暴走を止めたいようだが、酔っ払ったメアリーに聞く耳などあるはずもない。見ていて気の毒になり、私は思わず口を挟んでしまった。
「おいおいメアリー、せっかく心配してくれてるフランに向かって、その言い方はないだろ? 少しは優しくしてやれよ」
私の言葉に、メアリーがふらりと顔を近づけてきた。ぷんと、強烈な酒の匂いが鼻を突く。
「あはは! 大丈夫、大丈夫! フランなんてその気にありゃあ、私のこと押し倒して、お洋服ビリビリに破いて襲ったりくらいする男なんだからぁ~~!」
メアリーは大笑いしながら、俺の背中をバシバシと豪快に叩いた。そしてそのまま、また別の客のテーブルへとご機嫌に去っていった。
残されたカウンターに、冷たい沈黙が流れる。フランはひどく落ち込んでいるのか、完全にうつむいたままでピクリとも動かない。
俺は彼の肩にぽんと手を回し、男同士の慰めのつもりで言葉をかけた。
「おいおい、しっかりしろよ。こういうデタラメな冗談を言われた時はさ、すぐに否定しないと本当に周囲に誤解されるぞ?」
様子を伺おうと、下から彼の顔を覗き込んだ。
――その瞬間、私の思考が完全に停止した。フランは、この世の終わりかと思うほど顔面蒼白になり、唇を微かに震わせたまま、何も答えない。
「え……。……おい、まさか、本当だったのか……??」




