8. 業務開始
「今日はもう遅いからここでゆっくり休むが良い! だけどくっせーから風呂に入った後でな! ベッドの上に寝巻も置いてあるわバカ野郎! 風呂はさっきの廊下右行って突き当りだ分かったか! シャンゼルの悪魔め!」
そうして乱暴に扉を閉められたが特に外側から鍵を掛けられたりはしていない様だ。それどころか内側から鍵が掛けられる。どうやら住み込み用の部屋らしい。
シロウにあてがわれた部屋は一階の東端。他の部屋に比べて余計な装飾品のないシンプルな扉で、中にもシンプルなベッドとサイドテーブル、そのテーブルの上にはウォッシュボールと水差し、タオルまで置いてある。備え付けのクローゼットにデスクもだ。シンプルだからと言って粗悪な物ではない。前に住んでいたアパートとは大違いだった。
「ああ……すげぇ……。今日から俺、ここに居て良いんだ……」
清潔で柔らかなベッド。久しぶりにまともな睡眠がとれそうだ、そう思った次の瞬間にはもうウトウトして来て、シロウは何となくあのお嬢様の顔を思い浮かべていた。
思わずとは言え、頭が悪そうだなんて言われてもシロウの合格を喜んでくれたリヴ。これから仕える主君がそんな人で良かったと思う。
「あれ? でも……」
ふと気付いた。声を聴いていない。何かを訴えかける様なあの瞳のせいか、話し掛けられていた感覚があったが、リヴはあの時一切声を出さなかった。隣りでカミルがわーわーとうるさかったし、明日はちゃんと聞けるだろうか。
「聴けると……良いな……」
そう、シロウは面接前に聞いた「緑の屋敷の声無し姫」の話しをすっかり忘れているのだ。
もちろん、ずっと引きこもっているとか、ワガママだろうとか言う事も。
そうして、自分で思っていたよりも疲れていたらしいシロウは深い眠りに落ち、翌朝見慣れぬ天井にしばしの思考停止を余儀なくされるのだった。
「あれ……? ここ……。ああ」
個室の扉が叩かれていてシロウは目を覚ました。
そうだ、今日から自分は高給取りの庭師なんだと思い出す。
毛布も被らずそのまま寝ていた身体をガバと起こすと、扉を叩く音が結構な大きさなのに気が付いた。好きな時に寝て好きな時に起きる生活を続けていたので、朝起きるなんて当たり前の事が出来なくなっていた様だ。
「ヤバ……!」
ガッ……!! ガシャーン!!
「なぁっ?!」
寝ぼけていた頭が一気に覚める。
叩かれていた扉がぶち破られ、部屋の端まで吹っ飛んで大破したからだ。
シンプル故に他の扉よりも頑丈そうにさえ見えたのに、内側からちゃんと鍵をかけたのに、その扉がだ。
すっかり風通しの良くなった部屋にベスティアが現れる。
この扉を壊したのももちろん彼女だろう。
昨日の身のこなしを見ていればこそそう思うが、一体どうすればその細腕からこんなパワーが出るのか不思議である。確かにこの少女を助けに入った自分はだいぶ余計な事をしたのに違いない。
メイド服にサラサラヘア、リヴよりももっと小柄だと言うのにだ。
「良い度胸ね新人、朝は五時から始業と言った筈よ」
だが胸はリヴよりもだいぶ豊かである。腕組をしてすっくと立っているのだが胸が邪魔そうなのだ。腕組と言うより胸を乗せているだけに見える。
「きっ……聞いてねぇよ?!」
「なら察しなさい。クローゼットにある服に着替えて一分後に正面玄関に集合。ここのルールを説明するわ。それと扉も直す様に」
「わ、分かったよ」
色々と理不尽だったがシロウはすぐにクローゼットを開けて着替える。中には作業用の服だろうか、白いシャツに、頑丈そうなグレーのズボンが入っていた。そしてウォッシュボールに水を注ぎ、顔を洗って部屋を飛び出す。一分しかないのだから走らなければならない。
廊下に飛び出すと真っ直ぐ進んだところに正面玄関はある。そこにベスティアが待ってるのが見え、ベスティアの方もこちらを振り返った。
「廊下は走らないで!」
「おっと……」
注意されてわざとらしく背筋を伸ばして歩き、澄ました顔で集合場所に到着すると、ベスティアはポケットから懐中時計を取り出してこう言った。
「約束の一分を十二秒も過ぎたわ」
「走ってたら間に合ったぞ?!」
「扉は直したの?」
「それも一分以内の話し?!」
「色々とダメねあなた。チラシを渡しておいてなんだけどどうして採用されたのかしら」
それはシロウ本人も聞きたいところだ。
「いやぁ、お陰様で!」
「まぁ良いわ。とりあえず屋敷を回りながらルールを説明するから付いて来て」
「はーい。なぁ、あんたが俺の上司になるってワケか?」
「そう思ってたらどうしてそんな口の利き方が出来るのよ?」
大人しく黙って後ろを付いて来る気がないシロウにベスティアがもっともな事を言った。
「あ、あんたとか言っちゃってごめん、名前聞いてなかったからさ。俺はシロウ! めっちゃ働くから!」
「問題はそこじゃない。まぁ私は別に上司じゃないわよ、あなたが慣れるまでの教育係ってとこね。ベスティアさんって呼びなさい」
「ベスティアさん? 俺とそんな年変わんなくねぇ?」
「ここでのキャリアは違うのよ」
「ベスで良い?」
「あなたね、勝手に愛称付けないでよ。ここは厨房、食事は私が用意するけど下準備を頼むこともあるわ。時間になったら各部屋に運ぶの」
こうしてベスティアは屋敷の案内をしながら最低限のルールをシロウに説明して回る。
「各部屋? 一緒に食わねぇんだ?」
「家族じゃあるまいし。基本的に私達はリヴお嬢様にお仕えする立場なのよ」
リヴの正式な名はリヴァシーズと言う。お仕えする立場と言いながらベスティアもカミルもきちんと教えてはくれなかった。
「じゃーリヴの家族はどこにいるんだ? あいててて!」
お仕えするお嬢様を呼び捨てにして頬を抓られるシロウ。
「シャンゼルの本邸……、いや、もう居ないと言った方が良いかしら」
「えっ?」
「別に珍しい話でもないでしょうから言ってしまうけど、リヴお嬢様はシャンゼルを治めていた伯爵の……妾の娘、らしいわ。でもその伯爵も妾の女も亡くなっているそうよ。こっちは男性用の浴場、今日からあなたに掃除してもらうからね。次は外よ」
シロウには別世界の話しだったが、何となくその『妾』とやらが肩身の狭い存在なのだろうと言う事くらいは分かっていた。きっと、だからこんな辺鄙な場所にあるお屋敷に住んでいるのだ。




