43. 走馬灯
ヤバい。走馬灯だ。
走馬灯って自分で走馬灯だと気付く物なんだな。絶対に負けられないし、死ぬのは嫌だし、こんなの見ている場合じゃないんだけどなぁ。
これって俺のいつの走馬灯なんだろう?
霧に満ちた森の中……あー、ここ、子供の頃に俺が良く一人で遊んでた森だ。
俺を生んですぐ死んだ母ちゃん。父ちゃんは誰だか知らねぇ。早々にみなしごになった俺は母ちゃんの兄ちゃん、つまり叔父さんの家でこき使われてたんだよな。
物心ついた時にゃもう叔父さんに殴られて、酒買いに行かされて、金がなきゃ盗めって教えられて……。逃げる様に近くの森で虫を捕まえたり野イチゴを食べたりしてたっけ。
「ぐすっ……ぐすん……ひぃん」
ああ、そうだ、ある時ちょっと奥まで進み過ぎて帰り道が分からなくなった時、どこからか女の子の泣き声が聞こえて来たんだ。
俺の方も正直心細くて、その声の方に歩いていくと細い糸みたいな茶髪の、緑の瞳の女の子が居た。
「どうした?」
俺が話し掛けると女の子は一瞬ビクリと肩を震わせて警戒したけど、現れた俺が同じ子供だと分かってホッとしたんだろう。すぐに近くまで駆け寄って来て言った。
「おうちが分からなくなっちゃったの」
「バカだな!」
俺だっておうちが分からなくなってたワケだが……俺はその女の子の前でカッコ付けた。我ながら大したもんだ。
「俺が送ってやるよ!」
「本当? ありがとう!」
その子はすぐに俺を信用してお礼を言った。
そしてすっかり暗くなっちまった森の中を二人で手を繋いで歩いた。
野生動物の気配がビンビンにしてたし、夜の森は危険だって子供でも分かってた。だけど送ってやるなんて豪語しちまったし、俺は手頃な棒切れを拾ってそれを武器にしようと持ち歩いた。これで野犬くらいならなんとか追い払えるだろうと思ったんだ。だけど……。
――フゴ……フゴフゴフゴ……!
「きゃぁっ?!」
出て来たのはデカいイノシシだったんだよなぁ。いや、デカく感じただけでごく平均的なサイズのイノシシだったのかも知れないけど、その時の俺にとってはあまりにも巨大だった。
武器は棒切れ一本。隣には守らなきゃならない小さな女の子。
「大丈夫だ、こいつはな、真っ直ぐしか走れないんだって聞いた事ある。もし走ってきたらギリギリまで待って横に避ける。避けたらすぐ走って逃げ……」
悠長な事を言ってる間にイノシシは俺に向かって突進して来た。そりゃ待っててくれる筈もないよな。
「危ない!」
咄嗟に女の子を突き飛ばすだけで精一杯だった。
俺はイノシシの突進で後方に吹っ飛び、勢いよく木にぶつかった。あれはマジで痛かったなぁ。背中に経験したことのない衝撃が走って、しばらく息が吸えなかったもんなぁ。
そんで、まだ近くにいる筈なのにあの女の子の悲鳴がめちゃくちゃ遠くから聞えて来た気がした。一撃で意識を飛ばし掛けてたんだ。
イノシシは俺を追撃しようとまた突進して、そして俺の足、太もも辺りに噛み付いた。
噛み付き?! イノシシってこんな攻撃もするのかよ?! って思ってそりゃビックリしたもんだ。
めちゃくちゃ痛くて、まだ息も吸えてなくて、ああこのまま死んじまうって思った。
でも、俺はそれでも良いかなんて思ったんだよな。まだ子供のクセに俺はこの世に絶望していたのかも知れない。太ももから暖かい血が流れているのが分かって、何だかそれが心地良くも感じたんだ。
「負けないで!」
「……!」
このまま意識を手放してしまおう。そう思ったのに出来なかった。
身体から離れかけた魂を、大きくて暖かい、だけど猛烈にワガママな何かが俺に引き戻したんだ。それはもう強引だった。
「うおああああーっ!」
俺は持っていた棒切れをイノシシの眼球目掛けて思い切り突き刺した。何とも嫌な感触だった。
ブイィィィィーッ!
聞いた事のない声を出して俺の足を解放し、片目を失ったそいつはパニックを起こしたのかそこから一目散に逃げ出した。木に身体をぶつけながら。
「はぁ……はぁ……良かっ……た……」
イノシシの後姿を見送ってホッとした俺は、急に寒気に襲われてガクガクと震え出した。
足からの出血が酷くて、たぶんそれで死んでもおかしくなかったとは思うが、女の子は俺に駆け寄ってずっとこう言ってたんだ。
「死なないで!」
気を失いそうになるとその声で引き戻される。優しいけど厳しい注文だったよなと思う。
だけど幸いな事に、それからすぐ森の向こうから明かりが見えて、俺達は保護された……んだと思う。もう色々とこの辺の記憶は曖昧だ。
だけど今、一つだけハッキリと思い出した事がある。
あの時の女の子は、リヴだった――。
忘れててごめんな。でも分かるわけないだろ、何年前の話しだよ。
でもきっと、リヴは俺の事を覚えていてくれたんだんだよな。だから面接の最終試験で会った時にあんなに喜んで、俺の傷だらけの身体を見た時も太ももの傷にだけやたらと反応した。
あの時の森は、緑の屋敷へ続く森で、まだ声が出ていた頃のリヴは、そのセイレーンの声で俺に無理難題を押し付けたってワケだ。
負けないで、と、死なないで。
リヴのその言葉は俺の魂に深く刻み込まれて、俺は負けられなくなったし死ねなくなったんだろうと思う。そうじゃなきゃ何度も負けてる場面はあった。そもそも俺は何者でもないただのみなしごだ。高名な武人の息子でもなければ弟子でもない。だけど負けなかったから強くなれた。死ななかったから次のチャンスがあった、それだけだ。
セイレーンの魔力……プレアってのはこう言う事なんじゃないかな。言い換えればそれは、祈りだけど、悪い言い方をすれば呪い……みたいな。
ある日ラーナはリヴに言ったんだろう。
声を封じて、と。
ああつまり、セイレーンってのはどいつもこいつも勝手だなぁ。こっちの都合なんか何も考えちゃくれない。痛くても苦しくても逃げられないんだから参っちゃうよ。




