42. 力の出処
一方的に終わるだろうと思われた試合だったが、結果シロウはまだ闘技場に立ち、ギリギリの戦いを繰り広げている。
それもどんどん見ごたえのある展開に変わっていくではないか。
スメラフィーズは間違いなく過去で一番の歓声に包まれ、とうとうその歓声の中には、シロウを応援……と言うかけしかける様な声も多数混じる様になってきた。
当然、誰が何を言っているかなど分かる筈もないのだが、こうしてここで戦っている二人には何となく感じるものである。
この展開にエレトは苛立った。
「……ったく! 観客なんてのは本当にワガママですぐ手のひらを返しやがる! そう思うだろうシロウ!?」
「くっ……! うっ!」
こんなのを見続けていたら確かに観客の人気が傾くのも分かる。それが偽りの英雄であったとしても観客は面白いものが見たいのだから。
「俺はワガママに応えてやる気はないけどなぁ!」
いつしか余裕のない表情になっていたエレトの爪が、とうとうシロウの脇腹を抉った。
「うぐぅっ……!」
顔を歪めてシロウの動きが止まる。やっと致命傷を負わせたとエレトは満足気に笑い、肩を上下させて乱れた息を整えた。
「なぁ……エレさん……」
こんな状態でも口がきけるシロウにまた驚くエレト。
「何でなんだよエレさん……」
「しつけぇよ」
ついさっきまでご機嫌そうだったエレトは冷ややかにそう言った。
「このままじゃどんどん観客の気持ちがお前に行っちまう。偽りの英雄は俺に倒されて俺は華麗に復活。それにはお前がヒールでなきゃいけないだろ? そんなボロボロになって一生懸命戦う姿を見せたら……」
もう早々に終わらせよう、エレトからは戦闘を楽しむ様な空気は消え、一気にその爪をシロウへ浴びせる。
「俺が悪に見えるだろうが!」
脇腹を抑えながらかわすと大量に血が飛び散った。それがエレトの頬にかかり、どうにか口がきけるだけでやはり致命傷だと確信されてしまう。
「ぐっふっ……!」
「まだかわせるってのかよ……!!」
だがそれでも、シロウの動きは飛び散る血しぶきに反してだんだん鋭くなっていくのだ。エレトの動きも読めるようになったし、読み通りならば攻撃ももうもらわない。そして時々、剣を突き出しては攻撃を加えようとさえする。
「こいつ……! 」
抉られた脇腹にエレトの膝が掠って血がこみ上げ、たまらず膝をついたが転がりながら距離をとってシロウはまた立つ。
「何でだ……! 何でまだ立つんだ?! そんなに血を流したらもう意識を保っていられるわけがないだろうが! いい加減にしろよ!! シリル!」
そこまで言って手を休めてやる義理はないとエレトはまた襲い掛かった。
誰が見ても絶望的な致命傷を追っているのに、シロウはギリギリ上体を反らせるだけでエレトの攻撃をかわし、振り回した剣がとうとうエレトの肩口に当たった。パッと飛び散った鮮血に観客が大いに沸き上がる。
ドオオオオォォォ……!!
「!」
また、何人かの観客がシロウに流れた。
エレトの息が上がって来る。身体ではない、胸が苦しくなって息が乱れている様だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……俺はきっともう、人じゃなくなるんだと思ってた……」
おそらく、ラーナ種のドープ薬を使ったら、と言う事だろう。
「だけど……なんだ……お前は俺以上の化け物だよ……はは……」
この状況で小さく笑ったエレトに気付いたシロウは何か冷たい物が背筋を流れるのを感じた。
「エレさん……?」
「もっと、もっと全力で殺しに行かなければシリル・ロウエンタールには敵わない……これじゃあよ……これじゃあ……一年前と同じじゃねぇか!!」
言いながらエレトは胸元から錠剤の瓶を取り出し、おもむろに口を開けるとそれを大量に摂取した。
「あん時だってよぉ……! 勝てる流れだっただろうが! それがお前は全然倒れねぇ……。なら、もっと増やすしかねぇよ……」
一年前、あの覆面男に感じた妙な既視感の正体。それに気付いたところでシロウはもう驚かなかった。エレトの中に、シロウには理解出来ない狂気が渦巻いている事をもう分かってしまったから。
「やめろエレさん!」
エレトが飲んだ物、それが何なのか安易に予想の付いたシロウがそう叫ぶ。
粗悪なドープ薬と違うとは言え、本来の力以上を無理矢理に引き出すのだから身体に良い事の筈はない。もしかしたら今のそれは、そもそも貴重なラーナ種では無いのかも知れない。
「お前みたいな奴、正気じゃ殺せない」
らんとその眼を向けるエレトにシロウは顔を引き攣らせる。
「とっくに正気じゃないでしょうよ……」
緩く笑ってそう言ったが、シロウは内心戦々恐々だ。
「ああああ……」
苦しそうに蹲るエレト。
「あ……あ……」
エレトの髪も瞳も黒いままではあったが、でもそれでも普通ではないと観客が気付き始めていた。今までとはまた違う声が混じり始めている。
――今何かを飲んだのではないか? と。
シロウの言った様にエレトはとっくに正気を失っていたに違いない。そうでなければこの状況で……大勢の観客が見ているこの状況でドープ薬を飲むなど。いくらなんでも目的がシロウを殺す事、それだけになっている。
それでもそれが叶えばエウレスはいくらでもエレトのこの行動に理由を付けて隠蔽するのであろうが。
「がああーっ!」
獣のような声を出してエレトがまわし蹴りを繰り出す。シロウはそれをかわさず、受け止めて足を掴んだ。どうにか動きを封じようとしてやった事だが、無理やり離れようと強引に引いたエレトの足から嫌な音と感触がシロウの腕に伝わった。
「!」
危険を感じてすぐに放す。放さなければそのまま身体を持っていかれて掴まると思ったからだ。自分自身を壊しながら、猛烈なパワーでシロウを潰しに来ている。
「がぁっ! あああっ! があっ!」
まさか言葉も失ったのではと思わせる程、エレトの口から出る気合いの声は獣じみて来ていた。
「ぐぅっ!」
さっきまで多少読めていたエレトの動きが全く予測不能になり、攻撃を喰らうシロウ。一撃でも喰らう度意識が遠のくが、無理矢理何かに引き戻される。
「くぅぅっ……!」
シロウがほとんどまぐれでその拳を受け止めると血がぬるりと滑った。シロウの血ではない。エレトの拳が壊れているのだ。
「加減ってものを忘れちまってるよエレさん」
「お前に必要ないだろ?」
「普通は自分の身体が壊れない程度には加減するって」
「戦士だったら自分の身体の優先順位なんか一番最後だろうが!」
エレトはシロウに掴まれた拳を手首からくるりと捻って脱出すると、そのまま逆にシロウを捕まえ引き倒した。馬乗りになって首を絞められたので、またシロウは舌を出したがエレトは怯まなかった。それどころか一切表情が変わらない。
「もう面白くねぇよ」
ああ、もうダメだ。
シロウがそう思うと、エレトは首を絞める腕に力を込めた。
「あ……」
ひゅーひゅーとどうにか空気を取り入れていたシロウの首から何も聞こえなくなって、シロウは目の前が真っ暗になった。




