40. スメラフィーズと言う狩場
褐色の肌に長めの黒髪。甘めの顔に似合わぬ逞しい体躯。キーラには不評だったようだがシロウが見るとやはり憧れの対象だ。
エレト・エルディ。
ドオオォォッ……!!
かつての英雄の登場に会場は割れんばかりの大歓声に包まれた。
「知ってるだろう野郎どもーっ! スメラフィーズの悪魔の罠にはまりスメラフィーズを去った本物の英雄が! 満を持してあの時の復讐を果たすんだ! これはスメラフィーズをドープで汚したシリル・ロウエンタールへの制裁でもある! この悪魔狩りで華麗に復活なるかーっ?!」
ドオオォォッ……!!
華々しくそう紹介されたエレトはぐるりと観客を見回すと懐かしそうに目を細めた。
「どどどどう言う事?! まさかシロウの相手はエレトがするの?! だって怪我をして戦えない筈でしょ?!」
これには客席で見ていたキーラも驚いた。エレトはもう戦えない。日常生活に支障はないものの、戦士の様な激しい身体の使い方はもう出来ない。周知の事実だった筈だ。
「待たせたなー! ずいぶん時間は掛かっちまったが身体を治して来たぜー! あの時よりもうんと強くなってる筈だからな!」
エレト・エルディは負けたわけではなかった。諦めずにずっとリハビリを続けていたのだ。そのシナリオに観客達は大いに感動し、早々にエレトコールが起こった。
キーラはしっかりスメラフィーズの代表として選手を用意しろとは言ったが、まさかエレト本人が直々に出て来るとは思わなかった。もちろん申し分はない。
「薬をすり替えたって報告はちゃんとあったのよね? カミル言ってたわよね?」
キーラの問いかけに隣のアゼムがただ頷く。
「だったら相手が誰であろうと問題はないけど、でもどうして覆面も付けずに出てくるわけ? ちゃんとすり替えたのなら絶対に髪や瞳に変化が出る筈なのに……」
嫌な予感がしてキーラの背筋に冷たい汗が流れると、エレトが右手を心臓に、左手を空に掲げてこう言った。
「私、エレト・エルディは戦神スメラに、この身を汚す行為をしていない事を誓います」
これがお決まりのやり方なのか、エレトのやり方なのかは分からないが様になっている。
――でもそれは、嘘なんだろ……?
どうしても憧れの目で見てしまう自分を戒める様にシロウは自分の胸に言い聞かせた。
「さぁ、始めようぜシロウ」
司会者の口上も終ったようで、エレトがシロウにそう言って笑い掛けた。まるでカードゲームにでも誘うような気軽さで。
「エレさん……」
とうとうゴォンと鐘の音が響き、ここに対戦の始まりを告げた。
シロウがまだ何の覚悟も出来ないままに、エレトはもう目の前に来ていた。
「元気だったか?」
エレトの口がそう動いた。そして真下からエレトの膝が高速で上がって来てシロウの顎をズドンと撃ち抜く。表情も言っている事もチグハグだ。
「……っ!!」
そのまま体が宙を舞い、地面に叩き付けられる寸前でどうにか立膝を付いて無様に着地した。どうやら一瞬気を失っていたらしい。その膝はすでのカクカクと笑っている。
ああ、間違いない。一度戦った事があるシロウには良く分かる。これは鍛えたからと言って出せるパワーではない。エレトはラーナ種のドープ薬を使っている。
「か……はっ……」
そのまま胸を付けてしまいそうだったが、どうにか踏ん張ってエレトの方を見るとやっぱりもう目の前に迫っていて、今度はその太い腕で首を絞められたかと思うとそのまま片手で放り投げられる。
「またお前とやれるなんて嬉しいなぁ!」
入念に選んだ剣はあっという間にシロウの手から離れてしまっていた。それもいつの事だか分からない。そう言えばエレトも戦闘の際は剣を使うスタイルだった筈だ。それももう面倒になるくらい力を得たらしい。
手ぶらになったシロウの落下地点に先回りしたエレトは、また下から膝蹴りを繰り出してシロウを翻弄する。
「だけどごめんな! 手は抜けないんだ、これ真剣勝負だもんな! お前だってあの時俺にそうしてくれたもんなぁ!」
「がはっ……!」
まるで一人でボール遊びでもしているみたいに、蹴っては落下地点に移動し、また蹴っては移動する。
この一方的な展開に観客は興が醒めたのか、それともエレトの動きに付いて行けていないのか、試合中とは思えないくらい異様な静けさの中でシロウが撃たれる音だけが響き渡る。
血しぶきが飛んで、また闘技場の土が血を吸った。
「どう言う事よアゼム……、何で? 何でこんな事になるの?」
キーラは何度かスメラフィーズでの試合を見た事があるが、ここまで一方的な、試合とは呼べない様な展開は初めてだった。当然他の観客もそうだろうが。
「裏切られた」
表情を崩さずそう言うアゼムを見てキーラは顔を青くした。
「ラーナ種を使っている」
「そんな……!」
「身体的変化は出ていないのにこの戦闘力はそうとしか……」
「シリルとの戦闘の後遺症が完治している様だからそれが変化と言えば変化なのかも知れないわね……。そっちは別の何かで治したのかも知れないけど、どっちにしろヤバい薬って事だわ」
キーラは見ている事しか出来ない自分にギリと歯噛みした。もともと博打だとは思っていたがこんな形でやられるなんて思わなかったのだ。自分の甘さが悔しいのである。
シロウが何度くらい宙を舞った頃だろうか、エレトはもう飽きたとばかりに、ピタリと落下地点に走るのをやめた。
もうシロウに意識はないと思ったからだ。
ところがシロウは落下寸前でまた体勢を立て直し、どうにか足から落ちた。着地、とは言えないが。
この瞬間に、息を吸うのを忘れていた観客からまた怒涛の歓声が巻き起こった。
想像以上に凄まじい強さで復活したかつての英雄に、ただ翻弄されるしかない偽りの英雄シリル・ロウエンタール。こんなのが見たかったのだと。
「凄いなシロウ、まだ立つのか……やっぱりお前は……なぁ、凄いよなぁ」
まだ意識のあるシロウがエレトは信じられない。だがこうでなければとエレトの口角が上がる。
シロウがその顔をあげると……血だらけの痣だらけだ。だけどその目は全然死んでなどいない。
「何でって……言いたいのは……こっちだよ……」
荒い息を整えながらシロウは口の中をモゴモゴさせながら言う。
そしてペッと血と一緒に折れた歯を吐き出し、こう続けた。
「エレさん……強い人だったじゃねぇかよ」
「うーん? お前に言われてもな」
白けた様にそう言うエレトを見てシロウはようやく違和感を覚える。こんなに冷たい目をする人物だっただろうかと。




