34. 残業の終わり
望まれずに生まれた子供だったシロウは愛を知らぬまま成長した。こんなもんだと冷めて、期待しない事が処世術だった。そんなシロウが初めて期待した他人。それがエレトだったと言って良いだろう。
血がザワザワして心がチクチク痛い。
「う……う……」
リヴが今にも泣き出しそうな顔で何やら呻る。
「はは、おいおい、リヴがそんな顔する事ないだろ」
「そこまで言ってやる事ないじゃない。意地悪ねベス」
キーラも同情して言ったが、ベスティアにはまだ言っていない事もある。それは伏せる事にした様だ。
「……嫌な野郎ですね」
嫌な野郎。たったそれだけだったが、そう言ったカミルの言葉も大いにシロウを救った。
ああ、嫌な野郎だ。
「その嫌な野郎が二つの組織を動かしていると言う事で、私の計画がやりやすい」
「と、申しますと?」
「今後、エウレスはドープだけじゃなく、あらゆる薬を作って世界を相手にするつもりよ」
「またまた胸糞が悪いです」
心底軽蔑した様にカミルが吐き捨てたがそんな反応は想定内だったのだろう。ベスティアは一切滞る事なく話しを進める。
「その為にもドープ賭博は大事な資金源。当然リヴお嬢様のお母様が作ったドープ薬には限りがあるから、エウレスでは今別の製法で作られる粗悪なドープ薬を使っているわ」
「別の製法?! そんなもんがあるんならリヴお嬢様を攫う必要ないでしょう!」
「だから、粗悪品……って言ったでしょ?」
自分の瞳をそっと指差し、その瞳でカミルを見る。
不自然な、赤。
「まぁ数日もすれば元に戻るけど」
「なんだ、戻るのか! 良かったぁ。髪は染めりゃ良いけど眼は難しいもんな!」
嬉しそうに言うシロウをベスティアは理解出来ないと言った表情で眺めた。人の髪や瞳がどうなろうと何だと言うのだろう。つい先ほど、ベスティアの言い放った遠慮のない真実に深く傷付いたであろうに。ベスティアは肩を竦めて続けた。
「少量であれば変化も出ないけど、戦士級を相手にするならやはり変化が出るまで量を増やさなければ通用しない。戻らなかったら一回きりしか使えないし日常生活も送れないでしょ」
「さすがにリスキーですね」
「そう言う事。つまり威力も副作用もラーナ種……そう呼んでいたんだけど、リヴお嬢様のお母様が作った物には全然及ばないのよ。きっとシロもラーナ種を使われていたら勝てなかった筈」
「勝つと思うけどな」
短く反論するシロウ。本当にそう思うから言ったに過ぎないがベスティアは少し口角を上げた。
「そう、それでなくちゃね。ラーナ種と戦えとは言わないけど、負けてもらっちゃ困るのよ、私の計画は」
いよいよ本題だとベスティアがシロウを真っ直ぐに見ると、シロウは無言で頷いた。
「どんな計画なんだ?」
「粗悪なドープ薬を使ってまで賭博を続けているエウレスの意地汚さを利用するわ。この副作用を民衆の目に晒して、スメラフィーズとエウレスの不正を白日の下にするのよ。ドープしたらこんな変化が出るなんて知らなくても、異様な薬を使っている事は一目瞭然でしょ?」
ほう……と、みんな真面目にベスティアの話しに耳を傾けた。カミルも最後まで聞いてなお幸いな事にベスティアを殺すとは言い出さなかった。その計画には一切リヴは関わらなかったからである。
「スメラフィーズ賭博以上の博打になりそうですが……、まぁ見ず知らずの誰かに賭けるよりはマシな博打かも知れませんね」
「良いわ。面白くなって来たじゃない。領主としてはもっと清濁併せ呑むくらいじゃなきゃ土地の繁栄にはならないんだろうけど、身内が関わっているんだもの。権力者は自分の身内が一番ってのも定番よね」
リヴの保護者のカミルも、出資者のキーラも、ベスティアの計画に乗ると決めた。
カミルの言う様にそれは大きな博打だと思えたが、すでにリヴに手を出して来ている組織を相手にあまり悠長な事もしていられない。この流れにあまり付いて行けてなそうなリヴは心配そうに胸の前で手を組み皆の顔を見渡している。
「キーラってリヴの事ちゃんと身内だと思ってたんだ」
そんな、さぁ戦争だと言わんばかりの空気の中でシロウが思った事をそのまま口に出した。
「当たり前でしょ?」
周りにいた人間はこれはまたキーラが怒るのではと思ったが、当のキーラは心底不思議そうな顔をしてそう言っただけだ。
「欠陥品の妹が虐められてないか時々様子を見に来てたくらいなのに、どうしてそんな疑問を持つの?」
どうやら欠陥品と言う言い方や、口がきけない事をずけずけリヴに言う事に一切の悪意はないらしい。リヴの方もそれは重々承知している様でその言葉に嬉しそうな顔を見せ、座ったままのキーラに抱き付く。
「うふっ!」
「ちょっとリヴ、鬱陶しいわよ」
「はは、いやぁなんか……、キーラって色々と誤解されやすい人生だろうな」
「いいえ?」
まったく自覚のないキーラに吹き出し、シロウは頼もしい味方が居る事を喜んだ。
「ではキーラお嬢様、近々エウレスへ行ってくれますか」
「明日で良いわよ、シャンゼル領主にアポイントなんて不要だからね」
そう言ってキーラはもう休むとアゼムを引き連れて部屋を出て、リヴがその後に付いて行った。シロウもベスに肩を貸し部屋を出る前にカミルを振り返る。
「思ったより元気だな、マー君。やっぱ戦える系?」
「……助かりました」
張本人のベスティアがぼそりと呟くと、カミルは首を傾げてこう言った。
「いつも思ってるんですけど、マー君って誰なんです?」
「ははっ、マジかよ」
こうして、シロウの長い残業はようやく終わったのだった。




