2. 庭師 急募
石造りの円形闘技場、スメラフィーズ。
今日も大きな試合がある様で赤い旗がはためいている。
この悪趣味で巨大な建造物を囲む様に発展したのが、ここシャンゼル領シャンテアだ。
様々な店や施設が立ち並び、中には庶民には入れない様な所もある。仕事を斡旋してくれる施設もあるのだが、もちろん全員が望む仕事につけるわけではない。
一人の青年がその施設から出て来たが肩を落としている様だ。彼はもう一年も仕事にありつけていなかった。
ドッ……!
腹も減って来たとその青年が渇いた唇を舐めた時だった。地鳴りのような歓声が聞こえたのは。
この街に居たらこんな騒音も聞こえてくるだろう。往来の人間は特に気に留める様子もなさそうである。だが青年には少々苦痛だった。
その騒音を避けスメラフィーズに背を向けて歩いていると、街路樹に何やら実でもなっているのか、美味しそうな匂いではないがいつもと違う匂いがする。もしかしたら食べられるかも知れない。
そう思った青年は街路樹の真下に立ち、それを揺らした。しかし落ちて来たのは数枚の葉と、枝の上で一休みしていた野良猫だ。
「うわっ……!」
青年の頭上に落ちた猫は驚いて彼を引っ掻き、シャーッと威嚇の声をあげて通行人の足元を掠めながら一目散に逃げて行く。そして猫に驚いた通行人は猫の来た方角にその青年を見付けてしまうのだった。
グレイアッシュの、肩まで伸びた髪は決して清潔とは言えず、着ている物も薄汚れている。目が合うと露骨に嫌な顔をされた。それどころか……。
「まだこの街に居たのか、恥知らずが」
そんな言葉までぶつけられるではないか。
「……」
だが青年は怒るでもなく小さなため息を吐き、埃だらけのフードを被って身を潜めた。そして人気のない方、ない方へと歩く。別に目的地はない。
「…………! だから……! ……わよ! これ以上増やせば……!」
どれくらい歩いたか、ようやく人気もなくなったと思ったところだったが急に怒鳴り声が聞こえた。切羽詰まった様な、女の声だ。
「うるさい! ……!! ……しろ!」
もう一人、そこに被って男の声も聞こえて来た。
何を言っているかは分からないが明らかに争っている様に感じた青年は声のする方を覗き込む。どうやらすぐ近くの路地裏から聞こえて来るのだ。
街の中心部、スメラフィーズから離れた住宅街の薄暗い路地裏で男と女が何やら言い争いをしている。男の方は三十代くらい、女の方はおそらく二十代か……もしかしたら十代にも見える華奢な少女だった。
「こら!!」
青年は反射的にそう割って入ってしまう。
もしかしたらただの痴話喧嘩かも知れないし、大きなお世話の可能性も十分考えられる。だが青年はそんな思慮深さを持ち合わせていなかった。
まだ手は出されていない様だがそんな事になればこの華奢な少女はたちまちやられてしまうだろう。それくらいの緊迫感があったし、少女の足元には彼女の持ち物と思われるカバンが転がり中身が飛び出しているのだ。
「女の子相手に何やってんだよ」
その声に、二人はハッと青年の方へ向き直り顔を強張らせた。そして男の方がそそくさとその場から立ち去ったのだ。すれ違い様、青年に小さく舌打ちをして。
随分あっさり解決出来たがきっと正しい事をしたのに違いない。
「大丈夫か?」
青年は足元に散らばった荷物を拾ってやろうと地面に手を伸ばすと、少女は青年の手が届く前にそれをひったくる様に拾い上げ、次々カバンに戻した。ハンカチやポーチ、錠剤の様な物が入った小瓶がいくつか……。
「余計なお世話よ」
「そりゃ悪かったね、ほらあっちにも転がってるけど俺に触られたくないか?」
自虐的にそう言って青年は親指で小瓶を指した。少女はパッとそれに飛び付き素早くカバンにしまうとこう言って立ち上がる。
「誰にも触られたくないのよ」
「そうかい、まぁ俺になんて助けられたくないってのも普通だからよ」
「だから元々助けなんていらなかったっての」
「あーごめん、知り合いだった?」
「……違うけど……一人で対処出来たって意味よ! だいたいあなたこそ人の心配出来る様な状況なの?」
自分の事を聞かれるのは苦手なのか、少女はそう言って青年を足元からジロジロと眺めた。言ってしまえば乞食同然の見た目である。
「はは、いやー晴天が続く季節だから大丈夫」
つまり家がないと言う事だと察した少女は呆れ顔で肩を竦めた。
「偉そうに登場しておいて困ってるのは自分じゃないの。お礼に金を寄越せとでも言うつもりだった?」
「そんな気ねぇよ!」
「じゃあ仕事?」
「だから! 本当にそんなつもりなかったっつーの!」
こんな惨めな格好で人と関わるものではないなと後悔した青年の眼前に、少女はおもむろに紙を突き付けた。
「んっ?! 何だよこれ……」
近過ぎて読めたものではない。青年は両手でそれを受け取るとそこに書かれた文字を確認する。どうやら求人チラシの様だ。
『庭師 急募』
「庭師??」
「本当に私を助けたいのなら仕事を手伝って。ま、私も雇われの身だから面接は受けてもらわなきゃならないし、男って時点でほぼ受からないと思うけど」
ふーんと更に読み進めると、青年は最後の一文に大いに目を奪われた。
「住み込み食事付き……報酬……、一ヶ月で百万ゴル?!」
百万ゴル。青年が以前まで住んでいたアパートが一ヶ月で十万ゴルだ。庭師の給料の相場は知らないが、彼にとって破格なのは間違いない。




