第9話 凛の叫び
春の爽やかさは、もうすっかり消え去って、窓の外には雨が降っていた。
「ああ………か、神楽さん……ど、どうしました、か?」
教室には、微妙な雰囲気が漂っていた。
「………………」
「あ、あの……………」
古文のおじいちゃん先生がアワアワと慌てている。なぜなら――――
あの神楽凛が授業中にも関わらず、机に突っ伏したまま動かないからだ。
加えて先生が声をかけても全て無視するからだ。
「か、神楽さん……………ま、まあ授業を続けますね―――」
耳から垂れた、艶のある髪から覗く眼に、光はなく、ただ生命活動を続けているだけのようだ。
ヒソヒソという話し声が至るところから聞こえるが、誰も凛にツッコめない。そんな雰囲気がそこにあった。
―――――――――――――――
下校の時間になり、私は兄さんと帰ろうとしたが、今日は佐伯晴斗と帰るらしい。
今日の私の気分は最悪だった。昼休みまではずっと机に突っ伏していたし、頭の中がぐちゃぐちゃして、よくわからなかった。
ようやく気分が少しずつ回復してきた。
私は、兄さん達の前を歩き、別にストーカーはしてませんよ感を出していく。
「いや〜、梅雨って嫌だよな〜、ジメジメしてるし」
佐伯晴斗の声。
「そうか?俺は、別にそうは思わないけど」
兄さんの声!私は思わず後ろを振り返る。
すると、兄さんと目が合った。しかし兄さんはすぐに目を逸らしてしまった。
「へえ〜、瀬川って意外と雨平気なんだな」
「まあな。静かで悪くない」
「そっか。俺なんか気分までじめじめするけど……お前は違うんだなぁ」
私の耳は、勝手に後ろの会話を拾ってしまう。
どうして私じゃなくて、佐伯晴斗なんだろう。どうしてその笑顔を、私には見せてくれないんだろう……。
気づけば足が止まっていた。
振り返ると、兄さんと佐伯晴斗が楽しそうに肩を並べて歩いている。
そういえば、体育祭の時だって、私を放っておいてあの男や橘日向と楽しそうにおしゃべりしていた。
「なんで……?」
なんで……?なんでなの?――兄さん
「うううっ……!」
私は小さく呻いた。
―――もう、我慢できない。
「ねえ兄さん!!」
思わず大声を出してしまう。
兄さんは、その隣の佐伯晴斗と一緒になって固まった。雨の音がやけに大きく聞こえる中、佐伯晴斗が口を開いた。
「……………ん?神楽さん?え、どういうことなんだ?」
その言葉に、兄さんは頭を抱えている。
私は兄さんを見る。絶対に目を逸らさない。
「おい蓮………お前、神楽さんに『兄さん』って――――――」
「違う」
兄さんは、否定した。
「違う、晴斗………俺と神楽さんは、《《全く関係ない他人だから》》」
「……………ぇ」
私の手から、傘がするっと落ちた。
「いや蓮、だって今神楽さん、お前のこと兄さんって………」
「だから気のせいだって。俺と神楽さんは他人だ」
そんな…………。そんなに兄さんは、私のことが――――――――っ!
目の前がぐにゃりと歪む。
胸を裂かれるような痛みに、呼吸の仕方さえわからなくなる。
―――他人。
その言葉が、私の中で何度も反響して、胸をひりひりと焼き尽くす。
「――――っ!兄さん、なんでそんなこと言うの……!?」
兄さんが否定しても『兄さん』と呼び続ける私に、佐伯晴斗は口を開けたままポカンとしている。
が、そんなことはどうでもよかった。
「ち、ちょっと神楽さん……何言って……」
「まだ否定するのっ!?なんで!?私と兄さんは他人なんかじゃないっ!!」
「い、いや落ち着いて……晴斗もいるんだし………」
「っ!そうやって、なんで私のことは、いつもいつも、見てくれないの!?」
「い、いやそんなことは………」
「そんな事ある!兄さんは私より………佐伯さんとか………っ、橘さんが好きなんでしょ!?」
「―――っ!?な、なんでそうなるんだよ……!」
「っ、何その赤い顔!明らかに動揺してる顔!…………もう兄さんなんて大っ―――」
喉まで上がってきた感情は、しかし口から出てくることはなかった。
嫌い、なんて、嘘でも言えなかった。
足が自然に動き出す。
一刻も早く、この場所から逃げたくて。全速力で走っていた。
「――――待っ!!」
兄さんの声が聞こえる。だけど、振り返ることはしなかった。角を曲がり、どこだか分からない道を駆け抜けていく。
頬を流れるものは、もはや雨なのか涙なのか、分からなくなっていた。
――――――――――――――――
気づけば、私の知らない公園に来ていた。私はベンチに座り込み、涙は止まらない。
「………っ、ぐすっ……うっ……兄さん」
兄さんは私の事が好きではないのだろう。
私はこんなにも愛しているのに。
何が悪かったんだろう。
家族になって最初の挨拶のときに、睨みつけてしまったから………?
それとも一緒に勉強をしているときのボディタッチが嫌だったのかな………?
「分からない…………分からないよ………ううっ……」
雨が音を立てて痛いくらいに打ち付けてくる。だからだろう。誰かが近づいてくるのに気づかなかった。
「…………神楽、さん……?」
もしかして、兄さんが来てくれたのかと思ったが――
私はつくづく運が悪い。
「橘………さん」
橘日向だ。彼女は「濡れちゃうよ?」と言いながら、私に傘を差し出してくる。
「神楽さん、泣いてたよね……どした?」
「なんでもない……………あなたに話したくない」
私は下を向きながらボソボソと呟く。
すると、独特な雨の臭いに混じって、爽やかな石鹸の香水の匂いがした。この匂いで兄さんのことも…………っ!
「そっか………まあ、無理に話さなくてもいいけど」
彼女はそう言うと、それ以上追求してくることはなかった。
「…………いつまでここにいるの?私のことなんて気にしないで家に帰ればいい」
「…………友達が悲しがってるのに、無視して帰る?普通」
彼女は少しおどけた様子でそう言った。そのには、少しでも場の雰囲気を和ませようとする彼女の優しさを感じた。
「―――よかったら、私の家、来る?」
―――――――――――――――――
「どうぞ入って。親は今日いないから」
そのまま、橘日向の家に来てしまった。
「…………おじゃま、します」
「あ、神楽さん濡れてるからまずお風呂、入っちゃおうか」
そしてお風呂に案内され、服を脱いで浴室ドアを開けた。ガラガラ、と音がすると、普段とは違うお風呂。
「―――神楽さん、着替えはここにおいておくからね〜」
「………ありがとう」
シャワーを浴びていると、お風呂の外から声が聞こえた。
「あの人って、結構…………」
お風呂から出ると、床においてあるカゴに着替えが入ってあった。―――しかし
「――――っ!?」
次回、なんだかよく分からんメーターを気にしてよく分からんままなんとなく謝ろうとするよく分からん蓮(主人公)。




