第6話 私は、兄さんのこと―――!
朝日が昇り、やがて強い日差しが照りつける昼。
クラス全員で桜の下にシートを広げ、賑やかなお花見が始まった。笑い声や食べ物のやり取りが飛び交う中、しかし凛はずっと蓮を追っている。
その中で、一人の女子が蓮に話しかけた。
「あ、瀬川くんも来たんだ」
あの子は橘日向。少しギャルの様な見た目で胸の膨らみも大きく、しかし運動神経が良い。
「………っ!」
凛は、女子たちと蓮を引き剥がそうと立ち上がるが、そのとき、クラスの女子たちが凛に話しかけてくる。
「凛ちゃん、ちょっとこっち来て!写真撮ろうよ!」
「今日のお弁当、見せて〜!」
凛は少し戸惑いながらも、笑顔を作り、女子たちの輪に混ざる。
ようやく解放されたかと思えば、今度は男子たちが緊張している様子で話しかけてくる。
「あ、あの……神楽さん……もしよければ俺たちと一緒に―――」
「近寄らないで」
凛は、人気なのだ。
そのスタイルと顔は、そこらへんのモデル以上のものであり、男子たちは、彼女が男嫌いだと知っていても話しかけてくる。
凛は、男子の誘いをバッサリと断って、蓮の観察を続ける。
「お〜、瀬川くんって私服のセンス意外といいじゃん」
「え……?あ、ありがとうございます?」
ぶにゅり、と凛は無意識に箸で持っていたたまご焼きを潰していた。
蓮の座っているシートは、凛の座っているシートと少し離れているため何気なく話すことができないのだ。
「てか瀬川くんってさ………す、好きな人とか………いないの……!?」
「え……!?いや……いないけど………」
「へ、へぇ……そうなんだ……えへっ」
凛の視界に映るのは顔を赤らめている女子。
凛には、心なしか蓮の頬も薄く染まっているような気がした。
「なに……それ………そんな顔、私見たことない……………」
凛は、気になっている男の子が他の女子と頬を染めながら話していることが許せなかった。
思わず箸を投げつけそうになったが、深呼吸をしてなんとか気持ちを抑える。
「ほらね、瀬川くんって結構人気あるよ?」
そこに、綾がニヤつきながら凛に近づいてくる。
「――――っ、どうしよう…………」
凛は目を伏せて、小さく吐息を漏らす。
「ほら、そんな泣きそうな顔しないでよ!あたしに任せて!」
綾は胸をどん、と叩くと、意味深に口角を上げた。
「……え?」
凛は顔を上げる。
「だってこのままだと瀬川くん、他の子たちに取られちゃうかもしれないでしょ?」
「――――っ!」
胸の奥がぎゅっと痛み、凛は無意識に拳を握りしめた。手のひらに爪が食い込む。
綾はそんな凛の様子を楽しむように目を細める。
「だから、あたしがチャンスを作ってあげる。二人きりになれるやつ」
「ふ、二人きり……!?」
凛の声が小さく震えた。
「うん。あたしにちょっと考えがあるの。飲み物、足りないでしょ?だから凛と瀬川くんで買ってくる作戦っ!」
「……ふ、二人……えへへ」
綾はさらに小声で囁く。
「ひひっ、あたしに任せといてよっ!」
凛は視線を彷徨わせた。心臓がうるさいくらいに打っている。
綾は肩を軽く叩き、ニヤリと笑う。さっと立ち上がり、周りのクラスメイトに声を張った。
「ねえ、飲み物もうちょっと欲しくない? あたし、喉乾いちゃった〜」
「確かに。誰か買ってきてよー」
「自販機あっちの通りにあったしね」
数人の声が重なり、自然と「買い出し」ムードになる。
綾はすかさず凛の背を軽く押した。
「ほら、凛。ちょうどいいじゃん。行ってきなよ」
「う、うん……!」
凛はほのかに顔を染めながら頷く。綾は続けた。
「でも一人じゃ荷物重いでしょ? 瀬川く〜ん、一緒に行ってあげてよ!」
「え? あ、ああ、わかりました」
蓮があっさり頷いた瞬間、凛の心臓が大きく跳ねた。
「じゃ、お願いね〜!」
綾は手をひらひら振りながら、にやりと笑って腰を下ろす。
しかし、その状況にさっきの男子たちは納得がいかない様子だ。
「なあ早川、俺が神楽さんと買ってくるよ」
「いや、俺が!」
「え〜、俺だろ!」
そんな男子たちに綾は呆れた様子だ。
「凛は瀬川くんとでいいよね?」
凛は即答した。
「うん」
―――そして
「……い、行こっか」
「ああ」
二人は紙コップや弁当の匂いが漂うシートを抜け出し、昼下がりの柔らかな日差しの下を歩き出す。
背後からはクラスメイトたちの笑い声。
しかし凛の耳には、全く聞こえなかった。
『二人きり』―――その言葉が頭の中で何度も反響していた。
「何買えばいいの?」
「え、え……っと………水と麦茶……コーラも頼まれたよ、兄さん」
「分かった」
二人は並んで歩きながら、近くの自販機へ向かう。
春の風がふわりと吹き抜け、舞い散る花びらが二人の肩に落ちた。
「……あ」
凛は思わず、蓮の肩に落ちた花びらを見つめる。
手を伸ばして取ろうか、でも恥ずかしい――
凛が、ぐずぐずしているうちに、蓮が何気なく手で払ってしまった。
「きれいだね、桜」
「……うん」
会話は短いのに、凛の胸の奥は、ざわめいて仕方ない。
自販機に着き、蓮は財布を取り出して硬貨を入れる。
「水と麦茶と……コーラだっけ?」
「うん」
一本目のペットボトルがガコンと落ちてくる。凛は、こんな些細な瞬間さえ、心臓がうるさい。
「……神楽さんの分も何か買う?」
突然のな問いかけに、凛は思わず蓮を見上げた。
「えっ……」
「ほら、甘いジュースとか。飲みたいのあれば」
ほんの少しだけ微笑んでくる蓮に、頬が熱くなる。
「わ、私は……兄さんと同じのがいい……」
声はか細く、それでも必死に絞り出した。
蓮は「そっか」とだけ答えて、もう一本同じ飲み物を買った。そして、ペットボトルを両手に抱えたまま、来た道を戻っていく。
「………ぁ」
その後ろ姿を見て凛は、もう二人きりの時間が終わってしまう、と思う。
「……最近さ」
不意に蓮が口を開いた。
「クラスの女子と話すこと、前より増えた気がするんだ」
凛の胸がずきりと鳴る。
(な、なんでそんなこと言うの……?)
「みんな気さくで話しやすいし………俺みたいなやつにも声かけてくれるのはありがたいけど………」
蓮は淡々とした調子で言葉を続ける。
「……でも、なんか不思議なんだよね」
「ふ、不思議って……?」
やっと声を出した凛に、蓮は少し笑って視線を前に向ける。
「なんで俺なんかに話しかけてくれるのかって………神楽さんだって、俺が義兄なんて嫌でしょ?」
胸の奥を掴まれたみたいに苦しいのに、蓮は全然気づいていない。
「俺は神楽さんが男嫌いなことは知ってる。だから…………無理しなくていいよ」
「………え」
その勘違いに、凛は立ち止まる。
「無理して、俺のことを兄さんとか、あと親しげに接しなくていいよ」
「………う」
「え?」
「―――違う!」
凛は、思わず声を張り上げる。どうしても、この誤解だけは解きたくて。
「無理なんてしてない!………だって私は………私は、兄さんのこと―――――!」
次回、やはり標高が高い双丘は強いのか。いや凛も並に豊かなのだが、しかし体積の大きさは武器である。……これは何の話だろう?




