第3話 義妹が「兄さん」呼びをしてきた。
「あ、あの……!」
神楽さんが体調も良くなって、その次の日のことだった。
神楽さんが俺の部屋に来たのでおかしいな、と思ったらそんなことを言われた。
「…………え?」
心底嫌そうな顔で俺を睨みつけていたはずの神楽さんが、俺に必要な連絡もないのに話しかけてきた。
…………そういえば、最近は鋭い目つきでもないし、神楽さんから目を合わせてくるようになったような。
「その……この前は、ありがとう…………」
「いや、気にしてないから………別にお礼なんていいよ」
上気した頬を両手で隠しながら、俺を上目遣いで見上げる神楽さんは、普段のクールな印象とはかけ離れていた。
「じゃあ俺は部屋に戻るよ」
俺は後ろを向いて歩き出す。
「―――――――ん?」
すると、神楽さんが指の先で俺の服をつまんでいた。唇を固く結んで、真剣な表情で俺を見つめてくる。
その姿に、思わず見惚れそうになってしまうが、必死に煩悩をかき消して冷静になる。
と、その時だった―――
「――――兄さんっ……!」
「…………はっ!?」
俺の声は裏返った。
「に、兄さん……!」
神楽さんは服の裾をぎゅっとつまんだまま、真っ赤な顔で言い切る。
その瞳は揺れていて、俺をまっすぐに捕らえて離さない。
「ちょ、ちょっと待って!なんですかその呼び方!?」
「だ、だって………!蓮くんのほうが一か月早く生まれてるし……私の、兄さん……じゃない?」
「れ、蓮くん!?―――い、いやいやそこじゃなくて………そ、その呼び方はちょっと誤解を招きますって…………!」
必死に否定しようとする。俺は――あくまで神楽さんと距離を置くと決めたのだ。それは彼女のためだ。
しかし、凛は目を伏せ、かすかに唇を震わせながら。
「……だめ……かな」
小さく呟いたその声は、聞き取れるかどうかのぎりぎりで。
その一言に、俺の抵抗は一瞬で揺らぐ。
「……っ、べつに……そう呼んでもいいですけど………」
「ほ、本当に!? じゃあ――兄さんっ♡」
嬉しそうに破顔する彼女。その声色は、男嫌いでクールな『神楽さん』とはまるで別人だった。
(………っ、義妹が可愛すぎる……!)
――――――――――――――――――
あのトンデモ発言から数分が経つが、なかなか自分の部屋に戻らない凛。
「兄さんっ♡」
「―――――グッ………!!!」
弾けるような笑顔で呼ばれた瞬間、蓮の耳まで真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!何度も呼ばなくていいから……!」
「えへ……だって、なんだか言いたくなっちゃうんだもん。兄さん……♡」
「―――――っ!!!」
蓮は思わず後ずさる。そして、自分の胸に手を当てて、その鼓動の大きさが聞こえてしまうのではと思い、また一歩、後ずさる。
凛は小さく首を傾げながら、笑っている。
その無邪気さに、蓮は翻弄される。
「兄さんっ♡」
凛は顔を赤らめながらも、いたずらに口角を上げて言った。
「ちょ、ちょっと……そんなに連呼しないでくださいよ……!」
「え?聞こえな〜いっ―――兄さん、兄さん、兄さんっ♡」
わざとらしくリズムをつけて呼ぶ凛。
「や、やめっ……!心臓に悪いですよ!」
蓮は耳まで真っ赤になる。そんな蓮を見て、凛は楽しそうに一歩近づいてきた。
「ふふっ……どう? 私だけが呼んでいい特別な呼び方。………兄さんっ♡」
蓮は、反論しようとしても言葉が出ない。
「兄さん……兄さん……♡」
小さな声で繰り返すたび、蓮の理性は削られていくのだった。
♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
昼休み。教室のざわめきの中、俺は机に突っ伏して溜息をついていた。
………昨晩からずっと、「兄さん」攻撃を受けている。廊下で呼ばれ、リビングで呼ばれ、風呂上がりでも呼ばれ………俺の理性ゲージは削られっぱなしだ。
父さんと義母さんにはその事でイジられるのだから、たまったものではない。
「……あの、瀬川さん………」
横から声をかけられ、顔を上げると神楽さん。流石に学校ではいつも通りのクールな姿のままだ。
良かった………。俺は安堵して大きなため息をつく。
「……なんですか?」
周囲の目もある。ここは冷静に、事務的に。
しかし次の瞬間――――
「兄さんっ、これ一緒に食べよ♡」
弁当箱を俺の机に置き、にこにこと微笑む神楽さん。
―――教室が、一瞬で静まった。
「……ギョッ?」
「今、『兄さん』って言わなかった……?」
「ブ、ブフェバベボビャブェボボボビィィィィィィィィィ!?」
クラスメイトたちの視線が一斉に俺に突き刺さる。
俺は、頭を抱えた。
「か、神楽さんっ!? なに言ってるんですか………!」
神楽さんはというと、口角をかすかに上げて微笑んでいた。
(………やばい……このままでは俺の学校生活が地獄生活になってしまう……!)
「ち、違う……!これは誤解で……こ、これは……その……劇の練習です、劇の練習!」
「え?神楽さん劇やるの?」
「ブェ、ブェブォィ?(げ、劇?)」
笑顔の圧で『合わせて』と合図を送るが、神楽さんは小首を傾げた。
「え〜?兄さ―――」
俺は、神楽さんの口を押さえて教室の外へと連れ出した。
――――――――――――――――――
連れ出したのは、人気のない階段の踊り場だった。
蓮は深呼吸をしてから、凛に向き直る。
「……な、なんで、あんなことを……?」
声が震えそうになるのを必死に抑えながら、蓮は問い詰める。
「に、兄さん……に……く、唇を………ふさ、塞がれ………♡」
凛は、先程の蓮の行動に感激して震えている。
次回、からかい上手の……ゲフンゲフン




