第36話「ラゼル=ティア大陸」
※本話では、画像を挿入しております。
分厚い扉が静かに閉ざされると、外界の気配は途絶え、室内には冷たい静寂だけが漂った。
この広さにしては不自然なほど、人の気配がない。書棚の列に並ぶ背表紙は、印刷物ではなく、手書きの文字ばかり。年代記や報告書、調査記録──まるで古い息吹がそのまま封じ込められているようだった。
沈黙の中、先ほどまでの光景を思い返していたレイナが、ふと口を開く。
「ルーク。……正直、驚いたわ」
「ん?」
「さっきのあなた、立ち居振る舞いも、声の張り方も、言葉の選び方も……普段のあなたとは全然違ってた。あれじゃまるで──」
一拍置き、彼女はわずかに口角を上げた。
「貴族そのものじゃない」
ルークは苦笑し、手を後ろ頭にやった。
「……そう見えたなら、上出来かもな」
「謙遜じゃないでしょう。場にいた全員、息を呑んでたわよ。あれは演技なんかじゃない。あなたが持ってるものよ」
彼は軽く肩を竦めると、わざと砕けた笑みを見せる。
「俺は俺さ。いつもの調子でいた方が楽なんだ」
しかし、その声の端には微かな硬さが混じっていた。
父という存在。受け継がざるを得ない家の名。誰よりも彼自身がそれを意識しているのだと、仲間たちには薄々伝わってしまう。
重くなりかけた空気を断ち切るように、ノルドが一歩前に出る。
「……さて、ここからが本番だ」
彼は棚に近づき、整理番号や札を丹念に目で追っていく。
「この資料室は、年代ごとと分野ごとに分けられてるみたいだな。年代記、地誌、冒険者記録、報告書……だいたい見えてきた」
振り返り、皆に穏やかに言葉をかける。
「みんな、それぞれ散って調べてみてくれないか。引っかかるものがあったら、すぐに声をかけ合おう」
「了解」
「わかった」
頷いた仲間たちは、音を立てぬように散っていく。
分厚い背表紙に指を滑らせ、時折取り出しては紙を繰る。
資料室には、擦れる紙の音と、かすかな衣擦れだけが満ちていた。
棚には手書きの記録や、折れ曲がった書類、何世代も前の騎士団や領主の報告書が整然と並んでいた。埃を含む紙の匂いと、古木の重みある香りが混ざり、時間の厚みを体感させる。
ルークが静かに棚の前に立ち、資料を手に取る。普段の軽やかな調子は影を潜め、視線は鋭く、手際良くページをめくる。
「……へぇ」
彼はつぶやき、紙面の数字と記録を丹念に追う。ここ数年で、街の発展とともに鉱石やインフラ資源の流通量が増えていることに気づいた。王都の倉庫や港、鉱山の出荷量、貨物の流れ──そのすべてが、理想的な成長の軌跡を描いている。
「流通の乱れや、不自然な金の動きはないな……」
ルークはさらに資料を読み進める。膨大な記録の中、鉱石や木材、各種物資の取引記録を比較し、経済活動の全体像を頭の中で描き出す。
「王都の発展に合わせて、物流は拡大している。資材の供給も適正だ。何か大きな異常があれば、必ず記録に残るはず……いや、現状では理想的だな」
彼は視線を上げ、四人に向けて簡潔に報告した。
「今のところ、経済や物流面で結社の痕跡は見えない。けれど、国や都市の成長の流れを知る手がかりにはなるかもね」
他の四人は、資料に集中していた目を一瞬だけルークに向ける。普段の気さくな雰囲気はなく、立ち居振る舞いと視線、声の張りには、確かに貴族としての気高さが滲んでいた。
次に、ノルドが静かに机の上に古文書を広げる。墨のにじんだ文字と、図案のように描かれた遺跡の図。ページの折れ目や隅の注記から、古代遺跡の位置や調査結果、時には神話的な伝承が断片として読み取れる。
「大陸各国の古代遺跡……王都や公国、領邦に散在するものだ」
ノルドは言葉を選びながら、ゆっくりと指を滑らせる。
「この資料は、騎士団の調査記録だ。以前、エルドとマユリがサリオン支部で受けた調査依頼の目的も、この資料との関連性が出てくるかもな」
ノルドは書類を持ち上げ、皆に見せる。
「調査の軸は古代遺跡の安全性。だが、遺跡の位置や周辺情報を知ることで、何か手掛かりが得られるかもしれない。もし異常な痕跡があれば、先手を打つ必要がある」
静かに頷きながら、エルドは大きな地図を広げる。紙の端は少し黄ばんでいて、触れればその歴史を感じさせる。五人の視線が集まり、初めて目にするその地図に息を呑んだ。
「……これは、大陸全体の地図か」
エルドはゆっくりと指を動かし、各国の位置をなぞる。
「この大陸は、ラゼル=ティア大陸。十の国々に分かれている。首都や主要都市、資源の分布も示されているようだ」
指先がヴェルム王国を示す。鉱山資源の位置、街の規模、王都の記号などが細かく描かれている。
「他にも、ドレグノール帝国、ノクレア公国、ラキュール連邦……国ごとの統治形態や首都の位置も一目で分かる。カルデナス王国やヴァルトラ自治州も、流通や交易路がこんなに」
マユリは静かに息をつき、指先で地図の一角をなぞる
「国境は曖昧だけど、国の位置関係が理解できる……これは重要な情報ね」
ルークも視線を落とし、地図に沿って鉱山や港の位置を確認する。
「なるほど……資源と都市の分布が明確だな。物流や戦略を考えると、ここから色々なことが読み取れる」
普段の軽い口調は消え、真剣な視線で分析している。その真剣な表情を、他の四人は無言で見つめた。
レイナはふと、紙面の破れや墨のにじみに目を向けた。
「資料も地図も、重要な情報が一部隠されていたり、破損している。何か意図的に隠された可能性もある」
ノルドが軽く頷く。
「そうだな。こうした痕跡からも、多くのことが読み取れる。全てを鵜呑みにせず、断片を組み合わせることが必要だ」
エルドは地図を揃えながら、静かに皆に言った。
「ここに記されている国々の関係、資源や都市の分布……これを理解することが、次に動くための大きな手掛かりになるかもしれない。これは頭に入れておこう」
ルークが軽く肩をすくめ、淡い笑みを浮かべる。
「そうだな。大陸の地理を把握した上で物流と経済の流れを見れば、どこに不自然な動きがあったか、後から追いやすい」
ノルドは資料を手元に置き、皆に穏やかに目を向ける。
「それぞれ、気になる国に関しても分担して調べよう。何か引っかかるものがあれば、その都度共有してくれ。無理はせず、だが油断もせず」
マユリは静かに頷き、レイナは資料を抱え直す。
五人は資料室の空気の中、黙々と調査を続ける。紙の擦れる音、ページをめくる音だけが、古い壁の中に響いた。
マユリが開いた一冊の調査報告書に、ぱらりと紙片がめくれる音が響いた。
埃をかぶった紙面には、古びた書体で記された記録と、荒いスケッチが添えられている。
「……これは、サリオン近辺の古代遺跡の調査報告?」
彼女が声に出すと、周囲の仲間たちも自然と身を寄せた。
そこに残されていたのは、ヴェルム王国の騎士団とギルドが合同で行った大規模討伐の記録だった。参加したのは、属性に目覚めた精鋭騎士や、Aランク以上の冒険者。いずれも選りすぐりの戦力だったという。
しかし──討伐対象は我々がよく知るような獣種ではなかった。
荒いスケッチには、大きな岩の塊のような姿が描かれていた。四足で歩むそのフォルムは、不自然に無機質でありながら、どこか巨大な亀を連想させる。
「……こんなの、見たことないな」と、ルークが目を細める。
報告によれば、遺跡内には人が出入りした痕跡があった。だが詳細は不明のまま。
さらに奇妙なことに、戦闘中、幼さの残る少年のような声を聞いたと証言した騎士が数名いたという。だが周囲には人影はなかった。
「……人の声?」と、レイナが低く呟く。
それだけではない。戦いに参加した術士の一人は、『遺跡全体に、瘴気のような魔力が不自然に充満していた』と記していた。
この存在が何者かは判然としないが、記録にはこう締めくくられていた。
──獣種に該当するものではなく、新種か、あるいは突然変異種か。だがその背後には、何者かの手が加わっている可能性が高い。
討伐後、遺跡は部分的に崩落し、証拠となる部位は何ひとつ持ち帰れなかった。そのため、討伐任務は証明できず「不履行」として処理された旨が記載されている。
マユリは言葉を切り、紙面を閉じる。
張り詰めた静寂の中で、皆の視線は互いに交わり、確かな疑念が共有されていった。
彼女は報告書を閉じ、しばし沈黙したのち、ぽつりと口を開いた。
「……思い出したわ。さっき話した、サリオン支部で騎士団からの依頼を受けたときのこと。確か目的が、古代遺跡に向かう調査本隊のため、周辺の安全確保を冒険者に任せるっていう」
エルドも頷き、記憶をたぐる。
「そうだ、確かあの時、依頼内容の詳細を確認したら……そう書いてあったよ」
「ええ。今の時期なら、ちょうど本隊が調査に向かっている頃かもね」
マユリは資料の端を軽く叩きながら言う。
レイナが首をかしげ、仲間たちを見回した。
「だったら、私たちが独自に動いてみるのも手かもしれないわね。サリオンの近くにある古代遺跡、気になるでしょう?」
ルークがにやりと笑う。
「それに、酒場で聞いた裏依頼の噂──あれも調べられるかもしれないな。遺跡と繋がってる可能性だってゼロじゃない。それに……本隊の調査だと、何かあっても隠すだろうしな」
ノルドは腕を組み、少し考え込むように目を伏せた。
「……表と裏、両方の情報が同じ場所に集まっているなら、確かに無視はできないな。ただし深入りしすぎれば、騎士団の調査と鉢合わせる危険もある」
エルドは静かに皆を見渡し、言葉を選ぶように口を開いた。
「正式な依頼じゃなくても、遺跡のことを知っておくのは無駄にならない。サリオンで情報を集めて、それから考えよう」
五人の視線が自然と交わり、うなずき合う。
古びた資料室の空気の中で、次の行き先はすでに定まりつつあった。
◇◇◇
閉館の鐘が鳴り、重厚な扉が閉じられる頃、五人はようやく資料室を後にした。
夜風を受けながら辿り着いたのは、滞在先の宿屋《月見の棟》。
灯りの落ち着いた一室で、彼らは互いに見つけた断片を持ち寄り、静かに情報を整理していく。
テーブルの上に模写した地図や資料が広げられる。
「こうして並べてみると……王国とギルドの結びつきは、思っていた以上に深いな」
ルークが腕を組み、物流記録に目を落とす。
「経済の流れに不審な点はない。むしろ理想的すぎるくらいだ。……逆に、何かを覆い隠すなら、ここまで綺麗に整える必要があるのかもしれない」
レイナが眉をひそめ、破かれた報告書を指先で叩く。
「黒塗りや破れ跡が残ってる以上、隠された情報があるのは確か。でも、それが王国の意思なのか、別の誰かの手なのか……」
ノルドが落ち着いた声で補う。
「大陸全体を見ても、各地に点在している古代遺跡の調査は、各国の騎士団が担っている。安全性を確認するためという建前だろうが……裏で別の狙いがある可能性は否定できない」
「サリオン近辺の遺跡……あれは特に気になる」
マユリが記録を手にしながら、声を落とす。
「討伐対象が、岩の塊みたいな異形だったなんて。獣種じゃない、未知の存在よ。しかも人の出入りの痕跡があった。裏で何か動いていたと考える方が自然ね」
エルドは模写した地図を広げ、静かに言葉を継いだ。
「……そして、これがラゼル=ティア大陸の全体図だ。十の国々、それぞれの首都や資源の分布も把握できる。俺たちが動くとき、重要な指針になる」
五人の視線が地図に落ちる。灯火に揺れる紙面が、まるで彼らのこれからを映すかのようだった。
「結局、シーフレットに繋がる直接の手がかりはなかったか」
ルークが小さく息を吐き、レイナが肩をすくめる。
「でも、サリオンで得た話と繋げれば、別の線が見えてくるかもしれない。裏依頼の調査もまだ残ってるし」
ノルドは穏やかに皆を見渡し、柔らかく告げた。
「ならば、一度サリオンに戻ろう。裏依頼と遺跡の件を重ねて調べる。……ただし、騎士団の本隊と鉢合わせにならぬよう注意は必要だ」
マユリが静かに頷く。
「ええ。危険は承知の上。それでも、調べる価値はあると思う」
エルドは小さく息をつき、地図を折りたたんだ。
「……決まりだな。サリオンに戻ろう」
それぞれが胸に決意を秘める。
その夜、五人は閉館間際まで得た情報を共有し合い、次なる行動を固めていった。




